|
テーマ:東海道五十三次(155)
カテゴリ:東海道五十三次:復路
さて、柏屋で弥次喜多と別れた後、1号線を逸れたり通ったりしながら、いざ宇津ノ谷峠へ
もとは蔦の細道と言う道を使っていたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉が後北条氏を攻める時、大軍を通すために切り拓いたと伝わる道で、その後、東海道として整備されたってぇわけですな。 その同じ道を、現代人の拙者が某ANTHEMを聞きながらノリノリで通りますyo(萌)。 いよいよ宇津ノ谷峠へ 左:東海道 右:蔦の細道 鬱蒼・・・ かつては石垣の上に延命地蔵堂が建っていました この石垣は、江戸時代中(18世紀末)頃、宇津ノ谷峠の傾斜地に地蔵堂(石垣上)を構える際、平らな土地を確保するために積まれたもので、明暦2年(1656年)に描かれた狩野探幽の「東海道地取図巻」にも既に小さな祠として描かれており、江戸時代前期から東海道を行く人々の信仰を集めていたそうな。 今はないのが残念無念。 ひぃひぃ言いながらも、案の定あっさりと峠を越えまして、眼下に見えるは間宿宇津ノ谷。下りは得意 昭和初期の宇津ノ谷 中央にまっすぐ東海道が通っている 平成最後wの宇津ノ谷 変わらず中央にまっすぐ東海道が通っている 間宿の宇津ノ谷 宇津ノ谷では是非ともお羽織屋に寄ってありがたーい そんなわけで、あっという間に宇津ノ谷を抜けて、丸子宿へ。 丸子川っぺりにある丸子宿の大阪・京方見付 夫婦喧嘩で食べられなかった弥次喜多同様、開店前で食べられなかった拙者は、今回こそはと丁子屋のとろろを思う存分食ったでござるよ 自然薯の赤ちゃん、幻の山菜と言われている「むかご」のから揚げをつまみながら一杯の至福。 定食には、とろ揚げ、お刺身、とろろに麦飯、お味噌汁にデザート。残せない性分故、おひつを平らげるのは難儀でござったよ。 いやー、超絶腹が出た。ぷ。 丁子屋 広重さんの絵にもあります 「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」松尾芭蕉 ん!?望遠鏡!? 広重さんの五十三次の絵を眺める為らしいwww まずは「むかごのから揚げ」で一杯 揚げとろ美味!!! お一人様はおひつが難敵・・・ デザートも付きます 丸子宿東木戸(江戸側の入り口) 最初の予定では寝不足な上に峠越えもしたということで、丸子で終了しようと思っていたがすかす、想定以上に腹が満杯、つまりは食いすぎだのでもちっと歩こうかなと思ったのと、最寄りの安倍川駅へ逸れるタイミングを逃しちったこともあって、えぇいっ、しゃらくせぇ、府中宿まで行ってやろうってんだ、てやんでぃ、べらぼうめぃってことで、安倍川を渡りましたっけ、、、あり!?川がない 工事中とありましたが、砂利しかない光景は不思議でした。 安倍川を超えると有名な「あべかわ餅」のお店がありますが、売り切れちゃったのか時間外なのかお休みなのか閉まってました。まぁ、腹いっぱいすぎて食えないけど(笑)。 安倍川 砂利しかねぇ・・・ 閉まってた;;; 川を越えれば府中宿。いよいよいよ暗くなってきまして、お寒い上に更に今度は老眼で地図が見えず難儀(爆)。 とーちゃん、情けなくて涙が出てくらぁ!!! やっぱ、暗くなってから歩くもんではないなーと、再確認。ちょいちょい迷子になりながらも、ようやく札の辻跡で終了で御座候17時半過ぎ。 よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ いやぁ、なんだかんだ色々ありましたな。おもしれぇ。 府中宿の札の辻跡(伊勢丹前) 今こそ姿見の橋でwww 初日:藤枝宿~岡部宿~丸子宿~府中宿 約15㎞ もちろんまだまだ腹は空かず(苦笑)、地酒をお買い求めまして本日のお宿にチェックイン。 区役所前のイルミネーション 静岡駅前の商店街は賑やか きれいなお部屋をありがとう 静岡の酒と言えば臥龍梅うまー!!! まずは風呂で冷えた体をふぉ~っと温まり、今日の旅を振り返りながらニヤニヤと過ごしたのでございました。もちろん寝落ち乙!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 18, 2019 04:44:44 PM
コメント(0) | コメントを書く
[東海道五十三次:復路] カテゴリの最新記事
|