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2005.01.10
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カテゴリ:機-NOTE
珈琲の飲みすぎで眠くならない。昨夜、安ワインを飲みすぎたせいか頭痛がつづいた。それで珈琲ばかり飲んですごしたためだろう。仕事をするにはいいが、覚醒状態が長くつづいたからといって仕事に集中できる絶対時間はさほど変わらない。むしろ害のほうがおおきい。それで、酔いを覚ますためでなく、覚醒を鈍らせる目的でお風呂に入った。さきほどからもう三回ほど出入りして指などはふやけて白くなっているが、まだ睡魔はやって来てくれない。早く来い! そうしてたっぷりと眠りたっぷりと夢を見るつもりだ。もしなんなら、そのままずーっと眠りつづけるのもいい。二世紀ほどして目覚めれば、多少は退屈でない時代が始まっているかも知れないではないか。ふと、そのようなことを考えながら、そもそもこの、いまという時間が夢であるかも知れないなとおもう。われわれの存在は、ほんとうはどこかの誰某の夢で無いという保証はないわけだし、この五感というものを通して見つめ聞き触れるこの世界が夢そのものであったところで、なんの不都合があるだろう。ま、だれもがこんなことを一度や百度位も考えたりしたはずである。そもそもいったい「夢」とはなんなのか。ドラキュラ伯爵のようにしばし棺桶の中に横たわり、かんがえてみるか。そうして、眩しい朝の光の中であらためて深呼吸と共にあたらしい人生を生きる…と。さて、ようやく正月10日朝になった。デタラメな正月だ!

 海よりも低きに高し冬の富士 雑巾控

谷へ下りる道の途中より雪を冠った富士が頭だけをのぞかせる。朝日が降る峠の坂を散歩してきた。年末に買いだめした煙草が切れて、2キロほど先にある自販機までゆくついでにあたりをぶらついてきたわけである。霜の降りた野菜畑がある、凍ったままの日陰の残雪がある、青い煙を吐きながらせまい舗装道を宅急便の車がはしりすぎてゆく。この青い大気がすこしだけその濃度が濃密ならばここを海の底と見立てることもできる。人間という生きものの棲みついた海である。ぶくぶくと泡こそ立てないが、ひかりを喰らい青い大気の栄養素を肺に取り込みつつ群れなして泳ぎ回っている、なかなかふしぎな世界でもある。気層のすこし高いあたりでは、金属でできたトビウオのような大型魚が白い航跡をのこしながら高速ではしりまわる。

父親が田中内閣時代の大臣だった女性は亭主とともに外出したようだ。おとついもらったカジュアルな綿のシャツは、さいわいにもちょうど身に合っていて山歩きにも具合がいい。さっそく裏山登攀にふたたび挑戦した。玄関を出てコンクリのフェンスをよじ登り、落葉が膝近くまで深い急勾配を這いながら途中まであがる。雑木で風景は見えないが、ふり返れば滑落しそうなのでいっしんに五十メートル近くはいのぼり力尽きた。そこでしゃがみ込み、木々のあいだから谷間を眺望する。青と光線のオレンジ色が交錯する向こうに、雪を被った台形がおどろくほどでかい。その幾何学形とこちらとのあいだを繋ぐ空間の巨大さも見事であった。ボロ切れのように底にひろがる道や家や建物群の知恵たちのなんともささやかなことか。ささやかが風の中で歌をうたっているといった風情か、この世界。猪になった気分で、しばらくのあいだ落葉のベッドに埋もれて午睡をしてきた。しかし夢は見なかった、いやなにか見たらしいが憶えていなかった。

夢をみるというと、現実から遊離した空想的な生き方などの謂いに受けとられる懼れがあるが、睡眠中に夢を見ることについて言うならば、夢を見るためには相当のエネルギーが要るのではないか。夢という現象を脳内の化学的な変化と捉えるだけでも、そこには明らかにされている脳内物質の動員があるわけだし、それらの結果を記憶し再生する(認識する)能力というものも必要になるはずである。日常の細々にまぎれてほとんどの夢はあっというまにわれわれの記憶から蒸発してしまうが、夢を見る力というのは、知能活動の中でも高度なものであるだろうとおもう。そして生命力の、あるいは源泉でもあるのかも知れないなと、ふと考えた。ところで、ものを書くとは、夢を見る場合と似ている。わたしなりのことで誤解されるのを平気で暴露してしまうと、モノを書くには儀式というか、特別な方法があるのだ。まず棺桶にはいることである。しかし書くモノによりその方法はふたつある。ひとつは棺桶に入って、外から釘を打ち付けてもらう方法だ。これは楽だが、創造的なものには不向きだと思う。こういう日記というか雑文やドキュメンタリーなものならばこの方法だろう。もうひとつは、棺桶に入ったら自らの手で内側から釘を打ち付けて自分を閉じこめてしまう(封印する)やり方だ。こちらが、わたしの場合は、小説を書くときのたぶん唯一の方法だろうと思っている。…しかしまあ、現実にまだ一作しか書いていない男が言うことだから、まったく信用できない話である(笑)。

そういえば、わたしは夢を見ないために書く、と言ったのはフランス人とイギリス人の両親から生まれた、『発熱』『モンド』『物質的恍惚』などの仏国作家ル・クレジオであったな。けっこう好きな作家である。わたしも、夢ばかり見ていてちっとも続編のほうが進まないので、今夜あたりから白日夢の生活のほうへもどることにしよう。

 新年やどれみふぁそらし番茶のむ 雑巾控





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Last updated  2005.03.01 15:20:03
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Re:夢をみる力(01/10)   大田黒薫 さん
統合失調症(元精神分裂症)だった肉親がいるのですが、まさに脳内の化学変化が、コントロール不能状態で活発になっている、そんな印象を受けました。一日の時間の中で、(まったく科学的ではないですが)まるで脳内でなにかがスパークしているみたいに、脈絡のない話が続いていきます。しかしそのひとつひとつには論理やストーリーや、鮮明なイメージのようなものがあるようなのです。それがそばにいるとわかる。一方で本人は覚醒もしている。どうにかしてくれよ、みたいにふとこちらを見つめる。そうして激しく疲労もしているのです。

夢のお話を拝読し、そのことを思い出しました。

後半の、書くことについてのお話、記録させていただきます。気になります。 (2005.01.10 22:46:10)

Re[1]:夢をみる力(01/10)   バガボンド6449 さん
大田黒薫さん

どうやら、われわれが生きる世界がばかげているのか、あるいは駄洒落に満ちているのか、異常であるほうが正常である場合がしばしばあるようにおもいますね。

マイクロソフトのビル・ゲイツとU2のボノが共同で世界の主要紙に寄せた声明文を眺めながら、ちょっと鼻歌を歌ってテレビのリモコンをプチすれば、トイチの金貸しと新型ケータイのコマーシャルのあとにイラクでぶち殺される民衆のいる世界がその一方にあり、隅田川の青テントとパレスチナの虐殺とインド洋の大津波を餅焼きながら眺めてそれでもまだ回転するこの惑星とこの脳味噌では、正常でいられる人非人よりは、狂人の優しさのほうがほんとうなのかもしれません。20代で分裂症になり日本刀で親父を追い回していたわが叔父も、いらい半世紀病院で過ごしていて、身内の死も一切知らず開放病棟の中で、いまは大会社の重役のようなたいした貫禄の牢名主であります。 (2005.01.11 03:47:30)

Re:夢をみる力(01/10)   とこみん さん
私にも鬱病から縊死した伯父さんがいます。
やはり何かにつけて、思い出しますね。
上記の書き込みとは全然関係ないのですが。

関係ないついでに、バガボンドさんは、白黒写真しか写されないのですか?

(2005.01.11 15:08:01)

Re[1]:夢をみる力(01/10)   バガボンド6449 さん
とこみんさん
>バガボンドさんは、白黒写真しか写されないのですか?

むかし、レンジファインダーのライカで写真を撮りまくっていた時代に、フィルムはASA400の高感度をもっぱら使用して、撮影したネガは写真部にたのまずに(取材のものは別)自分でタンク現像して楽しんでいました。そのときいらい、写真は白黒が好きです。屁理屈を申し上げれば、カラー写真の色彩は事物や空間の厳密な色彩を捉えたものと言うよりも、あきらかに三次元の空間に散乱するひかりの波長の模擬(平面に置換した擬似的色彩)でしかないからかもしれません。それから、白黒、モノクローム写真にはひかりの状態が階調により正確に再現定着されることによって、質感などをふくむより本質的で抽象化された「瞬間」を得ることができるのに対して、カラー写真は説明的でその分、リアルな世界から離れるのではないかなと考えるからです。もちろん、わたしは油絵をむかしから個人的に愛好しているので、断言できるのですが(笑)、油彩画などでは、色彩と色彩による多重的デッサン(空間構築)が核であるわけですけれど。

すみません、こんなとこであります。

(2005.01.11 22:04:46)

Re[2]:夢をみる力(01/10)   とこみん さん
バガボンド6449さん

すいません。5日間考えたけど(←嘘)ほとんどよくわかりません。

>むかし、レンジファインダーのライカで写真を撮しんでいました。

レンジファインダーのライカというのが、まずわかりませんでした。


>もちろん、わたしは油絵をむかしから個人的に愛好しているので、断言できるのですが(笑)、油彩画などでは、色彩と色彩による多重的デッサン(空間構築)が核であるわけですけれど。


ここがとくにわからないところです。
カラー写真から油彩画の表現方法にとぶのは、飛びすぎではなかろうかと・・・

>すみません、こんなとこであります。
 
すみません、頭悪くて。(苦笑)

-----

(2005.01.16 16:37:50)

お答えしますRe[3]:夢をみる力(01/10)   バガボンド6449 さん
とこみんさん
距離計連動式のファインダーを持つカメラのことです。ライカではMシリーズ、ニコンではSシリーズが有名です。一眼レフカメラは撮影するレンズを通過する光が、そのままファインダーのノゾキ窓へ届くのですが、レンジファインダー(距離計連動)では、ファインダーのノゾキ窓と撮影用レンズは別々で、その間隔を使い撮影対象の距離を正確に測定するのです。一眼レフは撮影レンズの光がまっすぐそのままに見れるために便利な反面、シャッターを切るときに反射用の鏡を一瞬動かさなくてはならず、シャッター音がおおきくなる、手ぶれが出やすいなどの欠点がありました。とくに劇場や舞台の撮影などでは、ばしゃばしゃというおおきなシャッター音がその場の雰囲気を壊しかねないために嫌われました。レンジファインダーはシャッター音がほとんどしないために歓迎されました。ただし、これらは現在の電子化されたカメラやデジカメでは関係のない話です。音楽をCDで聴くかLPやSP盤で聴くか、スピーカーはどれがいいかみたいな趣味の分野にまたがる要素の含まれた話です。

>カラー写真から油彩画の表現方法にとぶのは、飛びすぎではなかろうかと・・・
表現という観点から書いたのでしたが、飛躍しすぎかもしれません。ひとつは、カラー写真の色彩が現実の事物が放つ色彩とは「似ていて非なるものである」ことを言いたかったのです。そのためにカラー写真では一般にネガ(カラー)フィルムでなくより色彩が現実とちかいといわれるポジフィルム(リバーサルフィルム)をプロは使用します。
油彩画うんぬん以降の話に至っては、まあ、一種こだわりの世界なので、本気で書き出すと書物が何冊も書けるくらいアリマスので、あらためていずれ機会を見て日記で取りあげてみようと思います。とりあえず、そんなとこでかんべん。 (2005.01.16 19:56:30)

Re:お答えしますRe[3]:夢をみる力(01/10)   とこみん さん
バガボンド6449さん

早速にお答えいただき、ありがとうございます。
よくわかりました。
そーいえば、昔一年だけ写真部に居たとき、教わったことがありました。(汗)

>>カラー写真から油彩画の表現方法にとぶのは、飛びすぎではなかろうかと・・・
>表現という観点から書いたのでしたが、飛躍しすぎかもしれません。ひとつは、カラー写真の色彩が現実の事物が放つ色彩とは「似ていて非なるものである」ことを言いたかったのです。そのためにカラー写真では一般にネガ(カラー)フィルムでなくより色彩が現実とちかいといわれるポジフィルム(リバーサルフィルム)をプロは使用します。

このことに関しては、どんなカラー写真も実際の色を写すものではないと、思っています。

>油彩画うんぬん以降の話に至っては、まあ、一種こだわりの世界なので、本気で書き出すと書物が何冊も書けるくらいアリマスので、あらためていずれ機会を見て日記で取りあげてみようと思います。とりあえず、そんなとこでかんべん。

お忙しいのに、ありがとうございました。
今日のワン太くんの写真、逢えて嬉しくなるような、お顔です♪


-----
(2005.01.18 00:37:22)

Re[1]:お答えしますRe[3]:夢をみる力(01/10)   バガボンド6449 さん
とこみんさん
>今日のワン太くんの写真、逢えて嬉しくなるような、お顔です♪

あれでなかなか恥ずかしがり屋です。 (2005.01.18 10:38:29)


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