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石と宇宙(ソラ)のお話

友達物語

2006年1月21日(土)
エルサレム分割の公約、友達物語、巣山古墳。


                ・
【友達物語】
ソラの意識体から知らされた情報では、これまでの歴史の中で隠されてきた事柄を明らかにしています。
この友達物語はその中の一部分です。

昔々大昔、世界の文化は今の私達が想像しているより、もっと進んでいました。
しかし、当時の人々は生活の様子を文字にする手段を持ちませんでした。
それで、これまで我々が出来たのは、科学者の調査に基づく想像のみでした。
その文化の発達したイスラエルの国の人たちは仲良く暮らしていました。
けれども、その人たちの中でもいろいろな性格の人たちがいて、毎日平凡に
暮らすのが好きな人と、もっと国から外に出て貿易をしてみたいと思う人に分かれました。
国の外に出てみたいと思う人たちをユー族といいました。
ユー、すなわちあなたとお付き合いしたいと言う積極的な人たちでした。
その土地で同じように暮らしていたいと思う人たちは、そのままその土地に残りました。
ユー族の人たちは大きな船を作り、貿易のために海外に出かけていきました。

当時エジプト地方にはもっと多く雨が降り、多くの動植物が穏やかに育っていました。
ナイル川には船が都市の近くまで出入りできるような大きな支流がありました。
ユー族の人たちはその支流をさかのぼって行き、そこで仕事をしようと思いました。
しかし、その頃はエジプトを悪い王様が治めていたために、ユー族の人は皆捕らえられて奴隷にされてしまいました。
それ以後、エジプトでは雨が少なくなり、また、木を切り倒した事で砂漠化が進み、船は砂漠の中に残されたのです。
ユーという言葉が長い間に変化し、彼らユー族は、現在ユダヤ人と呼ばれています。
これで何故ユダヤ人が国を持たなかったか、イスラエルの地に戻りたかったかが分かるでしょう。

それ以後の歴史は、イスラエル人(モーセとユダヤ人)のエジプト脱出の話や他の多くの物語でご存知と思います。
イスラエルを去らず残った人達は、後にイスラム教を取り入れ生活の基盤としました。
彼らは今パレスチナ人と呼ばれています。
ユダヤ人とパレスチナ人は異なる宗教を持っていますが、彼らは元々同じ国で生まれ仲の良い友達だったのです。お終い。
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この物語は冊子にして、パレスチナやイスラエルに送られています。
エルサレムのユダヤ人は”嘆きの壁”を大切にしますが、その壁の向こうにはイスラム教の聖地の”岩のドーム”があります。
岩のドームの岩には足跡が残っていますが、それがイシジンの足跡で、モハメットもイシジンだったと思えます。
(伝説では預言者のムハンマド=ムハメットがこの岩から天馬に乗って旅立ったと伝えられる)

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が共にそのエルサレムを聖地とするのは、そこで神の名乗る存在からチャネリングが始まったからです。
エジプトの砂漠から、現実に波で傷ついた大型の船が出てきている事も、この情報の真実を増しています。
砂漠の中にはもっとたくさんの同じような船が、埋没しているとの情報もあります。

http://www.worldtimes.co.jp/gallery/photo/pyramid/pyramid.h...
さんより太陽の船
http://www.worldtimes.co.jp/gallery/photo/pyramid/win8.html
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