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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2025.11.05
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カテゴリ:上尾市の石仏
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徳星寺の二回目はお寺の東に広がる墓地と本堂裏の石仏です。

徳星寺 上尾市畔吉751​[地図]


本堂の手前を右に進むと、墓地に出るすぐ手前、左手の一角、前列に六基、後列に比較的大きな四基、合わせて十基の石塔が東向きに並んでいた。近くに「奉納 馬頭観世音菩薩」と記された赤い旗が立っている。


前列左端 馬頭観音塔 文久元年(1861)角柱型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の左側面に願主 畔吉村とあり二名の名前。


2番目 馬頭観音塔 明和元年(1764)駒型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。


3番目 馬頭観音塔 天保9(1838)駒型の石塔の正面に一面忿怒相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。ふっくらと馬口印を結び頭上にはくっきりと馬頭。


塔の右側面に造立年月日。左側面に畔吉村願主、その下に二名の名前が刻まれている。

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4番目 不明塔。駒型の石塔の正面はほぼ全面的に剥落。銘は確認できない。ここに並んでいるということは多分馬頭観音塔なのだろうが・・・塔の左側面に畔吉村願主とあり二名の名前。


5番目 馬頭観音塔 文久元年(1861)角柱型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の左側面に個人名。


前列右端 馬頭観音塔 明治37(1904)四角い台の上の角柱型の石塔の正面中央に「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。左側面に大石村畔吉施主とありその下に二名の名前。


後列左端 馬頭観音塔 明治17(1884)駒型の石塔の正面に三面忿怒相六臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。塔の上部は風化のためか変色している。


仮面をかぶったような顔の表情は迫力がある。中央の髪の真ん中に馬頭。馬口印を結び、持物は矛・法輪・弓・矢?右足を立てた馬頭観音の半跏坐像というのは珍しい。


塔の右側面に造立年月日。左側面に大字畔吉 願主とあり二名の名前が刻まれていた。


2番目 馬頭観音塔 嘉永2(1849)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、蓮台に立つ忿怒相二臂の馬頭観音像を浮き彫り。ムッとした忿怒相ではあるが、静かなたたずまいで穏やかな印象。高く結い上げた髪の中心に大きな馬頭。


塔の右側面に造立年月日。左側面に足立郡畔吉村 施主とあり個人名が刻まれている。


3番目 馬頭観音塔 天保4(1833)角柱型の石塔の正面に「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。左側面に武州足立郡 畔吉邨中。続いて世話人一名の名前。


後列右端 安永7(1778)駒型の石塔の正面に二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。前列の石塔の陰になり正面からは下部が見えない。


像の周りには白カビが厚くこびりつく。静かに目を閉じた慈悲相の馬頭観音。像の両脇に造立年月日。


馬頭観音の足元の部分に 願主 畔吉(村中?)と刻まれていた。


馬頭観音塔の一群を離れ東の墓地に向かう。南北に広がる大きな墓地の南は平坦だが、北の方は高くなって、坂道を登り始めるとすぐ手に記念碑が立っていた。それによると徳星寺の東に広がるこの大きな墓地は「畔吉本村共同墓地」で、昭和60年代当時、草木が生い茂り、土地に段差も多く、加えて長年にわたり無秩序に新しい墓所もつくられ、通路も境界もはっきりしないような状態だったらしい。そんな折、当時の徳星寺のご住職の発願もあって、昭和62年に墓地整備の協議が始まり、平成2年12月に完成をみたという。


記念碑の後ろの個人の墓所の中に馬頭観音塔 天明4(1784)舟形光背に慈悲相二臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背右脇に造立年月日。左脇に施主 個人名。記念碑を読んでいて、たまたまこの馬頭観音塔に気が付いた。この共同墓地は1000年以上前から村の人たちに利用されてきたという。もしかしたら個人の墓所の中に、まだ貴重な石塔があるかもしれない。


墓地の西の坂道を北へ進み、登り切ったあたりから左に折れると徳星寺の本堂の裏に出る。竹藪の中に大きな石塔が立っていた。


大乗妙典供養塔 正徳5(1715)四角い蓮台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔。


笠に上の丸彫りの石仏は虚空蔵菩薩坐像。舟形光背を負い、蓮を手にして蓮台に座る。


角柱型の石塔の四面をそれぞれ彫りくぼめた中に多くの銘が刻まれていた。正面、阿弥陀三尊種子の下「奉讀誦大乗妙典一千部 宿望□足□□供養 爲二世安樂也」右脇に供養導師 泉福壽寺現住豎者法印貫道。左脇に讀誦行者 徳星寺□樂□登者法印清山。


右側面 梵字「キリーク」の下に「奉信念師長父母六親眷属増道損生 及爲門弟等二世安樂也」


左側面 梵字「タラーク」の下「奉造立虚空蔵尊石像一躯所願成就之㪽」


背面 梵字「カーン」の下「奉念願引導□霊亡者往生□□ 乃至法界利益□均。両脇に造立年月日。多くの願いが込められた石塔である。


その左脇、生い茂る草木に隠れて遠くからは見えなかったが  大乗妙典供養塔 明和3(1766)角柱型の石塔の正面 阿弥陀三尊種子の下に「奉讀誦大乗妙典一千部爲二世安樂也」


塔の右側面に法華経の偈文。左側面に讀誦行者 徳星寺閑居豎者法印宣榮。続いて造立年月日が刻まれていた。





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Last updated  2025.11.05 20:11:32
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