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カテゴリ:上尾市の石仏
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(11月6日から楽天ブログがアクセスできない状態でした。いまだ完全に復旧していない様子。緊急避難用に「はてなブログ」の方に仮ブログを作成しました。こちらのブログがアクセス不能の時は(仮)をご覧ください) 畔吉残り二か所の石仏です。 諏訪神社 上尾市畔吉834[地図] ![]() 丸山公園の北駐車場入り口前から北へ向かい、初めての信号「諏訪神社西」交差点を右折して道なりに150mほど進むと左手に諏訪神社があった。 ![]() 入り口から入ってすぐ右手 石灯籠 元治元年(1864)宝珠を乗せた笠の下の火袋に天狗のうちわ形に窓を抜く。山岳信仰との関連か?この「大山石灯籠」は「畔吉ささら獅子舞」とともに上尾市の指定文化財になっている。 ![]() 四角い竿の正面に「大山石尊大権現」裏に造立年月日。竿の下の台の正面に畔吉村中と刻まれていた。 ![]() 参道を進み階段を上った先、社殿の右脇にの石祠、石塔が並んでいる。 ![]() 右から2番目 八幡神塔 寛文元年(1661)寄棟屋根を乗せた量感のある石祠。江戸時代初期の作品で貴重。正面奥の面は風化のために様子は確認できない。右の縁に「奉造立神社八幡大菩薩二世安樂也」と銘が見え、神であり菩薩というのだから当時の神仏習合の様子がうかがえるものといえるだろう。左の縁に畔吉村結□廿五人。さらにその外に造立年月日が刻まれていた。 ![]() 一つ置いて左 弁財天塔 元文3(1738)こちらも正面奥の銘が読めない。資料によると梵字「ソ」の下に「弁財天」弁財天塔は川や沼など水に縁のあるところに祀られることが多い。 ![]() 塔の左側面に造立年月日。右側面に武州足立郡畔吉村 講中九人と刻まれている。 ![]() 続いて水神塔 寛政5(1793)四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「バン」の下に「水神宮」水神の本地仏は大日如来か? ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面に施主 畔吉 村中 と刻まれていた。 ![]() その隣 水神塔 天保14(1843)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「水神□」塔の右側面に造立年月日。 ![]() 左側面に個人名。このあたりは荒川沿いの地域であり、弁財天塔、水神塔など水に縁のある石塔が多いのだろう。 ![]() 続く四基の石塔はいずれも明治時代に造立された八幡神塔だった。 畔吉東部共同墓地 上尾市畔吉1168西[地図]
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Last updated
2025.11.11 06:02:46
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