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カテゴリ:故事成語
『人生意気に感ず』
季布に二諾無く 侯贏(コウエイ)は一言を重んず 人生意気に感ず 功名 誰かまた論ぜん この言葉は、『唐詩選』の巻頭部分を飾っている、魏徴(ギチョウ)の「述懐」 という詩の一節に出てきます。 魏徴(580~643)は唐の時代の政治家で太宗皇帝に仕えた人です。 この詩は、初代皇帝の高祖に仕えていた時代に書かれたものです。 魏徴は大変有能な人物であったようで、魏徴が64才で亡くなったときの 太宗皇帝の言葉は有名です。 「人を鏡とすると、自分の行為が当を得ているかどうかわかるものだが、 私は鏡とすべき人物を失った」と大いに嘆いたという事です。 1 魏徴は、唐の初代皇帝・高祖=李淵(リエン)の敵に仕えていた。 2 雇い主が唐に帰順したときに高祖に雇われた。 3 その後、高祖の皇太子(兄)の側近になる。 4 その時、太宗(弟)の暗殺を勧める。皇太子は優しい人でその案を退けた。 5 後継者争いで皇太子(兄)が暗殺された後、兄弟の争いの責任を問われたが 6 二代皇帝になった太宗(弟)に許され、臣下として迎えられた。 太宗皇帝に、なぜ私を殺そうとしたと問われた時、 魏徴は「殺していたなら、あなたは目の前にいません」と臆面もなく答えたそうです。 魏徴は、常々自分の事を忠臣ではなく、良臣と言っていたようです。 太宗皇帝は人を見る目を持っていて、魏徴が自分の立場における 最善の選択を常に行なっている事を知り 自分を殺そうとした魏徴を許したのでした。 自分の命の事より、最善を尽くす事をモットーにしていて、 太宗皇帝を大いに助けたようです。 このような性格の魏徴ですから、太宗皇帝に言いにくいことをズケズケいっていさめたそうです。その数200回以上も。 前置きが長くなりました。詩の説明をします。 この詩は、高祖帝に仕えていたとき、敵である山東の徐氏を説き伏せに 行く途中の心情を歌ったそうです。 唐の初代皇帝・高祖は、かつて敵であった自分を臣下として認めてくれて 今回も、自分の頼みを聞いてくれて大役を任せてくれた事に 大変恩義を感じている気持ちを歌っています。 ★中原 鹿を追う にはじまり後半に『人生意気に感ず』の言葉が出てきます。 中原初逐鹿~ 季布に二諾無く (季布は楚の国の人で任侠をもって知られ承諾したことは必ず守ったそうで、季布の一諾ということわざもある。) 侯贏(コウエイ)は一言を重んず (侯贏は魏の時代、時の皇帝信陵君が他国へ遠征に行く時に自分は高齢の為についていけず魂となってお供すると約束した一言を守って自刎した忠義の人。) 人生意気に感ず (陛下に誓ったからには山東を鎮圧しなければならない、人間は気心が通い合うことを願っているもので、自分も天子の知遇に感激した) 功名 誰かまた論ぜん (もはや功名など論外である) ムースの読んだ感想では、功名心より、義理が大事という事ですね。 恩に報いることが一番大事という事でしょうか。 魏徴という人の生き様はすさまじいという一言ですね。 幾たびも生命の危機(殺されていてもおかしくない)に何度も会いながら 陪臣としての務めを全うしていて、亡くなった後に皇帝から惜しまれる ほどの人物なのです。 ムースは、以前では『人生意気に感ず』の意味を、男のきっぷのよさ ぐらいに思っていましたが、調べてみるとなかなか奥深いものを感じます。 『言葉の中にはその人の人生がある』と感じるムースさんなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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