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小学生が背負う「ランドセル」日本で一番最初に このランドセルを使用したのは誰でしょうか? 1、明治天皇 2、大正天皇 3、昭和天皇 2、大正天皇 兵隊さんの背嚢がモデルなんですよね (がもぴーさん ) (おーお見事でした) 答え 2、大正天皇でした 説明はちょっとトリビアで 今日の問題 野球の投手の練習する所を「ブルペン」といいますが この「ブル」とは何のことでしょうか? 1、ブル(雄牛の事) 2、ブルドックの事 3、ブルドーザーの事 さてどれでしょうか? ちょっとトリビア ランドセル、小学一年生が大きなカバンを背負っているのを みると何だかほほえましくなりますが この「ランドセル」を日本で最初に使用したのは 大正天皇だといわれています 1887年(明治20年)当時の総理大臣の・伊藤博文が 皇太子の学習院入学を祝って特別に作らせた物が 現在のランドセルの原型です ランドセルの語源は兵士が背中に担ぐ背嚢の事を オランダ語で「ランセル」と呼ぶことからきています 現在では1000グラムを切るランドセルもありますが 明治時代のランドセルは1600グラム近くあり 小学生には少し重いものでした 迷子 四宮恵子さんが派遣会社からあるデパートの受付の 仕事を紹介されました お客さんの案内から迷子のお世話などありましたが 時間の空いたときなどはおしゃべりなども出来るので 気も使いますが働き始めて一ヶ月もすると 仕事にもなれてきました ある日、四宮さんが交代で食事から帰ってくると 一人の女の子が迷子室で座っていました (あれ?何の連絡も受けていないのに) そう思いながらも子供に話しかけると お母さんと一緒に来たのですがはぐれたと言うのです 名前を聞くと、その子は飯田真知子ちゃんと名乗りました 放送で迷子のお知らせをして 真知子ちゃんを迷子室で遊ばせて 自分は通常の業務を始めました するとすぐに交代で食事に行った筈の社員の受付が 走って戻ってきました (何故こんなに早く戻ってきたんだろう?) そう思っていると、声を荒げながら 「いま、飯田真知子って言わなかった?」 「いいましたよ、それがどうかしました?」 「・・・いまもその子いるの?」 「居ますよ、迷子室の方に、それがどうかしました」 「見てきてくれる」 そう言われて見に行くと部屋には誰もいませんでした 「先輩、大変です真知子ちゃんが居なくなりました」 「・・・・やっぱり・・・・」 「やっぱり?」 そう言いながら先輩はこんな事を話してくれました 真知子ちゃんは母子家庭の子供でした その為、まだ4歳ぐらいの真知子ちゃんは家から近い という事もあり毎日のようにこのデパートに来ては 迷子のフリをして名前を呼んで貰っていたそうです その頃の受付もその事を知っていましたが 毎日名前を呼んであげていたそうです そして迷子室で遊んで行き、母親が帰ってくる頃に 帰っていっていたそうです そんなある日、真知子ちゃんは急に来なくなりました 皆が「どうしたんだろう」と話していましたが 1ヶ月ぶりに真知子ちゃんが現れていつものように 迷子室で遊んでいました しかし受付が見に行くと真知子ちゃんは いなくなっていました そんな時、真知子ちゃんのお母さんが挨拶に来ました 話を聞くと真知子ちゃんが1ヶ月前に事故にあって つい1週間前に亡くなったという話でした その後、何故か新しい受付が一人の時に 何度も真知子ちゃんが現れるようになったということです この話し終わり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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