石冢雄人のナイチンゲール・カンパニー

2006/12/24(日)07:30

1949-2006

極東(86)

舗道の敷石も野外駐車のボンネットも夜半に降ったらしい雨で濡れている。見上げる空はどんよりと灰色で大気に含まれた過剰な水分が開いた瞳孔へいまにもしたたり落ちてくるようだ。湿った空気が却って気持ちがいい。路地から通りに出てコンビニにはいるとジングルベルの音楽が鳴っている。品揃えもすっかりクリスマス色で雑誌のコーナーで週刊誌を立ち読みしポストに差された朝刊の「本間税調会長辞任」の横倒しの特号活字を覗きつづいて朝食に何を選ぼうかと店内を一周した。結局なにも買うものは見つからず、店を出て車道を渡りそこでまた曇った空と街路樹の交差ぐあいを仰ぎ見た。その格好を保ったままで舗道を移動する。はたからみればどんな風に見えるだろう。口こそ開けていないがサンダルによれよれのジーンズにセーターを着込み坊主狩りですこし人相の良くない四角い顔が顎を上げたまま歩いている。空と木々の枝々の交差具合はモンドリアンの初期作品のデッサンのようで、北京で開かれている六カ国協議という摩訶不思議な会談の筋のごとくに錯綜し、その鋭利な木の枝の黒い直線の流れを目で追ううちに天地はいつのまにか反転して川面に映る冬景色をのぞき見ている錯覚におちいる。なるほど自分はこうしてさかさまにいかさまな世間の師走を歩いているわけかと一瞬おもったり、この銀河のどこかにはこうして逆立ちしたまま生涯を送る知性体もきっといるのだろうと空想してみたり、ちょびちょび喉を潤すために呑んでいる「21世紀土佐焼酎・海洋深層水仕込み 龍馬の海援隊21度」の特段においしいというわけでもない味をあらためて唾液の中に回想してみたりして銀行の角を曲がった。そこがわずかに段差になっているのだが逆立ちして歩いている精神は気がつかない、あっとおもったときはどぶ板の隙間の穴のひとつにサンダルの先が挟まっていて、そこを無理強いしても抜けようとした勢いがサンダルを孤立させて、どうやら片方だけが裸足になってシカシまだ歩いていた。それほど空が面白かったわけでもなくそのとき頭が見ていたのは、いかにも地団駄踏む具合で駄々コネダダイスト国家の六カ国協議の不可解でありあれほど戦争好きな米国がなんでまた半島の北にはじっと我慢のポーズをしてみせるのかという素朴な疑問であり、米朝が交互に演じる疑似恋愛活劇の出鱈目の奇々怪々をあいかわらずなにかすごい政治的出来事のごとくに報道するメディアという共犯者のファルスぶりだった。思考がそのあたりで空中を未確認飛行物体が走りすぎて足下に脱兎のごとき猫の数匹の疾走がはじまったところからようやくにしてふたたび天地がもどり左肩を落とした格好で10メートルもどってサンダルを履き直した。その時点ではバンコ・デルタ・アジアにこだわる北朝鮮代表とクリスマス帰国を急ぐヒル国務次官補の笑劇のことなどすっかり忘れてしまい、ついでに朝食のこともどこかへ行ってしまっていてどうしたわけか最後のあがきをマンホールの出口の鉄の格子を握っているハリー・ライムことオーソン・ウエルズの手の演技のクローズアップシーンがいきなり脳内視覚野に映し出された。たしかそういえば、と味噌のかけらのひとつが「第三の男」の原作者であり脚本を書いたグレアム・グリーンの弟ウーゴ(hugh Greene)が兄貴の死後にBBC英国放送総裁に就任したんだったっけとマルコーニ無線技師のスパイキャッチャーが指示情報をシナプスのひとつに送り出してきて、遠近法の消失点から来るアリダ・ヴァリがロングコートに両手をつっこんだままジョゼフ・コットンの前を無視して通り過ぎる、かの落ち葉舞う墓地でのラストシーンがあざやかに眼前してしまうのだった。それにしてもあの落葉はいったいどこから落ちてきたのか?普通に考えればすっかり葉を落とした並木にもはや落葉はあり得ない…曇天のモンドリアンな空を見ながらそう考える。撮影カメラの前、その上あたりから降っていたようにもみえたがじつはスクリーンの外で降っていたのではなかったのか。そしてまたアリダ・ヴァリが大写しになり消えてゆく1949年のその画面の外側では、まもなく米ソ代理の朝鮮戦争がはじまり、敗戦国日本は未曾有の戦争特需に沸くことになる。そこから半世紀がたち半島は休戦状態のままに放擲させられてきて、大国の狭間で政治的仕掛けのひとつがまるであきられ見捨てられてしまった玩具の兵隊のようにのびきったバネを露出させて自己主張をはじめたからと言って、米中にとってはおそらくは「どうでもいいこと」なのだろう。出来事の背景に描かれた書き割りのチープさと流される勇ましい軍楽隊のラッパの響きばかりに酔っていっこうコトの次第を理解しようともしないわが国外交部のお粗末と武器商人たちのしたたかなエクセル操作にまどわされる虚構のパワーオブバランス。だれかが「ちぇ!」と舌打ちし、このウソで固めた極東アジアの笑劇の幕を引いてしまわないのか。冬至というのにすこしも冬らしくない街路にもういちど飛び出して、あらためて半世紀の時間の流れがつくった極東の政治的暗渠を検証してみるか、などとおもう。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る