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東京に来て1年が経った。1年間は東京⇔大阪での遠距離恋愛をしていたが、ついに同棲することになった。彼女は大阪本社で事務をしていたが、社長や役員の人たちにも理解してもらい、円満退社ということになった。
一緒に住み始めたときはラブラブで、家に帰るとご飯ができていて、一緒に食べながら、仕事の話を聞いてもらったり、彼女の就職活動のことを聞いたり、二人の将来について話すことがすごく楽しかった。 彼女も苦労することなく就職が決まり、仕事に行き始めた。俺は新人教育なんかをしながら、自分でも売り上げを上げないといけない立場だったので、仕事が終わる時間はいつも11時くらいだった。彼女も仕事でのストレスが徐々に出てきて、一緒に食事をするのは週末くらいになっていった。 同棲して4年目くらいに、具体的な結婚の話をするようになった。ちょうど同じタイミングで俺の親父が末期ガンだということがわかった。余命3ヶ月。そんなことも重なり結婚の話を少し先延ばしにし、毎週、見舞いに帰る日々が続いた。 俺は親父が40歳の時に生まれた子供だったから、父親参観はすごく嫌いだった。親父じゃなくておじいちゃんにまちがわれるからだ。そんなことで、親父とはあまり言葉を交わさなくなり、そのまま時が過ぎていった。親父の余命宣告には、正直戸惑った。 見舞いに行っても話すことがない。俺は、朝から晩まで仕事しかしてなかったから、仕事の話しかできなかった。仕事の話なんて今までしたこともなかったのに、「部下が育たない」とか「部下が長続きしない」など、当時かかえていた問題なんかを口にし始めた。 すると、親父から的確なアドバイスがいくつも出てきた。正直、驚いた。親父は地方公務員だったから、俺の「営業」という仕事とは畑違いだし、俺の世界は親父にはわからないと思っていたからだ。それが、少し話しただけで、的確なアドバイスが返ってきて、俺の気持ちが楽になったことにすごく驚いた。 それと同時に、「なんでもっと早く、いろんなことを本音で相談しなかったんだろう、あと3ヶ月しか生きれないのに・・・」という思いで胸が締め付けられた。もっともっと息子として、親父にしてやれることがあったのに、この数年間、俺を育ててくれた家族と向き合うことを避けてきた自分を情けなく思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.06 09:49:25
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