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カテゴリ:東海道五十三次:往路
東海道最初の宿場「品川」でござんすよ、おっかさん。
江戸を出る旅人との別れを惜しんで見送る人と、江戸にくだる旅人を出迎える人とで、いつもにぎわっていたそうでございますよ。 幕末期には旅籠が100軒もあり、吉原に次ぐ遊里としても人気が高かったらしく。 そう言えば、居残り佐平次はここの噺でした。 この頃は、すぐ海岸線だったんですね。今はちっとも面影はないけれどー。ぷぅ。 広重の絵、右に描かれている「八つ山」の前にある「八つ山橋」を渡り、京急の踏切を過ぎると、品川宿なのですが。 旧東海道は、 ふつーの商店街 なのですよ、びっくりー しかも祭日だったからなのか、人通りもまばらでひっそりとしているのです。 え!?ここ東海道の品川宿ですよ!? みんな知らないの!? ちょっとちょっとー と、肩すかしを食らった気分でした(笑)。 しかーし、さすがはかつての宿場、見所が満載なんですよ。 街道沿いには「問答河岸の碑」「○○宿の松」や「品川本陣跡」「問屋場跡」、そして「東海道七福神」の寺社などが目白押しなのです。 東海七福神の一つ「養願寺」と「一心寺」 ご馳走を目の前にした子供のように、あっちもこっちもと見ていましたならば、 う~ん、ちっとも進まないのねん あまりの進まなさに途中で諦めまして、品川宿だけを後日網羅しようとひたすら先を急いだワタクシでございました。 五十三次さんよぉ、 アンタぁ、なかなか奥が深いぜっ 交差する大きな道路を渡り、いくつかの商店街を抜け、いよいよ品川宿のはずれまで来ました。 京浜急行の駅で言うと、「北品川」→「新馬場」→「青物横丁」→「鮫洲」→「立会川」のちょっと先まで。 時間は14時ちょうど。 この先に「鈴が森刑場跡」がありますが、その手前に「泪橋(現:浜川橋)」と言う橋がかかっています。 この橋は、罪人とその家族や身内の者との最後の別れの場で、お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられたそうです。 カモ(?)が気持ちよさそうに泳いでいましたよ。 そして「鈴が森刑場跡」。怖いので写真は撮りませんでした・・・。 鬱蒼とした広大な敷地を想像していたのですが、これまたひっそりこじんまりとあって、ビックリしました。 最初の宿場は、なめていたワタクシにびしっとパンチを食らわせてくれましたよ いやはや、楽しくなってきました♪ 次の宿場は「川崎宿」です。 ・・・つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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東海道には、松がよく似合う!いいですね~
泪橋ですか~ 今では親子でも縁を切り、知らん顔!! 極刑により処刑されても 遺体を引き取りに来る人は殆ど居ません みんな無縁仏です。涙 (Jan 15, 2009 08:37:37 PM)
たっちん5035さん
こんにちわ、ありがとうございます。 >東海道には、松がよく似合う!いいですね~ > >泪橋ですか~ >今では親子でも縁を切り、知らん顔!! >極刑により処刑されても >遺体を引き取りに来る人は殆ど居ません >みんな無縁仏です。涙 そうかー、海岸沿いだから松なのですね。 地元方面日光街道は杉ですから、ちょっと違和感がありましたが(笑)、納得です♪ (Jan 16, 2009 10:23:45 AM) |