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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2025.10.09
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カテゴリ:上尾市の石仏
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前回まで大谷地区の西の地域を南から北へ見てゆきましたが、次は東の地域、大谷本郷から西宮下、向山、川、今泉と進みます。

県道165号線路傍 上尾市大谷本郷239​[地図]


上尾道路の堤崎交差点から東へ向かう道路(県道165号線)は、途中から緩やかにカーブして北上し、その先は県道51号線の大谷本郷交差点に至る。この二つの交差点の間は約2kmほどで車の通行量も比較的多いが、その間に信号機のある交差点は一か所だけ、それも押しボタン信号交差点だった。この信号交差点のすぐ北の十字路交差点の北東の角に石塔が立っている。


馬頭観音塔 造立年不明。四角い台の上の角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音」塔の左上を大きく欠く。塔の正面も一部剥落、銘は不完全だがかろうじて偏、旁が残っていてなんとか読み取ることができる。


塔の右側面奥に大谷本郷村。その横に馬持講中。続いて願主?二名の名前が刻まれていた。


左側面の銘は読み取りが難しい。右端に二月と見えるが、その上の部分が欠けていて造立年は不明。左のほうにひらがなが残っているのは、馬頭観音塔によくみられる道標銘の一部と思われる。

観音堂 上尾市大谷本郷802​[地図]


さらに100mほど北へ進むと道路右側に大谷本郷自治会館が立っていた。その左奥には熊野八雲神社、右手前には観音堂が立っていて、自治会館のある場所はたぶん寺跡だったのだろう。その南の入口、バス停と郵便箱の脇のフェンスに囲まれた一角に小堂が立っている。


小堂の中 庚申塔 元禄2(1689)四角い台の上 ゆるやかなフォルムの舟形光背に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


三角頭でごつい顔をした青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。銘はちょっと変わっていて、頭上に「奉造立」右脇に続けて「青面 金剛㪽 願成就 所」像の隙間に刻まれた銘はおかしなところで切れている。光背左脇に造立年月日。


足の両脇に大ぶりな二鶏を半浮き彫り。足元は邪鬼かと思って近づいてみると磐座、やはり元禄期の庚申塔で邪鬼はいなかった。下部に正面向きに肩を並べて座る三猿。顔はのっぺらぼうで、ここまで立体感がない造形は珍しい。三猿の下の部分、右から大谷内/本江村/同行/三十/一人と刻まれていた。本江村=ほんごうむら=本郷村だろう。


小堂の左脇に石灯籠 安政5(1856)竿の正面に「奉納 觀世音」右側面に造立年月日。


左側面下部に上尾宿 世話人とありその下に高人中。商人中だろうか?続いて大谷本郷村 商人中?せは人とあり二名の名前が刻まれている。


小堂の裏には消防小屋と火の見やぐらがあって、さらにその裏に観音堂があった。その右脇、敷地の隅のフェンスの中に石塔が並んでいる。地蔵菩薩搭も何基かあるがほとんどは墓石だった。


前列左から2番目 地蔵菩薩塔 享保4(1719)厚い敷茄子と蓮台の上の丸彫りの地蔵菩薩像は、首がもげ風化のためか宝珠も錫杖も欠けている。


敷茄子の下の角柱型の石塔の正面に「岩船地蔵 供養佛」岩船地蔵は栃木県岩船の高山寺のお地蔵様で、子授け、子育て、安産に霊験あらたかとされ、その信仰は江戸時代、とりわけ享保4年に関東に爆発的にひろまったものらしく、上尾市内の他の地区でも多く見られる。


塔の左側面に造立年月日。右側面に大谷本郷村中 結衆敬白と刻まれていた。





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Last updated  2025.10.09 18:57:38
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