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カテゴリ:散歩の日々
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1月4日の日曜日、巣鴨駅から染井霊園を歩いてみました。 巣鴨駅7時到着。まだ朝早いというのに地蔵通商店街は屋台の準備だろうか、 たくさんの人たちが忙しそうに動き回っていた。入口の塩大福の店も開店中。 土産に買っていこうか迷ったが、最初から荷物を増やすのもどうかと諦めた。 商店街の入口の西側に江戸六地蔵尊で有名な眞性寺がある。大きな傘をかぶり、 杖を持つお地蔵様。朝から線香を供える人が絶えない。 右奥の墓地の一角に庚申等を含むいくつかの石仏が並んでいた。 庚申塔 寛政4(1792)日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持六臂。下部に邪鬼と三猿。 二鶏は見えないが江戸中期のスタンダードな構成と言えよう。彫りも全体に厚く しっかりしている。右側面に年号。左側面 施主 谷上氏と刻まれていた。 商店街に入るとすぐ右手に「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる高岩寺。 有名な「洗い観音」にはこの人だかりだ。 商店街をさらに歩いて行く。信号機のある交差点の右角に「猿田彦大神庚申堂」 ここは江戸時代、茶店などがあり、中山道の立場(小さな宿場)だったらしい。 庚申塔は堂内にあり見ることはできない。参道前に一対の猿の像が置かれていた。 こちらは昭和62年のもので台には三猿が彫られている。 この交差点を右折すると都電荒川線沿いに王子、飛鳥山方面に向かうことになる。 今回は白山通りを超えた先を右折して染井霊園を目指した。その途中、細い道の 左側に白泉寺がある。境内には稲荷社があり、参道右手前に庚申塔が立っていた。 庚申塔 万冶元年(1658)日月雲 中央に「奉祈庚申供養延命所」脇に年号を刻む。 下部には三猿を彫るが、なんだか反省会でも開いているかのような雰囲気だ。 染井霊園の西、寺院が点在する中に本妙寺がある。遠山の金さんや千葉周作の お墓があるが、明暦3年(1657)の振袖火事の火元として有名。ただしお寺のHPを 見ると「幕府の要請により本妙寺が火元の汚名を引受けた」ということになる。 本堂の東脇に安政の大地震の供養塔、釈迦如来坐像とともに大火供養塔が立つ。 板碑型の供養塔 宝暦3(1657)中央に「妙法蓮華経」と彫られていた。 さらに東に歩き、スイミングセンターのところで北へ折れて進むと、霊園の 管理事務所がある。その向かいの三差路のところに石塔が立っている。 一石十二地蔵塔 造立年不明。上部は瑞雲か。二段に二組の六地蔵と思われる。 上段の六地蔵。静かな佇まいの中に味わい深いものがある。 さらに東に200mほど、駒込小学校の西隣の西福寺にも一石六地蔵塔があった。 中央に「奉造立地蔵尊容為二世安樂也」左脇に宝暦二と刻まれている。 先ほどの路傍の十二地蔵よりやや細身の六地蔵。同時代のものだろうか? 西福寺の東、駒込小学校の南西の角に庚申塔が立っている。 庚申塔 寛文12(1672)上部は笠付の跡と思われる。中央に梵字、脇に年号。 下部には合掌する二猿。その下にも文字があるが薄くて読み取れない。 駒込小学校の隣の公園の入口には屋敷風の門があり隅にお蔵が立っていた。 旧家の跡地を公園として利用しているのだろうか。 ここからさらに東に歩く。道はどんどん細くなり、路地を抜けるようにして 区内最古の神社だという妙義神社へたどりついた。 妙義神社は、日本武尊が東征の際この地に陣営をしき、のち白雉2年(651)に 社を建てて白鳥社と号したという古社。その拝殿の右に庚申塔 寛永19(1672) 江戸初期らしく板碑型で、中央に「奉造建庚申供養之佛塔・為・・・」 また下部の右脇に駒込村とあり、両脇に6名の名前が刻まれていた。 2、3分歩いて駒込駅に着いた。まだちょっと歩き足りない感じだったので 山手線沿いに歩き、中里の円勝寺に立ち寄り上中里駅まで、約12,000歩の 散歩だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.08 20:40:51
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