2004/12/04(土)16:39
子供はペットか?育児をしているのか?
朝コーヒーを飲みながら職場にあった雑誌に目を通した。
辛辣なコメントのオンパレード。でも、心地よく、自らも反省することがあった。
”公と私の区別を親がつけられない”
たとえば、家庭科の保育の授業で、子供を育てるってどんなことだろう?と高校生に聞く。
”ご飯を食べさせてお風呂に入れて、遊んだり勉強教えたり、、とか。”ってこたえる生徒。
”女の子にはかわいい洋服着せて、一緒に買い物行ったり、男の子は、お父さんとバイクのツーリングに行ったりetc”つまり楽しいことの羅列。理想ばかり。
だから、、、ね。。
いろんな意見を突き詰めていくと”自立させる”と私がほしい答につながる。
高校生のうちは、”子育て”ペットのように扱う節もあるけれど、(体験してないから考えろという方が無理かも)今の”親、大人”はどうなんだろう。。。自分の子供だけを、かわいいと育て、うちの子さえしっかりしていればというのも見受けられる。”それはとても感じる。つまり自分のことだけで精一杯なのかな。
ともに生きる”というのは、家庭科の授業だけのことなのかしら。
昔の長屋生活のように、隣のおばちゃんがに怒鳴られたとか、しかられたという様子は、あまり見かけないし、逆にお節介になってしまうことも。
私も電車や、バスの中病院
での親子の様子など、時々そのマナー違反にむっとくることがある。子供は親が教えなければ、公の場だから、、ということはわからないと思う。3~5才児だけどね。
子育ては、根気がなければできない。親が忙しいからとか理由にならないと思う。あなたしかいないのですから。
騒がせている大人も大人。他人にいわれなくては、自分たちが迷惑をかけてることすら気づかないのか、大人の方が情けないという。注意されなければ黙認されていると大きな勘違いをしていると思う。”黙認は”許しているのと同じだと思う。
”親としての責任を放棄している”
ペットのようにかわいがるだけの親は、親の責任を放棄している。
”居心地のよい家は子供にはマイナス”
親は子供にとっては最後の砦。
家の中をあまり居心地よくしてはけない。少々厳しいぐらいがちょうどよい。今の親は、子供の前からハードルを一つ取り除くことに一生懸命。子供は、ハードルを跳び越えるだけの足腰が育たない。社会に出てからのハードルを越えられない若者が多い。。。
私も同感と思っています。
確かに親のそばにいると、安心、経済的、合理的、わがままが聞く、気を遣わない、親は何でも聞いてくれる。
これでは、親がいなくなってからこの子供はどうやって生きていくのでしょう。
私は常に親から”一人っ子だから、親が死んだら一人なんだよ。そのときからしっかり生きていかなければならないから。今を大事にしなさい。きっと後で役に立つことばかりだから”と耳にたこができるほど言っていた母に感謝です。
だから、今までも、どうやってでも贅沢しなければ生きていける自信がありました。
改めて”親が声を上げないのは黙認したのと同じ”
サイレントとは、イエスと同じ。何も言わない大人に責任を感じてほしい。特に、子供ではなく若い人も注意されないと本当にわからないのだから。教えられていないかわいそうな子供だったのだからと思う。
(ここからは、、ですます体で、、気分が変わりました。反省を含めて謙虚にの意味を込めて)
なんだかこれって、基本の基本。
私も40をすぎて周りをみると、、なるほどなと思うのはそれだけ年をとったんでしょうね。
私ですか?うるさかったら、”すみません静かにしていただけますか”ってはっきり言います。たばこに関しても同じです。これは昔から変わりません。ファミレスでも我がもの顔に大きな声でしゃべっている集団を見かけますが本当に大迷惑です。周りを見えないのは怖いし、みっともない。
親から叱られた経験のない子供が多く、教育の現場でも困ることがあります。”しかられてことがない”信じられない話だけどそういった子供が多いのです。ごめんなさいがいえなかったり、すごい目つきでにらみ返す子供ってたいていそうですね。
しかられた経験ができてよかったね。
、、と言っちゃいますよ。一生こんなんでしょうがないでしょ。
なぜ注意をされたのか、何が悪かったのかを考える時間さえ与えられてこなかったのですね。
子供が気の毒です。
私たちがちゃんと教えてあげなくては、と思います。
我が家の20才の若ぞーにも、未だに言っていますよ。知り合いにあったときの挨拶。何その挨拶?って成人したからこそ言える。”大人として恥ずかしいよ”って。”ばかじゃないの”といいたくなりますけれどね。
逆に、言われることもあります。そのときは私が悪いのですからね。ただ、親は親でいたいですね・。”理解”と”容認””まあいいでしょう”は、全く違いますよね。そこのところ難しいです。
だいたいこのへん、、の見極めが料理の味付け以上に難しいです。
今日のいいこと日記
改めていい刺激になった雑誌は、”愛和”という雑誌でした・愛知と見間違って、名古屋は教育熱心だからこんな本を自治体で出しているのかすばらしいと思ったら、”愛和”でした。
コメントは、きん・ぴれいさんでした。
ちょっと改めて自分もまだ、”間に合う”と思いました。子供たちに教えなければならないことはたくさんあります。
自分も学ぶことをやめたらそれまでだと思います