2004年12月10日掲載プロローグ 逆 襲5 『北日本新聞 沈黙の森』2004年12月10日掲載贈 り 物 集めたドングリ山に 広葉樹の植林を思案 「ほら、あったぞ」。入善町横山の陶芸家、亀田隆さん(61)の声が弾んだ。里山を走る県道を折れ、山道を約三十分上がった県東部の林の中。食い散らかしたドングリのそばに、クマの足跡は残っていた。水たまりの底の泥に、肉球や爪(つめ)の跡が文字通り判を押したように見て取れる。 「ちゃんと食べてくれていたんだ。これで殺されるクマが一頭でも減るといいが…」。祈るような気持ちが言葉ににじむ。十一月九日、クマが人里に来ないようにと置いた、ドングリの補充に行った時のことだ。 亀田さんは日本熊森協会のメンバーとして、県東部の奥山十二カ所に木の実を運び続けた。「生態系を乱す」「別の動物の餌になる」と、疑問視する声が何度も耳に入った。そのたび「あくまでも今年だけの緊急措置。餌付けではない」「サルやリスなど他の動物が食べても、結果としてクマの取り分が増えることになる」と反論した。 父親が漁師で海のそばに育ち、少し足を運べば山があった。自然が遊び場。大人になると山菜採りやキノコ狩りでよく森に入った。サルやカモシカと出合うこともしばしばだった。 奥山に運んだドングリをまく亀田さん=県東部の山中 たまたま、インターネットで日本熊森協会を知った。協会は兵庫県尼崎市の中学生が始めた「森を守ろう」という署名活動が原点になり、理科教諭らが中心となって平成九年に発足した。会員は全国に約五千人。亀田さんは活動の趣旨に共感し、今年四月に入会したばかりだった。 半年後、本州各地でクマが異常に出没。「偶然だった。びっくりした」。協会がドングリを集めて山に置く運動を始めると知り、ホームページに名前と住所を公表した。北海道から九州まで、瞬く間に集まった木の実は計二トン。ひっきりなしに小包や荷物が届き、自宅の倉庫はすぐにいっぱいになった。 害虫駆除や発芽を防ぐため、ドングリはすべて玄関のそばに据えた大なべで煮沸。十月二十二日から山に運び始め、数日おきに補充した。サツマイモを送って来た人もいたが「人里の味を覚えることは餌付けにつながる」と、持っていかなかった。 亀田さんは足が悪く、山道を歩くには杖(つえ)がいる。大きな袋に詰めたドングリを運ぶのは重労働だが、活動を始めると近くに住む仲間たちが手伝ってくれた。木の実といっしょに全国から届いた子供たちの手紙は、大切な宝物だ。クレヨンを使ってクマを描き「ドングリをクマさんに食べさせて」と記してある。疲れも忘れた。 久しぶりに抜けるような青空が広がった今月三日、最後のドングリを運んだ。風の冷たさが節々に染みるようになった今、振り返ってみると楽な仕事ではなかった。だが「クマにとって不幸だったけど、動物との共生を多くの人が考えさせられた特別の秋だった」。 冬を前に気がかりが一つある。来年もドングリが凶作だったらどうするのかということだ。毎年行えば餌付けになる。 「もっと長期的な視点に立った運動が必要だと思う」。クリなど実のなる広葉樹の植林をまず自分たちから始められないか、思案している最中だ。 |