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2007年03月16日
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■運用における、言行一致の怖さ

 上海市場の暴落に端を発した「世界同時株安」が起こり、メディアでは、楽観論と悲観論とが交錯している。

 筆者自身も、メディアにコメントすることがないわけではないので、いささか自己批判めくが、相場の状況に関して新聞などの記事を読むとき、市場関係者の予想や相場観の記事には何のニュース価値もないことを知っておくべきだ。相場予想は所詮なかなか当たらないし、当たるときはたまたまだし、誰が当たるのかは、事前には分からない。従って、たとえば新聞記事を見る場合、市場関係者の予想や感想は無視して、記事のベースになっている、確実な事実は何なのか、ということに関心を絞って読むと、比較的シンプルに状況が分かることが多い。予測と憶測を排除して、事実だけを拾い読みするのだ。

 さて、ストラテジストでもファンドマネジャーでもいいが、たとえば、市場が10%下落した時に、「1ヶ月以内に半値までは戻るだろう」という相場観を持つことはあるし、メディアに対してその種の発言をすることは、少なくない。この「相場観」を期待リターンに引き直すと、1ヶ月で5%上昇ということは、GDPの成長率のように年率で表すと、何と60%ということになる。

 この期待リターンを真に受けるとなると、他によほど素晴らしい運用対象がない限り、株式100%という資産配分が妥当になるだろうし、上限を100%に限らないなら、借金や信用取引を利用してでも(もちろん先物・オプションでもいい)、株式上昇に対して賭けるべきだ、ということになるだろう。

 しかし、実務家の多くは、自分の関わる運用について、ここまで大きなリスクをとらないことが多い。

 一方、これを見る外野席(典型的には、「お手並み拝見」などと言っている、気楽な情報ウォッチャー)は、「プロなのだから、意見をハッキリさせるべきだし、リスクをとるべきではないか」、「相場観を語りながら、それに従わない、というのは、そもそも相場観がいい加減なものなのか」といった感想を持ちやすい。そう言われると、プロとしても心苦しいのだが、同時に、素人のけしかけに乗るわけにも行かない、という心持ちになる。


■解決の鍵は「自分を疑う心」の存在

 たとえば、内外の株式50%、同じく債券50%といった、年金基金の運用計画のようなアセット・アロケーション(資産配分)の場合、計算上は、たとえば株式の期待リターンが「7%→8%」といった具合に1%動くと、算術的な解としては、5%~6%くらい資産配分が変わることが多い(注:リスク拒否度などによる。年金運用で典型的な場合にこれぐらい)。相場観を期待リターンに翻訳したときに、10%も数字が動くとすると、運用計画は、もともとの状態とは似ても似つかぬものになる筈だ。

 実務家の中には、こうした状況を指して、リスクとリターンで配分を計算する理論的なアセット・アロケーションは、感度が敏感すぎて、実際には使えない、といった不満を持つ場合もある。

 一方、投資信託にせよ、年金運用にせよ、運用業界では、「マーケット・タイマー」と呼ばれる、タイミングを見て株式組み入れ率を増減することによって、リターンを稼ごうという運用スタイルの有効性に対しては、だいたい否定的だ。これは、理論的にどうか、という問題よりも、経験的に、この戦略の失敗者があまりに多く、長期的かつ一貫した戦略に基づく成功者が少ない、ということによる。運用の実務家は、マーケット・タイミングを利用することのリスク(失敗すると、ライバルに大差を付けられる)と難しさをよく知っていて、「外野」から見ると、ぐずぐず動いていて、言行不一致のように見えてしまう。

 それでは、たとえば、「株価は1年で10%程度の調整があるだろう(期待リターンはマイナス20%)」という相場観と、実際には資産配分を大きく動かすことは得にならないアセット・アロケーションとの間はどのような関係になっているのだろうか。

 アセット・アロケーションの基になるデータとして使いたい期待リターンやリスクは、理想を言えば、客観的に正しい期待リターン(予想できるリターンの実現確率の重み付きの平均)とリスク(リターンの平均まわりの変動の程度)である。問題は、残念ながら、直接は観察できないが、客観的に正しいデータと、自分の相場観の関係ということになる。

 ここで、期待リターン・ベースで見た、自分の相場観と、観測が可能だとして、市場参加者の平均的な見通しとの関係を考えてみよう。市場参加者の見通しの平均は、これよりも高いリターンを見る人も、低いリターンを見る人もいた上での平均ということになる。後からの、結果論で考えると、この平均と較べて、大雑把には、方向として予想が当たっている人が半分、外れる人が半分ということになる。

 市場参加者で、勝つ人が半分、負ける人が半分と考えたときに、自分の「勝つ確率」はどれくらいだと考えられるだろうか。たとえば、20回の勝負のうち(一回当たりのリターン予想の勝ち負けの大きさは同一とする)、11勝9敗だ、という人(かなり非現実的なレベルの自信家だが)がいたとすると、当たり・外れ、で相関係数を考えると、勝ちと負けの差が2で、分母が20だから、0.1ということになる。この相関係数が正しいとした場合、自分の考えのスケールをそのまま使うとして、たとえば、市場参加者の平均の期待リターンが7%で、自分の期待リターンがマイナス10%だとすると、7%+(-10%-7%)× 0.1=5.3%が妥当な期待リターンの推定値ということになる。この場合、たぶん、10%近い資産配分の調整を行うことになるから、バランス運用の勝負としてはかなり怖いが、現実の運用意思決定では、少なくともこの程度には、意識的に、自分を疑う(=少しだけ、限定的に信じる)という態度が必要になる。

 こうした考え方はいかにも辛気くさくて、運用実務の世界では大っぴらに語られないし、運用の教科書にも出ていないことが多いので(適切な期待リターンが得られた場合に、こうせよ、という書き方の本が多い)、プロでも気付かない人が多いが、現実的には重要な考え方だと思う。

 小さな期待リターン変化にも大きく反応するから理論がいけない、ということではなくて、理論はあくまでも意思決定の枠組みであって、その使い方に、デリカシーがないことがいけないことがある、というのが現実なのだ。


■プロも含めた、投資家の能力とは

 それでは、運用実務の世界で、平均的なリターンに対して、相対的に測ったときの、自分の予想と客観的に正しいリターンとの相関係数(自分自身への信頼度)はどのくらいなのか、というと、多くの場合言われているのは、「+0.05あればとても優秀!」というくらいのレベルだ(何せ、投資家の平均は±0なのだ)。

 これは、勝ち負けに換算すると、21勝19敗くらいのペースであり、これを維持できることは素晴らしい、というくらいが、プロの能力の相場、というか目標値、ということになる。

 もちろん、「結果論」として、これよりも優れた実績を持っている投資家はたくさんいるわけだが、これは、確率論的には「たまたま」の範疇での、事後的な勝ち負けなのだ。

 自信を持つのも自己責任の範囲なのだが、自分の過去の勝率を、自分の信頼度としてそのまま当てはめて使ったとすると、かなり痛い目に遭う投資家が続出することだろう(結果論的に、中には、突出した成功例もあるはずだが、それが、貴方になるとは限らない・・・)。





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最終更新日  2007年03月16日 13時12分16秒
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