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カテゴリ:上尾市の石仏
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小敷谷の北、畔吉の石仏です。 十輪寺 上尾市畔吉811[地図] ![]() 丸山公園の北駐車場の入り口前から道なりに北へ進み、諏訪神社(西)交差点を越えて100mほど先を左折、細い道を西に進むと右手に十輪寺があった。正面のこじんまりとした本堂の奥が墓地になっている。 ![]() お堂の左手前にもいくつか石塔が並んでいた。 ![]() 左から地蔵菩薩塔 天保12(1841)舟形光背に合掌する地蔵菩薩立像を浮き彫り。あちこちに白カビがこびりついている。 ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面に畔吉村中と刻まれていた。 ![]() その隣 六地蔵菩薩塔 造立年不明。横長の台の上、角柱型の石塔に立つ六体の丸彫りの地蔵菩薩像。像の様子、敷茄子、蓮台いずれもよくそろっているが、右から三基目の像は首が欠けている。 ![]() 石塔は多くの部分が剥落、一部戒名などの銘は残るものの紀年銘は確認できない。おそらく江戸時代後期のものではないだろうか。 ![]() 続いて 念仏供養塔 文化3(1806)二段の四角い台の上の角柱型の石塔に法輪・蓮華・宝珠:数珠を手にした一面六臂の丸彫りの如意輪観音坐像が乗っている。 ![]() 角柱型の石塔の正面中央「百萬遍供養塔」念仏供養塔である。両脇に天下泰平 國家安全。 ![]() 塔の左右両側面に多数の戒名。裏面中央に念佛同行七拾人。右脇に武刕足立郡畔吉村。左脇に造立年月日。下部に世話人とあり、九名の名前が刻まれていた。 ![]() 右端 地蔵菩薩塔 元禄11(1698)舟形光背に合掌する地蔵菩薩立像を浮き彫り。白カビが多い。像の右端に童女戒名が刻まれていて墓石らしい。左脇の紀年銘は命日だろう。 ![]() 本堂の右から奥の墓地に向かうと、東のブロック塀の前に墓石を含めて多くの石塔が並んでいた。 ![]() 右から2番目 馬頭観音塔 明治17(1884)駒型の石塔の正面 上部に「卐」その下に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。 ![]() 塔の左側面中央に畔吉村。右下に願主二名の名前。左下にセハ人 組合中。 ![]() 右側面に當村 有志者 八十六人と刻まれている。 ![]() その隣 普門品供養塔 文久2(1862)角柱型の石塔の正面中央「普門品供養塔」 ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面に大きく畔吉村中と刻まれていた。 ![]() 続いて読誦供養塔 元治元年(1864)駒型の石塔の正面「奉斬讀 普門品 光明咒 一万五千巻塔」以前調べたとき「咒=経文」だったような覚えがあり、「斬」は「漸」の間違いとすると、普門品と光明真言の経文一万五千巻を時間をかけて読んだということだろうか。下部両脇に百萬遍塔とも刻まれていて念仏供養塔も兼ねているようだ。 ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面に武州足立郡畔吉村 發願主 文蔵 七十七才と刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.10.30 17:50:45
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