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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2019.01.08
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カテゴリ:蓮田市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今年初めての記事となります。よろしくお願いいたします。

今日は蓮田市東部、県道154号線沿いの石仏の2回目です。

川島橋西詰 蓮田市川島271北


県道154号線、元荒川に架かる川島橋の西詰、北側の側道の奥、写真後ろは白トビして見にくいが川島橋になる。この側道はたぶん旧道で、ここに古い川島橋が架かっていたのではないだろうか。道標を兼ねた三基の石塔が並んでいた。


左 庚申塔 天明5(1785)唐破風笠を持つ角柱型石塔の正面を彫りくぼめた中に日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。下部に御幣が立てられている。


彫りは細かく立派だが,石塔全体に風化、破損が見受けられる。江戸時代も中期以降になると良い石材が少なくなり、風雨にさらされる野仏は保存が難しいようだ。三角に髪を結い上げた青面金剛は顔面にひびが入っていて、ショケラも溶けてぼろきれのようになっていた。


足元には頭部の溶けた邪鬼。その下に両脇が内を向いて座る三猿が彫られている。


御幣の立てられた台の正面 右のほうに願主 村中、左のほうには世話人として個人名が刻まれていた。


塔の右側面に「庚申供養塔」その下に南 いわつき、北 加ふ野す 道。


左側面に造立年月日。その下に此方 志”おんじ道と刻まれている。


残りの二基はともに巡礼供養塔。左 百八十八ヶ所霊場供養塔 安政4(1857)角柱型石塔の正面中央に「奉納百八拾八ヶ所供養塔」百ヶ所観音霊場と四国八十八ヶ所霊場、合わせて188ヶ所になる。上部両脇に天下泰平・國土安全。右脇には「先祖代々子孫繁栄為二世安樂也」左脇に造立年月日。その下に川島村願主とあり一名の名前が刻まれていた。


塔の左側面 東 志”おんじ道 一リ、右側面は隙間が狭すぎて銘は確認できなかった。


右 百ヶ所観音霊場供養塔 明和7(1770)上部両隅が丸い角柱型石塔の正面「奉納坂東西國秩父百箇所為二世安樂」右脇に造立年月日。左脇には「西□□□道」と道標になっているようだが肝心の地名がと読み取れない。下部に数名の名前が刻まれている。


塔の左側面の銘はやはり確認できない。右側面には此より南 いはつき道と刻まれていた。

黒浜南小学校向路傍 蓮田市黒浜1301


川島橋を渡って鹿室方面に向かって300mほど進むと、黒浜南小学校の向かいの路傍に大きな石塔が立っていた。


庚申塔 宝暦4(1754)唐破風笠付き角柱型石塔の正面を彫りくぼめ、枠に日月雲、中に青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。大きな笠の正面には天女が舞う姿が彫られている。石塔は蓮が彫られた四角い台に乗り、さらにその下に大きな台、その下に薄い基壇という構成で、重厚な唐破風笠もあって堂々たる存在感を示している。


正面を彫りくぼめて、枠に日月雲、中に青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。像は風化のために摩耗がすすみ様子がはっきりしないのは残念だ。髪型が独特。中央を大きく三角に束ねて、さらに左右両脇に小さく束ねる。前回取材の蓮田岩槻バイパス路傍の庚申塔と同じタイプだ。


組んだ両手に頭を載せて丸まる邪鬼。両脇に小さな二鶏を彫り、その下に両脇が内を向く三猿とこのタイプの基本形である。


下の台の正面 右から南講中 二十三人、中央 新井平方講中廿四人、左 番場講中 廿二人か。「南」「新井平方」「番場」は近隣の字名。二十、三十は「廿」「卅」その異体字などいろいろあってよくわからないが、合わせて数十人の人たちが力を合わせてこの庚申塔を建立したものと思われる。


塔の右側面に「奉納庚申供養塔」


左側面に造立年月日。左下に黒濱村と刻まれていた。





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Last updated  2019.01.08 20:34:12
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