1849343 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

☆いたやま☆

☆いたやま☆

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Free Space

自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
2014.11.08 10,000アクセス
2015.04.02 20,000アクセス
2015.10.22 50,000アクセス
2016.06.27 100,000アクセス
2017.04.12 200,000アクセス
2018.01.25 300,000アクセス
2018.08.17 400,000アクセス
2019.04.07 500,000アクセス
2019.11.19 600,000アクセス
2020.05.28 700,000アクセス
2020.10.27 800,000アクセス
2021.03.07 900,000アクセス
2021.07.02 1,000,000アクセス
2021.11.28 1,100,000アクセス
2022.03.29 1,200,000アクセス
2022.07.14 1,300,000アクセス
2022.10.28 1,400,000アクセス
2023.03.29 1,500,000アクセス
2023.09.06 1,600,000アクセス
2024.03.12 1.700,000アクセス
2024.08.28 1,800,000アクセス

Calendar

2014.11.25
XML
カテゴリ:戸田市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

戸田市の石仏を何回かにわたって見てきましたが残り3ヶ所になりました。
戸田市の石仏巡りも今日で一応最終回ということにします。

最勝寺 戸田市笹目3-10

DSC_0150.jpg

北大通りが新大宮バイパスと交差する直前、すぐ東の道を北に折れると左側に
最勝寺がある。門を入った右手、本堂の前に石塔が並んでいた。

DSC_0140.jpg

右に立つこの石塔 享和2(1802)正面はくずした字で読みにくいが、梵字の下に
「奉讀誦普門品供養塔」だろう。両脇に天下泰平、國土安穏。

DSC_0141.jpg

下の台には正面と左側面合わせて15名の名前が刻まれていた。

DSC_0146.jpg

塔の右側面に年号。左側面 武州足立郡下笹目邑とある。

DSC_0513.jpg

左の石塔 天保3(1832)正面には大日如来の梵字の下「弘法大師」と彫られている。

DSC_0514.jpg

塔の左側面に年号。右側面 四國八十八ヶ所 第六十二番 伊豫國一宮移。下には
下笹目村西勝寺?左脇に密蔵院へ五丁と刻まれている。

DSC_0520.jpg

本堂の右に宝筐印塔が二基。手前 宝暦元年(1751)奥 享保5(1720)笠型と隅飾型。

宝蔵院 戸田市笹目3-18

DSC_0113.jpg

笹目東小学校の南、宝蔵院の墓地がある。本堂に向かう道の左側に小堂があり、
その中に石塔が並んでいた。小堂は三つのブロックに分かれている。

DSC_0114.jpg

手前のブロック 左にはいずれも上部が欠けた三基の板碑。右に三基の石塔が立つ。

DSC_0117.jpg

標石 天保5(1834)正面に年号。その下に笹目村 宝蔵院。脇に平等寺へ三丁。
左側面には四國八十八箇所 第六十三番 豫州蜜教山移と刻まれていた。

DSC_1598.jpg

隣 阿弥陀如来立像 慶安2(1649)光背右に為忠海聖人菩提也とあり個人の供養仏。
年代的には相当古く、光背には断裂跡が見られる。

DSC_0122.jpg

六十六部廻國供養塔 寛保元年(1741)左下には個人の戒名。塔の右側面には
願主 下笹目村とありやはり個人名が刻まれている。

DSC_0125.jpg

真ん中のブロック 大きな丸彫りの地蔵菩薩立像 享保5(1720)頭部と右手は後から
補修されたものらしく色が変わっている。

DSC_0126.jpg

下の台の正面 中央に「奉納大乗妙典六十六部廻國」左脇には施主個人名。
右脇には年号に続き武州足立郡下笹目村と刻まれていた。

DSC_0127.jpg

右のブロックには丸彫りの六地蔵。それぞれの台に戒名や銘文が見られる。
右から2番目の台の側面には享和2(1802)と刻まれていた。

早瀬二丁目の墓地 戸田市早瀬2-18

DSC_0533.jpg

笹目橋北西、新大宮バイパスのすぐ西、三差路の角の墓地の中に庚申塔が並ぶ。

DSC_0534.jpg

左端 庚申塔 文化12(1815)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。

DSC_0535.jpg

足元に大きめな邪鬼。踊っているような三猿が下の台に彫られていた。

DSC_0538.jpg

塔の左側面 武州足立郡早瀬 講中二十九人。右側面 真ん中に「奉建立青面金剛尊」
左脇に年号。右脇に天下泰平閭村安穏と刻む。

DSC_0540.jpg

隣 庚申塔 元禄8(1695)板碑型 中央に20文字の願文。下部に三猿。三猿の下に
施主敬白とあり12名の名前が刻まれていた。

DSC_0543.jpg

続いて 庚申塔 元禄10(1697)板碑型 やはり20文字の願文と三猿。こちらの三猿は
比較的大きい。三猿の下の部分に施主数名の名前があるが薄く読みにくい。

DSC_0545.jpg

右端 庚申塔 宝暦3(1753)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。
全体にカビが目立つ。光背左下に村講中。足元に邪鬼と三猿を彫る。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014.11.25 21:26:36
コメント(0) | コメントを書く
[戸田市の石仏] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X