見沼区南中丸の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら中川の北、南中丸の石仏を見てみましょう。南中丸集会所墓地 見沼区南中丸584[地図]第二産業道路、南中野交差点の300m北の信号交差点を右折、はじめの信号交差点の50m先を左に折れて細い道を北へ向かう。300mほど進むと右手に南中丸集会所の入口があった。路地の先、正面に集会所があり、手前が広い駐車場で、左が墓地になっている。墓地の西、ブロック塀の前に多くの石塔が並んでいた。手前の三基のうち左、屋根型笠付きの宝篋印塔 安永3(1774)下から二段の台、反花付き台、敷茄子・蓮台の上に基礎、薄い敷茄子・蓮台を重ねた上に塔身、笠の上に宝珠を乗せた相輪と、豪華な構成になっている。反花付き台の裏面に造立年月日。その下の台の正面、右から武刕足立郡 南部領中丸村 無量山西光院 發願法印榮宥 當寺現住法印觀海 惣願主齊講中 善女二十六人 各々村々助力、實窓妙貞大姉 圓了。多くの人たちがこの宝篋印塔の造立に関わっているようだ。中央 庚申塔 元禄13(1700)四角い台の上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。左上手にショケラを持つ「岩槻型庚申塔」10年前は奥の茂みの中に倒れていたのだが、その後再建されたらしい。(2014年4月14日の記事の写真)彫りは細かく力強い。左上手にショケラを持つ代わりにというように、青面金剛の頭上に大きな法輪が彫られていた。像の右脇 梵字「ア」の下に「奉造立庚申供羪二世安樂処」左脇に造立年月日。足元に両腕を張って正面に顔を向ける上半身型の邪鬼。その下に正面向きに並んで座る三猿。両脇に二鶏を半浮彫。塔の最下部に中丸村 施主廿二人 敬白と刻まれている。右 愛宕山大権現塔 宝暦13(1763)塔の左側面に造立年月日が刻まれていた。奥には六地蔵の小堂。その両脇にも石塔が並んでいる。小堂の左 十三仏供養塔 寛保3(1743)舟形光背に来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像を浮き彫り。光背右脇「奉造立十三佛齊戒供羪」左脇に造立年月日。足元の部分に中丸村 講中 三十人と刻まれていた。小堂の中 六地蔵菩薩塔 宝暦11(1761)丸彫りの六体の地蔵菩薩立像は、風化も少なくよく揃っている。角柱型の石塔の正面には梵字の下にそれぞれの地蔵名。下の台には右のほうから 中丸村 造立年月日「奉造立 六地蔵」念佛講中 四拾五人と刻まれていた。小堂の右脇に二基の石塔。右 地蔵菩薩塔 寛政9(1797)。四角い台の上の舟形光背に右手に錫杖を持った地蔵菩薩立像を浮き彫り。風化が進み、像も損傷が大きく銘も一部が欠けている。光背右脇「南無□□□菩薩」その下に造立年月日。左下に浄教法師、願主だろうか。台の正面に中丸村と刻まれていた。左 觀世音供養塔 文化2(1805)隅丸角柱型の石塔の正面 上部を彫りくぼめた中に観音菩薩坐像を浮き彫り。その下に「觀世音供養塔」両脇に造立年月日。塔の右側面に中丸邑中。左脇に世話人とあり二名の名前。上部に浮き彫りされた観音像は風化のためにやや溶け出しているが腕は7組14臂、千手観音と思われる。第二産業道路高井北バス停脇 見沼区南中丸306[地図]第二産業道路 大和田交差点の300mほど南、高井北バス停の脇の住宅のブロック塀の中に二基の石塔が並んでいた。左 庚申塔 享保9(1724)駒型の石塔の正面 日月雲 梵字「ウン」の下に「奉造立庚申塔」両脇に造立年月日。右下に施主、左下に個人の名前が刻まれている。右 地蔵菩薩塔 明治41(1908)四角い台の上の駒型の石塔の正面 両手を胸のあたりで袖の中に入れた形の地蔵菩薩立像を浮き彫り。塔の左側面上部に造立年月日。その下に施主とあり二名の名前が刻まれていた。八幡中学校東路傍 見沼区南中丸992[地図]高井北バス停のすぐ北の八幡中学校前交差点を渡り、そのまま東へ進みT字路を右折、すぐ先を左折して八幡中学校の校庭を左に見ながら東へ向かう。道なりにしばらく進み、その先のT字路で広い道に出る、そのちょうど正面路傍にお地蔵さまが立っていた。雨除けの下 地蔵菩薩塔 享保3(1718)四角い台の上に六角形の台を重ね、厚い敷茄子、蓮台に丸彫りの地蔵菩薩立像。地蔵菩薩像は錫杖、宝珠ともに欠けはないが、尊顔は風化のためか平板な印象ではっきりしない。六角形の台の正面中央に「奉造立地蔵尊」両脇に造立年月日。四角い台は一部が欠けていて不完全。右に武刕中丸(村)、中央に講中百四(人)左に願主 二名の名前が刻まれていた青葉北公園南住宅街交差点 見沼区南中丸1009[地図]地蔵菩薩塔のすぐ南の路地を東に進む。250mほど先のT字路を左折すると、道路左手の塚の上に石塔が立っていた。庚申塔 安永7(1778)大きな四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。大きく結い上げた髪の先が右に折れた「萩原庚申塔」緑区からよく見かけたが見沼区はさらに数が多い。白カビの中、三眼釣り目の青面金剛、彫りはしっかり残っていて力強い。左足を立ててうずくまり、合わせた両手に顎を乗せて正面を向く邪鬼。その両脇に二鶏。下部に両脇が内を向いて座る三猿。このあたりは定番である。塔の右側面中央「奉造立庚申供養塔」両脇に造立年月日。左側面中央 武州足立郡南部領中丸村。右下に願主とあり個人名、その横に講中二十九人。左下に地主とあり願主と一字違いの名前が刻まれていた。土地も提供し願主も引き受ける。村の庄屋さんだろうか?庚申塔の右脇 馬頭観音塔 文化4(1897)駒型の石塔の正面に馬頭観音立像を浮き彫り。風化が進み塔の縁が欠け、全体に剥落も多いため像も今一つはっきりしない。右脇に造立年月日。左脇は読みにくいが、願主?矢部□右衛門と庚申塔の願主と同じ姓の名前が刻まれていた。