鯨のひげと祖父

母が兄を身ごもった時、祖父は生む事を反対したそうだ。

父と母はろうあ者同士で結婚した。
そんな二人が子供を育てる事は出来ないと考えた。

兄が生まれたあと暫くして今度は私を身ごもった。
祖父は大反対だったらしい。
はたしてこんな二人に子供を二人も育てられるのだろうかと。

私は身体が弱い赤ん坊で、生まれてすぐから病院に通院していた。
私の想い出も常に病院が付きまとっている。

そんな祖父も、母乳を一切飲まなかった私のために、毎月母に仕送りをしてくれていた。
その他にも色々と援助をしてくれた。
そのおかげで今の私が入る。

生活はいつも貧しく食べるのがやっとだったような気がする。
だからお小遣いもなかったし、お年玉もなかった。

その頃は私たち親子は東京にいて、九州にいる祖父母とは離れていた。
でも、祖父母はお年玉を貰えない私たち兄弟のために、いつもお金を送ってきてくれた。

あれは小学校6年生だったと思う。
母が買わなければならないものがあると言って、小田原から東京まで行ったことがある。

私はそのとき優しいお祖父ちゃんに何かを買ってあげようと思って、貯めていたお年玉を持っていた。

場所は新宿だったのだろうか良く覚えていない。
でも、たぶんデパートだったと思う。

何か飾っておけるものを探していたが中々いいものが見つからない。
壺だったり額に入った絵だったりしたが、値段が高すぎたり気に入らなかったりした。

そんな中、額に入った長寿と書かれたものが目についた。
ちょっと自分の考えていた値段より高かったが、とても気に入った。

長寿という字が立体になっていて、何かで作られている。

聞いてみると鯨のひげを(オキアミなどを食べる鯨の歯は櫛のようなひげになっていて、その歯の根元を使っている)加工したもので、とても縁起がいいとの事。

それを買って九州の祖父母の家に送ってもらった。

その年の夏に祖父母の家に行った。
祖父母は母の弟と住んでいて、その弟は三池炭鉱で仕事をしていた。
住んでいる家は黒い2階家の長屋でその一角に住んでいた。

そんな長屋が見渡す限り沢山あった。
それぞれの長屋の各戸の入り口の前には縁台が置かれ、夕方になるとうちわを持った人達が、思い思いに将棋を指したり子供たちをからかって過ごしていた。

私が送った額は、そんな長屋の中の一番見やすい壁に掛けてあった。
お祖父ちゃんはやって来た私に、その額を自慢そうに見せ、そしてお礼を言ってくれた。

でも私はそれに何も答えることが出来なかった。
2年前の4年生に会った時とはまるで顔が違っていたからだった。

年を取って顔がやつれてしまったのか、自分の思い出の中にあるお祖父ちゃんの面影は微塵もなかった。
お祖父ちゃんは大好きだった。
でも、あまりの違いになんと言えばいいのか分からなかった。

一緒に住んでいる従兄弟はよく祖父母のことをなじっていた。
その従兄弟とは、祖父母の家に行ったときは仲のいい遊び友達となる。
その時、お祖父ちゃんはその従兄弟と同じように私がお祖父ちゃんを嫌っている思っただろうか。

結局、お祖父ちゃんと会ったのはそれが最後となってしまった。
その3年後に祖父は他界してしまった。

優しかったお祖父ちゃんが、悲しまなかっただろうか。
元旦のお年玉の季節になると考えてしまう。

あれから30年お祖父ちゃんもむこうで楽しく暮らしているだろう。


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