サラリーマンなんか辞めてしまえ!

2006/01/10(火)08:28

 ◇『ブルートレインでの上京 冷凍みかん』

  さていよいよブルートレインでの上京の話です。   それはわたしが小学校一年の夏休みのときの話です。   ですから今から40年前の、昭和40年のときのことですね。   そのころ九州での列車と言えば、まだ蒸気機関車とか、凸型をし   たディーゼル車が、牽引するものが主流だったような気がします。   はっきりとした知識と言うか、記憶はありませんが。   ただ、そのころのわたしにとって、ブルートレインは憧れの列車   で、かっこいいものでした。   そのブルートレインに乗れるのですから、学校が変わるなんて事   は、大したことではありませんでした。   どっちにしろ、小さなときから引越しばかりの生活だったので、   そんなのは当たり前です。   上京の理由は、父の仕事がないと言うことでしょうか。   九州にいても、仕事がなかなか見つからないので、花の大都会、   東京に行けば何とかなる、と言うものだったと思います。   長年住んでいた九州、この場合両親ですが、そこをろうあ者の身   でありながら、離れていくわけです。   祖父母にとっては、九州の中から遠くに行ってしまうということ   で、心配だったのでしょう。   この上京には、両親と兄とわたし、それに祖父の5人での上京と   なりました。   ブルートレインのB寝台。当時は、向かい合わせの椅子に、6人   が座って、夜には6個の寝台が出来るものです。   これについては、また後で触れたいと思います。   さて題目にある、冷凍みかん。   この上京の車中で食べた、冷凍みかんのことを、今でもよく覚え   ています。   その頃に、今みたいなビニールのネットが、あったかどうかは分   かりませんが、冷凍になったみかんが、6個入っていたのを覚え   ています。   もしかしたらネットではなく、ただの細長いビニールの袋に、入   っていたのかもしれません。   なぜ冷凍なのか?   夏だったからなのか、あるいは保存しておくために、冷凍にして   あったのかもしれません。   その手で持つと、手のひらが痛くなるくらいに凍ったみかんを、   早く溶けないかなと、窓際の日の当たるところに置いたりします   が、なかなかすぐには溶けてくれません。   皮ばかりが溶けて、肝心の実は凍ったままです。   まだまだ子供のわたしですから、そんなのを溶けるまで、待つこ   とは出来ません。   皮があらかた溶けた時点で、かぶりつきます。   その頃は今と違って、歯がまだ丈夫な頃でしたから、前歯で少し   ずつ、削り取りながら食べていきます。   これがおいしいのなんの、皮ごと一緒に食べても、天然のシャー   ベットでとてもおいしかったです。   大体この時代、凍っているものを見ること自体が、大変貴重な体   験ですから、当時としては、最高の贅沢だったのでしょう。   そんな冷凍みかんですが、今では保存の技術が良くなったのか、   駅で凍った冷凍みかんを、見ることはなくなりましたね。   ちょっと残念です。   冷凍みかんを書きましたが、このときの上京で、もう一つ忘れら   れないものがあります。   それは、ザボンの皮の砂糖漬けです。   それはそれは、本当に甘い砂糖の塊でしたね。   確かにみかんの味、この場合はザボンなのでしょうが、少しする   だけで、砂糖の塊を、食べているようなものでした。   子供のわたしでも、甘すぎて、すぐに嫌になったような記憶があ   ります。   ただこの味も、わたしにとっては上京のときの懐かしい味です。   それ以来見たことも、食べたこともないのですが、いまだにある   のでしょうか。 ◇ホームページ 世界の名言を紹介しています(相互リンク募集中です)     世界の名言

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