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テーマ:旅のあれこれ(9934)
カテゴリ:東海道五十三次:往路
掛川城であげあげで出発したワタクシ。
左かかとマメは思ったほどでもないけど、指の付け根が既にちょっちヤバいでござる どこまでもつか・・・!? 旧街道に戻りしばらく行くと「円満寺」があります。 ここの山門は、明治五年掛川城廃城と共に払い下げられた折に、掛川城にあった蕗の門(富貴門)を移築したものです。 移築にともない柱の下部を一尺五寸(約75cm)切り取って形を整えられていますが、今も当時のままの姿を残しています。 こういう使い方は、「宗安寺」の赤門(佐和山城の正門を移築)など意外とあり、城が残っていないとなおさらゾクゾクします その少し先に「平将門十九首塚」。 将門とその一党合わせて十九の首級が祀られている場所です。 平将門は、天慶二年(939年)に関東一円の国府を襲い、国司を追放して自ら文武百官を任命し、いわば朝廷の支配を排除して独立国を組織した武将です。 当時の人々にとっても、そして出身地が近いワタクシにとっても将門はヒーローで、以前大手町の首塚に行ったことがありますれば。 お参りをしていると、そこを管理しているじいちゃんに話しかけられまして、しばらく五十三次談義に花を咲かせたのでございました。これまた色々な話を聞きましたよ。ありがとうございました。 時刻は既に10時過ぎ。急いで先に進みます。 11時過ぎ「善光寺」前。東海道のちょうど真ん中にあることから「仲道寺(ちゅうどうじ)」とも言われています。 円満寺の山門/仲道寺 ついに中間まで来たでござる お参りした後、そこから気持ちの良い松林を歩き、天橋(あまはし)を渡りますと、 袋井宿だよ、 お袋さんっ!!! その橋のたもとに「どまん中茶屋」がありましてね、広重の絵に似せて造ってあると言う凝りっぷりをそこのじいちゃんに自慢され(笑)つつ茶を一服 あまりに自慢するもんだから(?)、 「それなら同じ構図で写真を撮るからお願いします」 と、じいちゃんカメラマンにして、あっちから・こっちからとあれこれ指図するワタクシ その後もしばらく話に花が咲き(笑)。13時。 じいちゃんのススメでご芳名帳に記帳しましたが、五十三次をやっている方で今日ここを訪れたのはワタクシで10人目(!)でした。東京の方多し。 意外とやっていらっしゃる方いるのねん 茶屋を後にしまして、後はひたすら歩きます。 袋井(出茶屋) 木・ぼう示杭・囲炉裏・煙草の火をつけている旅人・立て札に燕 同じ構図!? 特に寄り道するところもなく、ひたすらひたすらひたすら・・・。 そして、指の付け根もそろそろmAX痛くなってきた15時過ぎ。 木戸跡を通りまして、、、 見付宿だよ、おみっちゃんっ!!! 京からくだると、ここで初めて富士山が見えたところから「見付」の名前が付いたそうです。へーへーほーほー。 本日最後の宿、見付宿に入ってホッとしたのも束の間、またまた街道を見失い迷子になるのでございました。えっ!? ・・・つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 12, 2010 08:28:38 PM
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