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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2025.10.12
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カテゴリ:上尾市の石仏
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県道51号線を越えて北へ移ります。まずは東の地域、西宮下の石仏です。

西宮下天神社 
上尾市西宮下1-225​[地図]


県道51号線の大谷本郷交差点から東へ進み鴨川を越えて400mほど先、西宮下歩道橋交差点を斜め左に入ると、すぐ右手の高台に西宮下天神社がある。ふもとに道路のほうから三基の小堂と奥に不動堂が並んでいた。


道路沿いの小堂の中 庚申塔 享保20(1735)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


彫りは薄く線が細い。とぐろを巻いた蛇を頭上に乗せた青面金剛の顔は崩れていた。持物は矛・法輪・弓・矢。足の両脇に二鶏を線刻。足元に彫られた全身型の邪鬼も顔がはっきりしない。


その下に三猿。その座り方は変則的で、左の言わ猿は正面向きに、中央の見猿は正面向きだが右足をだらしなく投げ出し、右の聞か猿は足を組んで内側を向いて座っていた。


塔の側面は小堂の側板のために全体の写真は撮りにくい。右側面に「奉所願供養塔施主安全」


左側面上部に造立年月日。下部に武刕足立郡川口庄 大谷領宮下邑中と刻まれていた。


奥手前の小堂の中 如意輪觀音塔 延享2(1745)角柱型の石塔に四角い蓮台を乗せてその上に丸彫りの如意輪観音坐像。一面二臂の坐像は肩に補修後があり、尊顔も異様な感じがする。


角柱型の石塔の正面中央「奉供養觀世音」右下に講中女人、左下に寒念佛若者中。若者だけの念仏講というのは珍しいと思う。


両側面の下部に細かい字で多くの名前が刻まれているようだが、はっきりとは読み取れない。資料によると背面には造立年月日があり、大谷宮下と刻まれているらしいが、こちらは小堂の中の空間が狭く確認できなかった。


奥の小堂の中 弁財天塔 文化8(1811)石祠の正面「辯財天」


塔の右側面に造立年月日。左側面に宮下村 講中と刻まれている。


一番奥の不動堂の中 不動明王塔 造立年不明。牙をはやした不動明王は剣と羂索を手にして座る。四角い炎の光背は赤く彩色されていた。堂内には入れず銘は確認できない。


庚申塔の小堂の南、道路沿いに石塔が立っていた。石橋供養塔 延享4(1747)薄い四角い台の上の角柱型の石塔の正面「石橋供養塔」


塔の左側面、東 あげお はらいち 道。下部に宮下村 別所村。さいたま市の別所町との境界にほど近い鴨川にかかっていた橋の供養塔だろう。


右側面上部、西 ひらかた かわごゑ みち。両側面の道標銘から考えると、現在県道51号線が通る「揺木橋」の供養塔と思われる。下部に向山村 本郷村。「揺木橋」を利用する近隣四村が協力したものと思われる。


裏面右に造立年月日。中央に「先祖代々爲菩提」続いてその左脇に施主平方村とあり長嶋氏の名前が刻まれていた。平方というとこの付近からは3kmほど離れているが、施主は平方、大谷界隈の有力者で、先祖の供養になるならと多額の寄進をされたのだろうか。江戸時代には荒川の水運が盛んで、この地域の経済も平方地区あたりが比較的豊かだったのかもしれない。





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Last updated  2025.10.12 20:12:44
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