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英国王室の象徴的な言葉として「君臨すれども統治せず」 というものがありますが、なぜこの精神になったのでしょうか? 1、言葉がわかららなかったから 2、フランス革命の教訓から 3、後継者が馬鹿ばっかりだったから 1.では?(さくサクさん ) 言葉がわからなかったから(ご飯1971さん )2 (知ってビックリ意外な事実) 答え 1の言葉が分からなかったからでした 説明はちょっとトリビアで 今日の問題 小学生が背負う「ランドセル」日本で一番最初に このランドセルを使用したのは誰でしょうか? 1、明治天皇 2、大正天皇 3、昭和天皇 さてどれでしょうか? ちょっとトリビア 英国王室の象徴的な言葉として「君臨すれども統治せず」 というものがありますが、なぜこの精神が王室の 象徴になったのかというと 1714年にイギリスの王になったジョージ1世が英語が わからなかったからだと言われています ジョージ1世はドイツ生まれのドイツ育ちで彼の母親が イギリス王ジェームス1世の孫にあたり、その縁で 英国王室に正当な後継者として迎えられました しかし、55歳という年齢になっていたジョージ1世は 英語を勉強する気がなく その為に議会に出席することもなくなっていき こうして王として君臨はするが政治にはいっさい 口出ししないという王家のスタンスが出来て行きました ボランティア 近藤雄三さんは会社を定年退職して子供達の 学校の行き帰りを横断歩道などで見送る ボランティアをしていました 最初のうちは慣れていない事もあり子供たちもなかなか 挨拶をしてくれませんでした しかしボランティアをやり始めてから1ヶ月ほどで ほとんどの子供が挨拶をしてくれるようになりました その中でたける君という子供だけは近藤さんが ボランティアを始めた初日から挨拶を返してくれました たける君は活発な子で近所の子供達のリーダー的存在でした そんなある日、たける君の姿がありません (どうしたんだろう?)そう思い他の子に聞いてみると たける君は病気で入院しているという話でした しばらくするとたける君が子供達と一緒に明るく 登校していました (たける君、治ったんだ)そう思い挨拶をすると 明るい笑顔でたける君は挨拶を返してきました それからも毎日たける君は元気に登校していましたが 近藤さんは不思議な事に気がつきました いつも人の輪の真ん中で登校していたたける君が 周りに友達もおらず、一人で登校していたのです (もしかして何かあったのかな?いじめ?) そう考えておせっかいだと思いながらも たける君の家に行き母親に何かなかったか聞きました 母親は驚いた顔をして家の中に招き入れてくれました 中に入るとたける君の写真が仏壇の横に飾ってありました 話を聞くとたける君は入院してしばらくすると 呼吸困難を起してそのまま亡くなったのでした 最後まで言っていたのは 「お母さん、学校に行きたいよ」 という言葉だったそうです それからもしばらくの間はたける君の姿を 見ることがありましたが 49日を過ぎた頃には見かけることがなくなりました きっと学校に行くという行為に満足したのでしょう なぜなら最後に見かけた時に 「ありがとう」と笑っていたからです この話し終わり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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