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石と宇宙(ソラ)のお話

発掘日本列島2007

を見に行ってきました。 「江戸東京博物館」ですね、主催は。 

 中でも出口付近にあった「時塚1号墳・盾持ち人埴輪(ときづか・たてもちびと)」↓と言う土器が異彩を放ち、結構気になりました。
 
2007-06-10 16:58:29

2007-06-10 16:54:02

2007-06-13 10:12:00

だって平べったいのですよ、顔面が!

それや初めて見たのですが小さい銅鐸などもありました。

2007-06-10 16:57:06
(フラッシュ使用不可なのでブレてます)

とても小さく、指くらいの大きさです。

あとは研究員の方も「どうしてこのような状態になっているのかわからない」と説明していた、青銅の剣です。

土に刺さった状態で出土したそうです。

2007-06-10 16:59:56

と、ここでその日のソラからの伝言を読んだ人に教えてもらったのですが、「青銅」の事がかかれていたと。

2007年6月8日(金)
【朝日新聞広告】人間、水へび座を切り刻む】、大分の地震=ベツ(ップ)の世界、銅鐸の意味、
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2007年6月7日真夜中、目が覚めて
「(倭の国のイシジンの) 形が残っていないので (ヨーロッパの石像として) 人間の形に残すようにしたのです。
倭の国のイシジンたちも人間のために働きました。
けれどもイシジンが死んだ後、形が残っていないで忘れ去られてしまいました。
それで遅く降りてきたイシカミ達は (ヨーロッパでは)人間の形で残ったのです。
銅鐸はイシジンの姿をあらわしたものなのです。
(イシジンを石器としての) 石の姿で残っても、自然に出来た石と思うだけなので青銅の銅鐸になったのです。
青銅の矛もイシカミの一部の原子がイシジンの形に変わって、イシジンがいたことをあらわしたものなのです。
(銅鐸はイースター島の石像と) 同じなのです」

(以前三角の矢じりと言われているもので、取っ手が無いのでなぜかと聞くと、三角山と同じで、原子から見た三角山をあらわしたと伝えてきています。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200604041615...
その石器では人間は認めないので、青銅や矛に変わってイシジンをあらわした)

http://www.kojindani.jp/iseki/index.html
http://www.highlight.jp/kougindani/index.html
の残された謎は、銅鐸や矛がイシジンの形をあらわすとすると謎は解けます。
*)鋳型が発見されておらず正確な製作地は不明。
*)X印の意味=矛は争うために使うのでない。
*)大量埋納はイシカミの原子が自らその形になって残ろうとしたのであって、鋳型で作ったのではない。
荒神谷遺跡は私も見ましたが、刀などが埋納されている場所は、小山の中腹でなぜこんな所にと思える場所です。

*)だまされたイシジン(牛の顔の銅鐸、胸に鶴の模様あり)
http://www.pref.shimane.jp/new/inishie/pdf/04.pdf
おうし座とワシ座にだまされて、その絵(牛と鶴)を残してこの形になったのです。
支配星のおうし座などは争いを起させるために人間を支配した。

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私はお知らせを見ないで来たのですが、この発掘展を見に行くのが分かったのかなと思うような内容でびっくりしました。

特に最後のリンクの

*)だまされたイシジン(牛の顔の銅鐸、胸に鶴の模様あり)
http://www.pref.shimane.jp/new/inishie/pdf/04.pdf

の銅鐸が一番上に張ってはる平べったい顔面の銅鐸と重なってびっくりしました。

あとは「お汁?」と思われるのを頭にのせているイシジンさんのような埴輪です。
右側の立派な帽子をかぶっている見るからに渡来人の埴輪がなんともです・・・。

2007-06-10 16:58:57

後は石棒と小さい土偶ですか。小さくて可愛いです。

2007-06-10 16:59:26

その他の写真はこちらを見てください。

アルバム

かなり見ごたえのあるものだったので、もう一度位行きたいです。


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