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カテゴリ:戸田市の石仏
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戸田市の石仏を何回かにわたって見てきましたが残り3ヶ所になりました。 戸田市の石仏巡りも今日で一応最終回ということにします。 最勝寺 戸田市笹目3-10 北大通りが新大宮バイパスと交差する直前、すぐ東の道を北に折れると左側に 最勝寺がある。門を入った右手、本堂の前に石塔が並んでいた。 右に立つこの石塔 享和2(1802)正面はくずした字で読みにくいが、梵字の下に 「奉讀誦普門品供養塔」だろう。両脇に天下泰平、國土安穏。 下の台には正面と左側面合わせて15名の名前が刻まれていた。 塔の右側面に年号。左側面 武州足立郡下笹目邑とある。 左の石塔 天保3(1832)正面には大日如来の梵字の下「弘法大師」と彫られている。 塔の左側面に年号。右側面 四國八十八ヶ所 第六十二番 伊豫國一宮移。下には 下笹目村西勝寺?左脇に密蔵院へ五丁と刻まれている。 本堂の右に宝筐印塔が二基。手前 宝暦元年(1751)奥 享保5(1720)笠型と隅飾型。 宝蔵院 戸田市笹目3-18 笹目東小学校の南、宝蔵院の墓地がある。本堂に向かう道の左側に小堂があり、 その中に石塔が並んでいた。小堂は三つのブロックに分かれている。 手前のブロック 左にはいずれも上部が欠けた三基の板碑。右に三基の石塔が立つ。 標石 天保5(1834)正面に年号。その下に笹目村 宝蔵院。脇に平等寺へ三丁。 左側面には四國八十八箇所 第六十三番 豫州蜜教山移と刻まれていた。 隣 阿弥陀如来立像 慶安2(1649)光背右に為忠海聖人菩提也とあり個人の供養仏。 年代的には相当古く、光背には断裂跡が見られる。 六十六部廻國供養塔 寛保元年(1741)左下には個人の戒名。塔の右側面には 願主 下笹目村とありやはり個人名が刻まれている。 真ん中のブロック 大きな丸彫りの地蔵菩薩立像 享保5(1720)頭部と右手は後から 補修されたものらしく色が変わっている。 下の台の正面 中央に「奉納大乗妙典六十六部廻國」左脇には施主個人名。 右脇には年号に続き武州足立郡下笹目村と刻まれていた。 右のブロックには丸彫りの六地蔵。それぞれの台に戒名や銘文が見られる。 右から2番目の台の側面には享和2(1802)と刻まれていた。 早瀬二丁目の墓地 戸田市早瀬2-18 笹目橋北西、新大宮バイパスのすぐ西、三差路の角の墓地の中に庚申塔が並ぶ。 左端 庚申塔 文化12(1815)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 足元に大きめな邪鬼。踊っているような三猿が下の台に彫られていた。 塔の左側面 武州足立郡早瀬 講中二十九人。右側面 真ん中に「奉建立青面金剛尊」 左脇に年号。右脇に天下泰平閭村安穏と刻む。 隣 庚申塔 元禄8(1695)板碑型 中央に20文字の願文。下部に三猿。三猿の下に 施主敬白とあり12名の名前が刻まれていた。 続いて 庚申塔 元禄10(1697)板碑型 やはり20文字の願文と三猿。こちらの三猿は 比較的大きい。三猿の下の部分に施主数名の名前があるが薄く読みにくい。 右端 庚申塔 宝暦3(1753)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 全体にカビが目立つ。光背左下に村講中。足元に邪鬼と三猿を彫る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.25 21:26:36
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