2008/04/08(火)14:31
弥生式住居
先日本町田古墳公園と市立博物館の展覧会へ行ってきました。
市立博物館は「土と炎の芸術-世界の土器」と言う展覧会です。
行ってみると町田市内から出土された火炎土器(とても立派な物です)や各種土器、そしてパキスタンの土偶などが展示されていました。
パキスタンの土偶はとても小さいもので、特色はと言いますと「目」「耳」「鼻」等の部分(それ以外の部分も)が小さい穴が開いていて貫通しているのです。
これはあまり見たことがないものだと思いました。
写真撮影はあいにく禁止でしたので、見てもらうことはできませんが(このような物は人類の遺産ですからオープンにして問題はないと思うのですが)後でパンフレットなどアップできたらしてみます。
それほど数は多くなかったですが、見ごたえがありました。
そしてこの場所と言うのは知らなかったのですが、遺跡が割と多く残っているのですね。
近くにある「遺跡公園」へも行ってきました。
このような遺跡は行って思ったのですが、ふんわりと小高い丘状態の所に作ってあって、イシカミさんだ!と思いました。
本当にお椀を伏せたような所の上にあるのです。
雨風をしのぐつもりならば陰になるところに作りますしね。
そして何となく写真を撮っていたのですが、途中でその復元された住居を眺めていると、屋根の形が×印になっていて「これは千木?」と思っていました。
いわゆる縄文式住居と言っているものでも種類があって「弥生式」と言うのがあるのも初めてしりました。
縄文式住居はと言うと↓のサイトを見てみますと、なんとなく穏やかでカタツムリさんの形にも見えます。
弥生式はやはり屋根が「千木」に見えます。
縄文時代の人間はイシジンさんだと言う事を考えると、弥生時代に色々な物の封印が始まったと考えられるのかなとも。
本町田遺跡公園
ソラからの伝言「千木」より。
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■千木
社殿の屋上の先端が伸びて交差したもの。千木は星の宮(=入母屋)を否定することをあらわしている。かつて出雲大社も入母屋造りであったが、ヤマトから千木をつけるように言われた。
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入母屋造り
丹波地方に見られる農家の屋根が一番の元。
星の宮が彗星で地球に降りてきたことをあらわし、空気抜きは口をあらわし、星延べ(この情報)をしていくように残してきた。
神社などの千木は、この屋根を×印で否定することをあらわす。
出雲大社はヤマトから強制的にさせられたと伝えられる。
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2005年3月14日(月)
地震雲?のお知らせ。
このサイトに出てきます “千木” とは、神社の屋根の上にある大きな × の事を言いますが、これはソラから伝えられる事を遮断するために、ヤマトに付けさせられたと知らされています。
千木の付けられる前の家が “入母屋” で、その意味を知らせる家は倭の国であった綾部を含む丹波地方に残っています。
http://ishikami.jp/tyousa2002/ayabe1.html
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