2021/01/18(月)12:16
東海道五十三次復路:大磯宿~平塚宿
昨夜はここに書けないようなすったもんだがありまして(謎)、睡眠時間約3時間(!)での旅の始まり、、、天気は良いがすかす極寒さむーっ
感染対策・防寒対策万全にて、前回最後の地、大磯駅に0840。いざいざいざいざ出立するでござる、どんどんど~んっ!!!
駅からほどなく旧東海道の国道一号線。ちょっと進み左へ逸れて化粧坂。
この辺りは日本三大仇討の一つと言われている曾我兄弟と、そのお兄さんと遊女虎御前に関わるモノが多く。この地の長者の娘でこの坂で舞を踊って頼朝にも認められたと伝わる、その虎御前が朝な夕なに井戸の水を汲んで化粧をしたという化粧井戸が残っています、、、枯れてたけんど(苦笑)。
寒すぐる・・・
国道一号線から左へ逸れます
化粧坂付近
化粧井戸
立派なミカンがたわわわわ~/東京まで68km!!!
道中は最初に出くわした神社で旅の安全をお願いすることにしているので、高麗山の麓にある高来神社へ寄り道GO!!!
高麗山は北条早雲が小田原城攻めの際に篭城したとか、その後、上杉謙信が高麗山に本陣を置いたとか、戦国時代好きとしては萌山たんまらねぇな
そして、高来神社は徳川幕府より寺領百石と山林を賜った後、東照権現を勧請されたことにより参勤交代の諸大名は神社の前を通る際には下馬して参詣しなくてはならなかったとか。まぁ、東照権現=狸親父家康公でござんすから・・・
高来神社
本殿の彫刻が素晴らしい
高麗山
出立して1時間もすれば平塚市に突入0940。
その先すぐ平塚宿の(京都側)入り口の京見附跡。初代広重が描いた東海道五十三次の錦絵はこの辺りから描かれたようで、結構忠実に再現されています。
同じような風景を見ていると思うと、、、萌
結構忠実に再現されてます
しばらく進み問屋場跡前に「平塚の塚」の案内板。平塚の塚ってなんじゃらほい???
興味津々で行ってみますと、「平塚」と言う地名の由来になった場所だそうで、昔、桓武天皇の三代孫の娘さんが東国へ旅をした折、天安元年(857年)この地で逝去し埋葬されて塚を築きました。その塚が平になって「平塚」と言うようになったとか。最初は「たいらづか」だったらしい。
由来って悲しい話が多くね!?
右奥に見える石塀で囲まれているのが平塚
平塚駅近くなってきますと平塚宿の(江戸側)入り口の江戸見附跡。つまりはここで平塚宿を出ることになるわけで。
駅前の商店街を歩いておりましたっけ、お珍しいクッキーの自販機。ここらで休憩クッキーをお買い求め一服つかまつり1030。
江戸見附跡
美味でござった
更に先に進みますれば、橋のたもとに「ちょんまげ最中」の看板。
やややっ!!!これも面白いのでお買い求め。「こしあんと白あん、ありますけど」と大女将らしきオバアサマ。もちろん両方お買い求めましたとも
湘南ひらつかのマンホール、七夕が有名ですな
ちょんまげ最中の弘栄堂は1907年創業の老舗和菓子店、明治神宮献上銘菓
かわいい・・・1個160円(後で食べた時の写真w)
さて。何度も振り向き、らぶ・富士山を眺めながら(笑)馬入川(相模川)を渡り、茅ヶ崎市に1110。
今日の道中も半分くらい。ちょうど某ファミレスがあったので、ここらで長めの休憩・昼飯でござんすよ。
振り返って、らぶ・富士山
ボートや水上バイクがたくさん
かわいいレンガ塀
茅ヶ崎のマンホールは烏帽子岩
スパイシーカリブチキンプレート(゚д゚)ウマー
・・・つづく。
#STAY STRONG