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テーマ:旅のあれこれ(9925)
カテゴリ:東海道五十三次:往路
浅間神社を出ましてね、住宅街を進んでいきますと松原商店街に入ります。
通行止めにして、露店も出ていたりしまして、それはたいそうな賑わいでしたよ。昔もこんな感じだったのかしらん。 そんな思いを馳せながら、商店街を抜けますと(今の)帷子橋がかかっておりましてね、みんな下を覗いておったとですよ。 なじぇにみんながみんな覗いていると自分も覗きたくなっちゃうんでしょうねぇ。 びっくりするくらい肥えた鯉がびっくりするくらいの数いたとですよ。 こ、この様な鯉は群馬県の赤城神社以来ですな・・・。 しばらくその鯉をポケーっ眺めて、13時過ぎにその橋を渡りまして相模鉄道「天王町駅」をくぐりますと、いよいよ 「保土ヶ谷宿」だよ、おとっつぁんっ!!! 旧帷子橋跡 保土ヶ谷宿の先には「権太坂」と言う最初の難所があったため、ここで休憩をし英気を養ったと言います。 しかし、成人男性が1日に十里(約40km弱)ほど歩いたといわれる当時では、最初の宿泊地としては少し早い宿場だったようです。 織田・豊臣・徳川の戦国時代が一番好きなワタクシにとって「本陣」と言ったら、総大将のいる本営のことですが、ここで言う「本陣」というのは、公家や大名、旗本など公人たちが泊まる宿のことを言います。 一般の人や公人でない人が泊まる宿は「旅籠」です。 ○○屋なんつーのは旅籠ですね。 旅籠においては、神奈川宿の田中屋さんのように今も割烹料理屋として残っていたり、この「本金子屋」さんにおいては、今も金子さんが住んでいらっしゃるご様子。 この建物右端の玄関には、今の表札がかかっており郵便受けもありました。 「本金子屋」跡 その本金子屋さんを13時40分頃後にいたしまして、20分ほどで保土ヶ谷宿のはずれに至り、いよいよ最初の難所「権太坂」へと続くのでございます。 ・・・つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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