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昨日はいつものように休日を過ごしていたのですが、何気なく聞いたニュースで「今日はシャカの誕生日で甘茶祭りです~」と言うのを流していました。
画面にはそれらしい衣装をまとった子供の姿が・・・。 「そうか、甘茶をかけるのか」と。 その甘茶で以前のお知らせを思い出しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2006年7月6日(木) 目のビジョン、大仏と水銀、日本の湖と小島、 2006年7月6日 《ビジョン》 ”マツ毛が長くてパッチリした目と、半分閉じたような目のマンガの顔“ 意味は 「(支配星に支配されるまでは)エジプトのイシジンは、人間を大切にしていました。 けれども大仏になったイシジンは、人間に対して何もしなく、仏教を教えた支配星の言うままになっていたからです」 (仏教の支配で人間が悲惨な現状であったので、目を開けて見ることができなかったという意味) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (昨日のお知らせで、「水銀はサ、サ、サ・・・・サカナから」 と言っていたが、大仏に塗った水銀はどこから多量に得たのか?と思っていた) http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20060705205453 「海の水の中に溶けていたものを取ってきたのです。 水銀を食べ物として魚が食べていたのです。 水銀(Hg)がなぜ海の中にいたかというと、水(H20)の仲間*になりたかった原子だったからです。 それを食べた魚が (奈良*に) 集まってきたのです。 そしてそれらの魚が腐って溶けたのです。 それは支配星が嫌がらせをしたのです。 死後の世界を支配星が支配していたので、死ねばこのようになると知らせたのです」 しばらくして 「奈良は昔は (浅い) 海でした。 ナラとはナ=死 (埋葬後、十字の木を立てていた) ラ=ラクという意味で、死ねば楽になるという意味だと支配星は言ったのです。 それでその海に向かって魚が押し寄せたのです。 当時は支配星が死後の世界を支配していたからです。 それで魚達は支配星の言うことを聞いたのです。 支配星は魚達に水銀になるように言ったのです。 そして同じく支配星にだまされた若者のイシカミ*が (奈良に) 降りてきました。 そして (多くのイシカミが降りた*ので?) 奈良は水がなくなり、陸になったのです。 腐った魚は液体になり、一箇所 (池) に集まりました。 魚の汁は耐え難い臭いでした。 支配星は (そのために) 臭いを感じるように (人間を創るときに) 提案していたのです。 そして人間にその魚の汁を大仏にかけさせたのです。 それをすればこの大仏が、死後も見守ってくれると教えたのです。 それで大仏のイシジンは死んだのです。 魚の汁が無くなるまで大仏にかけさせたのです。 それがなくなるとお茶の葉を煮出したものをかけさせました。 それが甘茶祭りの始まりです。 なぜ、あちこち*で大仏を作ろうかとしたかというと、当時は大きなイシジン (巨人) がいたからです。 それらが古墳になったのです」 *)水(H20)の仲間になりたかった水銀(Hg) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%8A%80 (生命力ある銀、流動するので生きているという表現をした)ともいい、日本語では液体金属を意味するみずかねと呼ばれていた。 東大寺の大仏像の金鍍金は金アマルガムが大仏に塗った後、水銀を蒸発させて行われた 一説には、この際起こった水銀汚染が平城京から平安京への遷都の契機となったという. (魚汁の臭いのせいでないかと思えます) *)多くのイシカミが降りてきた=遅くに多くのイシカミが降りてきたので 奈良には大きな古墳がたくさんある。 *)甘茶祭り=仏陀の誕生を祝うと称して、頭から甘茶をかける行事。 http://www.hcvnet.jp/~sasaki88/index.html さんより http://www.hcvnet.jp/~sasaki88/new_page_5.htm * )遅くに降りてきたイシカミ=天の香具山=天から降りてきたという伝説 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/column00.ht... さんより http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html *)あちこちで大仏を作ろうとしたか=天皇が何箇所かで大仏を作る計画を立てたというのは、天皇は支配星の言葉を神の声として言われた言葉のままに行動をしていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ #)リュージン伝説などを含む日本の湖などをまとめてくださいました。 http://sora.ishikami.jp/jhistory/index.php?id=2006070609110... 又、湖の中の小島は、地下空洞へ行く穴?をフタをしていると、ソラからの情報では知らされましたが、いかに湖(池も含む)に小島が多いか良くわかるサイトを紹介してくださいました。 ">http://www.uub.jp/nam/kosuinoshima.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2006年7月5日(水) 首里城などリュージン、スピコン、下関からの移住、地球、大仏の銅像=イシジン、変わった雲 (↓のことははっきりわかるまで、公開しないで置こうと思っていたら昨夜、口内にポリープが出来て知らせてと) 「(大仏などの) 銅像になったものは、何も知らない若者のイシカミでした。 そのイシカミに支配星が悪いことに、人間に崇めてもらえるので大きな銅像になれを教えたのです。 それでイシカミは、石(像)になるより、鉄に近い銅で形を創ろうと思いました。 そしてイシカミの原子に鉄よりも柔らかい銅の原子に変わるように言ったのです。 なぜ支配星が銅像になれと言ったかというと、鉄よりも電気を良く通すからです。 そして支配星は、言うことを聞かないと”eの横向きの稲妻”を落とすと、脅かしたのです」 eの横向きの稲妻=白い木 http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20060612170718 「それで若者のイシカミは言われるままに、大きな銅像になったのです。 (大仏の)右手は支配星に『来ないで』と伝えているのです。 左手は(現実世界の)人間を手のひらに乗せてお話しようと思ったのです。 今知らせたいことは、テンチ(天皇)が嫌がらせをしたのです。 私の身体に水銀を塗ったのです。 私を早く死なせるために、支配星が言ったのです。 水銀はさ、さ、さ・・・・・????」寝る。 現代でさえこれだけの銅像の大仏の鋳造は大変と思われている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E7... (ブロンズ像もイシカミのイシジンだと、バチカンの中にあったブロンズ像を見た時言ってきましたが、良くないイシジンだったせいか、詳しくは伝えてきませんでした) 大仏の建造として記録されているのは、水銀を大仏に塗る作業のようで、東大寺の建物もシリウスが教えた巨人のイシジンが造ったと、その後言っていました。奈良には山が天から降ってきたという伝説もあり、ずいぶん遅くに降りてきたイシカミと思われます。デエダラボッチなどの巨人伝説もたくさんありますが、それらも遅くに降りてきたイシカミと思われます。 巨人伝説 http://sora.ishikami.jp/jhistory/index.php?id=2006070521181... ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このお知らせが出た時は、今まで聞いた事のないような話だったのでびっくりしましたが、その後「あり得るのでは」とおもいました。 伝えられている歴史は本当の真実は伝えられてはいないのでは?と思います。 本当の歴史は綺麗事ばかりではないのでしょう。 今のように平和で人権が保護され、食べる物に事書かない生活は(地球上ではまだまだの所がありますが)ほんの何十年か前に確立された事で、その前は生きて行くのも大変で家に女の子が居たら、食べる物のために身売りをしたなんて事はちょっと調べればすぐに出てくる話です。 庶民に税を課せ、収穫したお米などを大量に摂取して、作っている農家は食べる物にも事欠く事など色々な所であったそうではないですか? 人権なども保護する機能もあまりなく、戸籍で縛られて勝手に村を出ることもままならない、自由を奪われた生活だったのではないでしょうか。 どこそこに誰が何人住んでいて、その頭数分税を納めなければならない。 自由に旅行するのも届が必要だったとも。 唯一お伊勢参りや神社仏閣に詣でる旅行が許されていたらしいです。 それは布教活動の面もあったのですね。 旅行のルーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.09 10:16:45
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