つれづれ、浦頭のこと
引き揚げ記念の平和公園だといって、
沖縄ひめゆりの塔のように、
戦争体験が語られるということもなく、
家族、多くは遺族から送られた物品や写真が
寡黙に事実だけを訴えかける薄暗い資料館と、
穏やかな湾を見下ろす公園が、
じっと、平和を見つめているのだ。
それは、そうである。
あのひめゆりの塔だって、語る人は、
数少なくなりつつある。
聞いた人は、口伝でも、自分の言葉にして、
戦争とは何であったのか、
語り継ぐ義務を負う。
戦争が終わって20年起つか起たないか、
まだ社会に影響の色の残る時代に生まれた世代でさえ、
韓国や中国に押し寄せた日本人が、
何をしに海を渡っていったか、知らないのである。
戦争の悲惨さだけを語り続けては、ならない。
戦争とは何であったのか、
誰にとってどうであったのか、
誰のための何であったのか、
国民一人一人にとって、なんの意味を持ったのか、、
まだ、自分の人生を取り返せずにいる多くの、
もちろん、
日本人のみならず、
多くの、高齢者が、少しでも穏やかに、人生を生きて行けますように。
すべての人に、神の御加護がありますように。