見沼区 南中野の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら南中野は西は第二産業道路付近から東は大谷付近まで、かなり広い地域になり、また東中丸と隣接していて、境界線は入り組み複雑です。南中丸の一か所を南中野と勘違いしていたので、今日はまずそちらから紹介します。十王尊西住宅街路傍 見沼区南中丸900[地図]第二産業道路、南中丸交差点の北のT字路交差点から東へ向かう道路は、道なりに進むと十王尊の南を通って大谷方面に出る。T字路交差点から十王尊まで約1,300m。ちょうどその中間、広い道路が一度上りになって、次に長い下り坂を下り切ったあたりで左折すると、住宅街の中を道は緩やかに左にカーブする。この道に入ってすぐ、交差点の右手の角に小堂が立っていた。小堂の中には二基の馬頭観音等塔が並んでいる。左手前に頭だけ出して埋まっているのも馬頭観音塔の残決だが、こちらは銘はほとんど確認できなかった。左 馬頭観音塔 弘化4(1847)駒型の石塔の正面に「馬頭觀世音」風化のため一部が剥落。銘はいたって読みにくい。塔の左側面に施主名。右側面に造立年月日が刻まれている。右 馬頭観音塔 享和2(1802)舟形光背に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背両脇に造立年月日。こちらも風化が進み像はやや溶け出していて、顔はつぶれていた。塔の左側面 向 右 うらわ、その下に中丸村中。この角度から見ると怒髪の中に馬頭が確認できる。馬口印を結んだ手は溶解、やせ細っていた。右側面 向 右 おおみや。下部に世話人一名の名前。文様の入った衣装、裾の跳ね上がった様子などはいかにも観音像らしい。十王尊 見沼区南中野992[地図]十王尊の入口には「正法院 阿弥陀仏十王堂」という看板が立っていて、第二産業道路の南中野交差点の東にある正法院が管理する阿弥陀堂らしいが、さいたま市のHPをはじめ多くの資料では「十王尊」となっている。t参道右脇の大きな雨除けの下に三基の石塔が並んでいた。右 地蔵菩薩塔 天明5(1785)四角い台の上の角柱型の石塔に丸彫りの地蔵菩薩立像。石塔の正面に「經文地先祖菩提」とあって、こちらは個人の造立した供養塔である。中央 地蔵菩薩塔 享保8(1723)四角い台に六角形の反花付き台を重ねた上に、厚い敷茄子・蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。風化は少なく白カビもわずか。錫杖、宝珠は健在で尊顔は穏やかである。六角形の台の正面に「奉造立」右面に造立年月日。左面に猿花講中と刻まれていた。左 如意輪観音塔 天明4(1784)四角い台上の角柱型の石塔の上、舟形光背に二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。塔の正面 梵字「キリーク」の下に「奉造立如意輪觀世音」右側面に造立年月日。左側面中央に「爲二世安樂也」右下に猿花 世話人とあり一名の名前。左下に女人講中と刻まれている。猿花キャンプ場入口脇三差路 見沼区南中野955東[地図]十王尊の北に広がる猿花キャンプ場の西の入口脇の三差路の角、立ち木の中に小堂が立っていた。小堂の中 庚申塔 天明元年(1781)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。「萩原庚申塔」である。それにしても実によく見かける。頭上で日輪・月輪を抱いた瑞雲は、尾を引いて中央でつながっていた。長く結い上げられた髪は右折れ。ショケラは足を深く折り曲げ顔を覆っている。持物は矛・法輪・弓・矢。彫りは細かく力強い。左足を立て両手の間に顎を乗せて正面を向く邪鬼、猫のように背を丸めてうずくまる。両脇に二鶏を半浮彫り。その下に両脇が内を向く三猿。やや狭苦しい姿勢で座る。小堂の裏の板が一部はがれていて、後ろから側面の銘を写すことができた。塔の右側面中央「奉造立庚申供養」右下に講中二十五人。左下 中ノ村 國右衛門、白岡村?七□右衛門。願主だろうか?左側面に造立年月日。その横に武刕足立郡南部領中野村之内猿花。右脇下に世話人、左脇下に地所主とあり、それぞれ一名の名前が刻まれていた。