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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2025.10.06
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カテゴリ:上尾市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

地頭方の北は壱丁目になります。壱丁目は資料では何か所かに石仏が紹介されていましたが、実際に現地を取材してみると、上尾道路の建設に伴って地域一体が再整備されたらしく、そのほとんどは今回の二か所に集められていました。

愛宕神社 上尾市壱丁目24-12​[地図]

上尾道路の壱丁目北交差点から東の側道を南に進むと、左手に愛宕神社がある。鳥居の右脇の一角に石塔が並んでいた。


前列に三基、後列に三基、整然と並ぶ六基のうち、五基が庚申塔、一基は馬頭観音塔。そのほとんどが周囲の路傍にあったものらしい。


前列右 庚申塔 貞享4(1687)四角い台の上の駒型の石塔の正面 梵字「バーンク」の下に「奉待庚申三六度 二世 安樂所」両脇に造立年月日。下部に正面向きに並ぶ大きめな三猿を浮き彫り。


塔の最下部中央に施主とあり、その両脇に六名の名前が刻まれていた。


前列中央 庚申塔 文化12(1815)四角い台の上の角柱型の石塔の正面「庚申塔」風化のために塔の右上が欠けている。


塔の右側面に造立年月日。左側面に當村 講中とあり、二段にわたって九名の名前が刻まれていた。


前列左 庚申塔 貞享3(1686)明治初期独特の板碑型三猿庚申搭。塔の下部に正面向きに並んで座る三猿を浮き彫り。


中央 梵字「アーンク」の下に「奉待庚申三箇季二世安樂所」両脇に造立年月日。下部両脇に七名の名前が刻まれている。


後列右 庚申塔 宝永7(1710)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。古いわりにはカビも少なく保存状態は良好で彫刻も優れている。とぐろを巻いた蛇を頭に乗せた三眼の青面金剛。持物とそれを持つ手の表現も細かい。像の右脇「奉造立庚申供養二世安乐処」左脇に造立年月日。その下に一丁村 講中。


足元に全身型の邪鬼。しかめ面して磐座に縋りつくように横たわる。その下に正面向きに肩を並べて座る三猿が彫られていた。


後列中央 馬頭観音塔 天保9(1838)四角い台の上の角柱型の石塔上部にうまく知音を結ぶ一面二臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。怒髪の中にかすかに馬頭が残る。その下部に「上岡講中」両脇に造立年月日。東松山市にある「上岡馬頭観音」に対する信仰は江戸時代に関東一円に広まり、各地で「上岡講」が結ばれたという。


塔の右側面に 南 よの/西 かわごへ/ミち。


左側面には 㣺 をけ川/東 いわつき/道。下部に一町目村 セハ人二名、願主一名の名前が刻まれていた。


後列左、ここでは唯一の小堂の中 庚申塔 享保11(1726)四角い台の上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。日月は塔の上からはみ出している。持物はヒトデのような刃の矛・法輪・弓・矢。合掌したショケラは青面金剛のももあたり、足を延ばして外向きに吊るされている。


足の両脇に二鶏を半浮き彫り。左の雌鶏の尾が塔からわずかにはみ出している。足元には全身型の邪鬼。牙をはやし、狛犬のような顔で横たわる。その下に三猿。両脇が内を向いて座る。サルたちの隙間に右から造立年月日。さらに一丁目村 施主十二人と刻まれていた。

壱丁目墓地 上尾市壱丁目14-4​[地図]


愛宕神社の100mほど東にある愛宕会館の隣に新しく整備された墓地が広がっている。入口から正面に立っているのは「三光堂」で、上尾市史には三光堂墓地と記載されていたが、お堂の右手前の石碑には「壱丁目墓地移転改葬」と記されていた。


お堂の右手、新しい聖観音菩薩塔の周りに多くの石塔が集められている。その多くは墓石で三界万霊塔である。


石塔群の右端、後ろから二番目は講中造立の石塔だった。


六字名号塔 万治3(1660)板碑型の正面、阿弥陀三尊種子の下「南無阿弥陀佛」両脇に光明遍照/十方世界/念佛衆生/摂取不捨。こちらは観無量寿経の偈文。右下に造立年月日。左下に大谷内一町目村、続けて「爲相人數後世也」結衆全員の極楽往生を願ったものだろう。


墓地の西の隅、フェンス付きブロック塀に沿って五基の石塔が並んでいた。目の前に個人の墓所があって、写真はやや撮りにくい。隣は愛宕会館の駐車場で、こちらからも墓地に入ることができる。


左端 善光寺巡礼供養塔 寛政元年(1789)四角い台の上の角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、「善光寺 一年 月参 供羪塔」1年間毎月善光寺参りをした記念に建てたものか。


塔の左側面に造立年月日。その下に當邑とあり個人名。右側面に願文。「伏(ふして)冀(こいねがう)國土清平/五穀豊穣/子孫昌榮/福壽圓満 也」と刻まれていた。


その隣 念仏供養塔 元禄6(1693)大きな舟形光背、梵字「サ」の下に左手に未敷蓮華を持ち右手与願印の聖観音菩薩立像を浮き彫り。


風化のためだろう、顔の様子ははっきりしない。転々と白カビはあるが銘はしっかり残っていた。光背右脇「奉造立念佛供養二世安樂之所」左脇に造立年月日。その下に武州足立郡 大谷一丁目村と刻まれている。


続いて念仏供養塔 延宝3(1675)大きく鋭角的な舟形光背、梵字「キリーク」の下に来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像を浮き彫り。全体にうっすらと白カビが覆う。


静かに瞑目する阿弥陀如来。光背右脇に「奉造建念佛講之供養」左脇に造立年月日。武州中足立一町目村と刻まれていた。


その隣 順礼供養塔 宝暦5(1755)二段の大きな台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔。笠の上には大きな宝珠が乗り、四角い敷茄子と蓮台が付く豪華な構成。


正面を彫りくぼめた中「奉納 四國/坂東/西國/秩父 諸願成就供養」左側面に造立年月日。左側面上部に天下泰平。その下に二つの法名。右側面上部に國土安全。その下に傳燈大阿闍梨訪印要海。願主だろうか?両脇に造立年月日が刻まれている。


右端 月待供養塔 貞享3(1686)自然石の正面上部に瑞雲に抱かれた月天を薄く浮き彫り。二十二夜塔とか二十三夜塔などはよく見るが、このタイプの月待供養塔は珍しく貴重だ。


自然石ゆえに銘はかなり読みにくい。中央に「奉拝月待供養□造立者也」右脇に造立年月日。左脇に武州大谷一町目村。塔の下部に八名の名前が刻まれていた。





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Last updated  2025.10.08 07:13:55
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