母から学んだお洒落、 ・ 私のオシャレの出会い ・私が小さい頃、学校から帰ってくると、母はいつも、夕方の買い物の為にいつも念入りに化粧をしていた。子どもの頃は、父の勤める職員住宅のような4階建ての”アパート”に住んでいた。転勤族だったので、母は大きなドレッサーを持たず、姫鏡台の様な物をテーブルに置いていた。母にとってそれが立派なドレッサーだったのだろう。 髪の毛のセットも自分で器用におこなう。髪の毛が落ちても良い様に足下に新聞紙を広げていた。午後のひとときをゆっくり化粧に費やしていたのではと思う。 ”ただいま” ”おかえり” いつも、座ったまま後ろ姿だった。 私は、母の近くにすわって、今日の学校での出来事を話し出す。 でも、そのときじろじろ母の化粧を見ていると叱られたものだった。 子供心に女性の化粧をじろじろ見ることは大変失礼なことだと知った。 だから、今でも人様がお化粧しているところは見ないようにしている。 それにしても、母の、化粧はとても長いのである。 なんせ、洗顔から毎日マッサージまで念入りにするのである。彼女のお気 に入りは資生堂。 時々行くなじみの化粧品やさんには私も大人になるまで世話になった。 必ず、おまけがもらえるのが私は楽しみで、イソイソついて行く。 母が機嫌が良いと 何か買ってもらえる。 そこにいたお店のママと販売員さんが綺麗だったことを記憶している。 ここで、あたかもサロンのように小1時間は過ごしていた。 今は、純粋なお化粧品取り扱い店って少なくなった気がする。 マツキヨのようなお店もいいけどね。 デパートじゃなく対面式も悪くはないよね。 現在母は、78歳。(2002年) 若いうちから、いいものを使っていたのか、日に焼けていないからか しみひとつなくきれいだ。ただ、化粧方法が昔と変わっていないので ちょっと年のわりに白粉が白いかな。指摘すると怒るので言わない。 さすがに、足を悪くしてからは、オシャレも後回し。 素っピンでいる事はないけれど。素っピンは人には見せない人かも。 えらいな。ゴミ捨ての時もお化粧をしていたもの。 それから、彼女の身支度。 ストッキング等 言えようと室内用と外出用と分けていたと思う。 今も家の中と外出とで履き替えている。 室内用のストッキングののまま、靴をはくことはなかった。 身支度の仕上げは、香水(コロンだと思うけど)。 直接肌にはつけずにコットンに含ませて、ブラジャーの中に入れていた。 直接つけるときついからだそうだ。 今思うとやはりおしゃれだよね。 私は、母が使い終わった香水ビンを何となく集めていた。 残り香を密かに楽しんでいた。 たしか。”禅”と”琴”そして、柔らかい桜色のビン?、そして、香りの 鋭い”リバージュ?”だったと思う。(これは好きになれなかった) 子供心に、”禅”のボトルは美しいと思った。 黒い物で美しいと思った第1番目の小物かも。 子供は黒を美しいとは思わないはず。 女の子の好奇心の深さは、母親の想像をはるかに超えると思う。 私は、口紅より何より、”香水”瓶にひかれた。 どれも、美しいガラスのこびんだった。 時々、母が外出するのを”チャンス!”と思うことがあった。 ”いなくなった”のをしっかり確認してドキドキしながら、母の引き出し をあけ、盗人のように物色した。 肌色の美しいストッキングにうっとりした。 今のパンストではなく、いわゆるガータストッキングであった。 セクシーなガ-タベルトではなく、ガードルの様なものにホックがついて いたと思う。私はこっそりはいてみた。 当時、ごぼうのような足だったので、似合うはずがない。 しわしわの、ルーズストッキングって感じ。 大人になったら、、、ッテ・、期待した。 次の目的は”口紅”母が帰って来ないかドキドキしながらこっそり紅をひ く。(人を食べました、、みたいに周りは真っ赤)見つかったら、きっとすごく 叱られる。 かなりはみ出る。吸血鬼も吃驚して逃げてしまうだろう。 それより、よくこんなまずいものを毎日召し上がってるもんだ。 大人って大変なんだ。拭き取って(唇のまわりはまっか)もう一度、緊張 しながらひいてみる。。。。。なんか変。似合わない。 ストッキングと同じく似合うはずがない。変に艶かしい。 どれもこれも、まだ、7、8、9歳の頃の思い出。 セピア色の母の若いときの写真は何より私の宝物。 装おう楽しさを、母から感じとったのが全てのきっかけ。 それからできる私の香りのオシャレは、多分”リンス”が、始り。リンスの香り こだわった。それで満足するはずが無い。今のマツキヨのように自由に手にとっ て試しができる時代じゃなかった。まして、子供だったし。 今は足を悪くして、手術をしてから身障者手帳をもらっている。自分から外出す ることはない。美容室にも行かなくなった。寂しい気はするが、年だから。。。 しょうがない。 何よりも健康で長生きをしてほしい |