朝日新聞夕刊の素粒子が嫌い
数年前から朝日新聞夕刊の一面にあるミニコラム「素粒子」が嫌いです。当初からなんとなくいけ好かない感じは抱いていましたが、去年、千葉県浦安市の成人式の様子を、「ねずみ踊りに喜んでいるようじゃこの先が思いやられる」と書いて、その後で市の抗議を受けても突っぱねる姿勢を見た頃からから確信に変わりました。素粒子の筆者はセンスがない。常識とか見識とか配慮とかを通り越して、なんかセンスがねぇ。5月18日金曜の夕刊はこうだった。「役に立たなかった防弾衣着用。何に怒っているのか定かでない長久手の立てこもりで警官に犠牲」一行目で「役に立たなかった防弾衣」と書いてしまうところに、筆者のセンスのなさを強烈に感じる。もちろんこのバカ筆者だって、殉職した警官を悼む気持ちはあるだろう。どちらかと言えば、この身勝手な加害者を糾弾したい気持ちであるはずだ。なのに出だしでいきなり「役に立たなかった」は、被害者とその遺族に対しての配慮を欠いている。被害者のことを役に立たなかったと言っているのではもちろんないし、直接、警備態勢の不備を言っているのではないけれど、死んでしまった人に対して「防弾チョッキ、役に立たなかったね」って、非道すぎないだろうか。感じられるニュアンスが、「あ~あ、やっちゃったね」って感じ。テレビドラマでお煎餅かじりながら呟いているみたい。報道を見る限り、防弾衣の隙から玉が貫通してしまったようだけど、それを「役に立たなかった」という単純なひと言で言い切る感覚がわからない。じゃあ、防弾衣はイランって?百歩譲って、「役に立たなかった防弾衣着用」という一文で、警察の救出計画の手際が良くなかったことを揶揄したかったんだと考えてみる。それだってやっぱりセンスがない。笑えない。考えさせられない。毎回読む側はイヤでもこの筆者がどんな人物なのかを想像させられながら読んでいる。私はシニカルを気取っていて、愛されない性格のおっさんなんだと思っている。何が一番イヤって、「高尚なレトリックを用いて世の中を批評しているのは自分だけ」とか思っていそうなところがイヤだ。面白くないから、やめて。その上から目線、やめて。ほぼ毎回、最後に名句を引用しているけれど、こんなコラムに引用される句もさぞ迷惑だろう。文句言われないように、いつも故人の句なんだな、きっと。というわけで、しばらく素粒子ウオッチャーになりたいと思います。ウオッチャーになってみれば、痛いこと書いていても「またやってくれた!」という発見の喜びで苛立ちが半減されるはず。頑張ります。