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2004年05月24日
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【第981夜】 2004年5月24日
杉浦康平
『かたち誕生』

1997
NHK出版


 杉浦さんが‥唐草文様を見ている。そこからエジプト、ギリシア、東アジア、中国、日本をまたぐユーラシア植物帯のうねりが立ち上がる。パルメットから忍冬唐草へ。
しかしその文様をもっとよく見ていると、植物たちは動きだし、そこに渦が見えてくる。
 日本の正月では、この唐草文様を覆って獅子舞が踊っている。中国では獅子だけではなく、龍も亀も、鳥も魚も、その体に渦を纏って世界の始原や変容にかかわっている。杉浦さんは‥目を転じ、その渦がときにバティック(更紗)となって人体を覆い、古伊万里の章魚唐草となって大器となり、ジャワ動く影絵となって夢に入りこむことを、抽き出してくる。
 こうして杉浦さんに‥よって、どの渦にも、天の渦・地の渦が、水の渦・火の渦が、気の渦・息の渦が、躍動していくことになる。
 これらの渦を総じていくと、カルパヴリクシャが待っている。樹木が吐く息のことである。けれども杉浦さんが‥見るカルパヴリクシャハは、地表を動き、村を渦巻き、空中の雷や鳥の旋回や風の乱流と重ね合わさっていく。また、そのカルパヴリクシャは体の内側に入ってDNAから三半規管におよぶあらゆる捩れとも、なっていく。



 バウハウス以来の多くのデザイン論というものは、渦の形態を比較するだけだった。大半の文化人類学は渦のパターンが儀式や会話や物語のどこに出てくるかを調べるだけだった。
 ところが杉浦さんの‥目は、何も言わない図像や線画に想像力による動きを与えることから、その研究を開始する。そうなのだ。杉浦さん‥その人がデザイン論の主語であり、杉浦さん‥その人が新たな文化人類学の対象になっていいほどなのだ。

 本書のタイトルになっている「かたち」を、杉浦さんは‥「かた」と「ち」に分けた。
 「かた」は形代や形式のカタ(形)、象形や気象のカタ(象)、母型や原型や字型のカタ(型)などを孕んでいる言葉で、「ち」はイノチ(命)やチカラ(力)やミヅチ(蛟・蜃)のチ。どちらがなくても「かたち」は誕生しない。
 では、どのように「かた」と「ち」は出会ってきたか。杉浦さんは‥祈りのなかに、文字の発生文化のなかに、葬祭のなかに、その出会いを拾い、そのすべてをひとつずつ照応させて、そこにひそむルールと、そこにかかわる人々のロールと、そこでつかわれたツールの、さしずめ“ルル3条”をつなげた回廊を次々につくっていった。
 杉浦図像学あるいは杉浦観相学とは、このことだ。





 久々に杉浦さんについて書いている。もっとも、今夜はできるだけカジュアルに書きたい気分になっている。
 池袋の喫茶店「ろば」の2階の木造事務所に、ちっぽけな工作舎を開いたころ、ぼくは杉浦さんの‥すべての言動に感動しまくっていた。そのことを書いておく。
 そのころ杉浦さんは‥小さな計算尺で版下指定をしていた。まるで数理学者のようだった。指定はスタビロの色鉛筆の深紅と臙脂。字は小さくて、間架結構が美しい。当時のぼくには、その計算尺と赤紫の文字が杉浦目盛と杉浦色というものだった。また杉浦さんは‥葉書より小さなカードを脇に何枚かおいていて、何かを思いつくとメモを必ず簡略なドローイングにしていた。それもやはりスタビロの色鉛筆。すべてはドローイング・メモ。走り書きは一度も見たことがない。なんであれ、丁寧に扱うこと、とくに本のページを繰るときは??。それが杉浦康平だった。
 杉浦さんは‥話をしながら、その時間がくると「あ、ちょっと待ってね」と言って、別室で必ずラジオの民族音楽と現代音楽の録音をしていた。そのテープ・コレクションは、おそらく小泉文夫や秋山邦晴を上回るにちがいない。耳を澄ます人、目を凝らす人。それも杉浦康平だった。

 こんな印象もある。杉浦さんは‥話の途中でハッハッハと笑うとき、そこで急転直下の切り返しと意表をつく折り目をつくっていた。
 たとえば、「そこのとこをよく呑みこんで、分解製版をよろしくお願いしますね」。そう、印刷所の担当者に言って「ハッハッハ、ごはん食べてからのほうがいいよ。一緒に分版を呑み込めるからね。そうすると腑に落ちる」。
 このハッハッハは、冗談のように見えていて、いつもとんでもない発想にもとづいていた。のちに誰もが知るようになったろうけれど、杉浦さんには‥「図像が世界を呑み、世界は図像を吐いている」という見方があるのだが、印刷担当者はその「思想」を椅子を立ちあがりざまの瞬間に送られたわけなのである。
 可憐な担当者は、汗を拭きながら、「いや、ごはん抜きでがんばりますから」と言って、そそくさと帰っていく。

 これは何度か紹介したことだが、杉浦さんの‥アトリエでは、誰もペーパーセメントをつかわない。両面テープを3ミリ角にハサミで切って、どんなものも貼る。これを杉浦さんは‥ドライ・フィニッシュと名付けていた。
 杉浦さんは‥厖大なブックデザインとエディトリアルデザインを手掛けてきたが、出来上がったばかりの本をぺらぺら “追認” しているところを、ぼくは見たことがない。そっと机の端に置いておいて、ずいぶんたって、一人になってから見る。
 こんなこともしだいに気が付いた。杉浦さんは‥めったにパーティに出ない。杉浦さんは‥広告の仕事はしない(弟は資生堂のパッケージデザイナーのトップだった)。杉浦さんは‥年賀状は作らない。そのかわり海外から細字で感想をしるした絵葉書が届く。そして杉浦さんは‥アメリカには絶対に行かない人である。
 理由を聞くと、「ま、一人くらい抵抗する者がいたっていいでしょう」。それ以上の理由は聞いたことがないが、たった一度だけ、何かの会話のときに、「原爆など落としちゃいけないよ」とぽつりと言った。

 ぼくにとっての杉浦さんは‥夜中に電話をしてくる杉浦康平であることも多かった。
 ずっと以前、工作舎で誰も電話に出なかったことがあった。翌日、用件があって杉浦アトリエに行くと、「きのうはみんな早く帰ったみたいね。若いうちは寝ないでもやりたいことがあるもんだけれどね、ハッハッハ」と笑った。
 話の最後がハッハッハで終わるときは、よほどのメッセージなのである。その夜から工作舎では誰かが不寝番をするようになり、そのうち誰もが寝なくなっていた。しばらくたって、ぼくが夜中の杉浦アトリエに一人で調べものをしていると、珈琲でも飲もうかと言って、妙にニコニコして前に坐り、こう言った。「そういえば、最近は松岡くんのところは夜中も起きているね。やっぱり頼まれなくても徹夜しなくっちゃ、若いうちはもったいないものね」。

 こういう杉浦さんの‥一挙手一投足にまつわる場面は、それこそ数かぎりなく、ぼくの目と耳と体に残ったままにある。ぼくはその数々の場面をあえて伝説にし、あえて杉浦神話にしたいとさえ思う。
 古代このかた、そのようにしてしか「事実」は「物語」として伝えられてこなかったのだ。
 きっとぼくは、いつか杉浦さんを‥めぐるちょっと長めのものを書きたいのだろうと思う。
 それが法華経ふうか維摩経ふうか、秋里籬島(第386夜)や坂崎坦(第505夜)みたいなものなのか、それともエレナ・ガーロ(第404夜)やガルシア・マルケス(第765夜)のようになるのかは、わからない。
 杉浦さんは‥神話もSFも映画も好きだから(ブラッドベリやバラードやタルコフスキーについて何度話しこんだことか)、エッシャーのような立体映像を交えた杉浦DVDのようなものも、きっとおもしろいだろう。ときには閑吟集や斎藤史の『記憶の茂み』(第692夜)のような歌や、あるいはヒップホップのような合いの手をまぜて。……

全文はこちら。






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最終更新日  2004年05月25日 00時28分44秒
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