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カテゴリ:上尾市の石仏
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今日は堤崎の残り三か所と地頭方の石仏です。 愛宕神社北西住宅 上尾市堤崎338[地図] ![]() 上尾道路の堤崎交差点から愛宕神社の前を通る道は、その先で大きく右へカーブして北へ向かい上尾道路の側道に突き当たる。側道に出る手前、道路左側の住宅の庭の隅に石塔が立っていた。 ![]() 雨除けの下 庚申搭 大正4(1915)駒型の石塔の正面を彫りくぼめて、外に日月雲、中に日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。大正時代創建の庚申搭の像搭は記憶にない。相当珍しいと思われる。冠をかぶった鍾馗様のような顔立ちの青面金剛。持物はクロスのような小型の矛?・法輪・弓・矢。太ったショケラが足を折り曲げ青面金剛のももにすがりつく。 ![]() 足元に全身型の邪鬼。獅子舞の獅子のような風貌で、両足を伸ばしているのは邪鬼としてはユニーク。三猿と二鶏は見当たらない。 ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面に施主は個人名が刻まれていた。 堤崎上尾道路側道路傍 上尾市堤崎337付近[地図] ![]() 側道に出ると、右手角の電信柱の脇に二基の石塔が並んでいる。 ![]() 左 馬頭観音搭 文政11(1828)駒型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。 ![]() 塔の左側面 㣺(北)をけ川道、東 のミち。「のみち」という道標銘は時々見かける。 ![]() 右側面には南 よの 西 ひらかた? 道と刻まれていた。ひらがなのくずし字は難しい。 ![]() 右 馬頭観音搭 明治35(1902)駒型の石塔の正面中央「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の左側面に施主名。風化のために塔の角は丸くなっている。 ![]() 二基の馬頭観音塔のすぐ北、上尾道路の側道の歩道の脇に小堂が立っていた。 ![]() 小堂の中 庚申搭 貞享4(1687)板碑型石塔。小堂の周りは板が隙間なく張られ、堂内は薄暗い。 ![]() 塔の正面、梵字「バーンク」の下に「奉造立庚申佛爲現世安穏後生善處」両脇に造立年月日。右下に堤﨑村。 ![]() 小堂の前の横木でうまく見えないが、上からのぞき込むと塔の最下部に三猿。両脇の猿が内向きに座っていた。 (旧正円寺跡)? ![]() 上の庚申搭の小堂の前から上尾道路の側道を離れ、やや細い道を斜め左に進むと地頭方の住宅街に入る。北西に向かうこの道はその先で県道51号線を横切り、小敷谷、壱丁目方面に至る旧道らしい。途中道路左側に氷川神社があり、資料によるとその近くにある正円寺跡に六面六地蔵石幢、回国供養塔など八基の石塔があるということで探し回ったがどうしても見つからない。その後八雲神社の庚申搭を取材したときに、交差点の角に多くの石材が積まれていることに気が付いた。現場は氷川神社から北西へ150mほど、道路右側の交差点の角。ここを右折して道なりに進むと八雲神社の庚申搭の前に出る。おそらく付近の住宅化に伴って寺跡は整地されてその石材を一時保管したのだろう。いつか復元される日がくるかもしれないと思い、ここに記録しておくことにした。 八雲神社 上尾市地頭方550[地図] ![]() 上尾道路の堤崎北交差点から側道の歩道を北西に進み、400mほど先を斜め左に入ると右手に八雲神社があった。その敷地の西の隅に小堂が立っている。 ![]() 小堂の中 庚申搭 元禄12(1699)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 青面金剛立像 合掌型六臂。笠の正面に日月雲。 ![]() 青面金剛像の上の梵字は資料によると胎蔵界大日如来をあらわす「アーク」とぐろを巻いた蛇を頭に乗せた青面金剛の顔は風化のためにはっきりしない。持物は矛・法輪・弓・矢。 ![]() 足元に全身型の邪鬼と正面向きに並んで座る三猿。ここでも上から覗き込みやっと全体が撮れた。 ![]() 前の板の隙間からなんとか邪鬼と期間の顔を見る。35mmレンズではこれが限界。 ![]() 塔の左側面に造立年月日。右側面に「奉造立庚申供養尊像為二世安樂」下部に数人の名前が刻まれているらしいが写真には納められなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.10.04 05:37:58
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