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テーマ:東海道五十三次(155)
カテゴリ:東海道五十三次:復路
戸塚宿に入ったところで適当に飯でもと思いつつ歩いていたら「本陣」と名の付く店を発見。
そう言えば、草津宿の脇本陣跡が蕎麦屋だったので立ち寄ったことはあったがすかす、本陣跡(正確に言えば本陣跡向かい)が店で立ち寄ったことがあるのは、、、今の所思い浮かばねぇなぁ。 とにもかくにも迷うことなくお立ち寄り。ガラッと戸を開けたっけ、どど~んっと赤絨毯の階段にビビる リュックを背負ったバックパッカー風の拙者は、ももももももしかして場違いでござるか!?的な(苦笑)。 お土地柄、五十三次をモチーフとした店づくりになっているそうで、各お部屋が宿の名前になっておりました。 超絶お寒かったけんども、とりあえずおビール呑みつつ、大漁きじま御前をいただきまいまい。いやー、まさに大大名気分を味わったでござんすよ * https://kijimagroup.co.jp/store/honjin 「きじま本陣おもてなし館」 通された部屋は「大磯の宿」 こんな格好で申し訳ござらん・・・ 畳敷きに椅子 大漁きじま膳をいただきまいまい 刺身も旨かったけど茶わん蒸し(゚д゚)ウマー さて、店を出てからもずっと頭を下げ続ける(!)お女中さんに恐縮しつつ店を出まして先に進む1300前。 戸塚駅前を華麗にスルーしまして吉田大橋を渡り江戸見附跡。 吉田大橋(上方方面を見る) 左に曲がれば「かまくら道」 同じ構図の広重さんの戸塚宿、吉田橋(通称:大橋)、 橋のたもとに「ひだりかまくら道」と描かれています 江戸見附を過ぎ、つまりは戸塚宿を出まして先に進み迷いに迷って(苦笑)「さいとうハム」にたどり着く1330過ぎ。ふぅ・・・。 明治十年(1877年)頃、英国人のウィリアム・カーティスがこの先にある赤レンガの土蔵付近に牧場を作りハム製造を始めたとか。その時の使用人だった斉藤角次が明治十四年(1881年)、この地で日本人による初のハム製造を開始しまして、あの!「鎌倉ハム」の誕生の地になったわけです。 本当は鎌倉ハム発祥の店「さいとうハム」でハムを喰う気満々だったので、閉まっていてガッカリでしたが、本陣で喰っといて良かったなと(笑)。とは言えハム、喰いたかった・・・ 開いておらず残念無念・・・ 赤レンガの土蔵が残っています 水素ステーションってなんだべか!? 今一度、大きな道路からは逸れ、目の前に広がる大きなマンションの山を眺めながら進み、歩道橋を渡ると品濃坂1430。 ふぅふぅ坂を上って進み品濃一里塚。ここは両側の塚が当時の形で残っているので、往時の東海道を妄想しやすく萌ポイントでござんすよ 品濃坂 品濃坂を上って振り返る らぶ・富士山があんなに小さく わかりにくいけど品濃一里塚 一里塚を越えて/今はマンションが立ち並ぶ 更に焼餅坂を上り切りますとお山のてっぺん、相模と武蔵の国境の境木地蔵尊1500前。つまりは、いよいよ武蔵の国に入るわけです んー、戻ってきたねー(感慨深い)。 そこからは難所「権太坂」を下りいよいよ保土ヶ谷宿。 境木地蔵尊前の傍示 権太坂より/右に横浜ランドマークタワーが見えます 権太坂を下り切り一瞬国道一号を歩いた後、左に折れて保土ヶ谷駅裏(?)の商店街を歩きます。 商店街を半分ほど歩いて所で逸れて保土ヶ谷駅。今回の旅はこれにて終了でござんす、ちょうど1600。 よーお、よよよいよよよいよよよいよいっ 2日目:藤沢宿~戸塚宿~保土ヶ谷宿 約16km 藤枝宿の時も超絶お寒かったが、今回の旅ももれなく、いやそれ以上に超絶お寒かった気がする・・・。 保土ヶ谷宿付近は商店街 行きから12年(!)も経っておりますれば年も取り(笑)目につくものが違うんだなぁと、行きの旅行記と読み比べてみると面白い。 さぁさぁさぁさぁ、ゴール日本橋までは後4つ。ここからは刻んでいきますぜぃ #STAY SAFE、STAY STRONG お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 5, 2021 12:23:27 PM
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