その後めぐり合った戸田市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら今日は蕨シリーズをお休みして戸田市でその後見つかった石塔を紹介します。道満河岸釣り場入口彩湖道満グリーンパークの釣堀の入口脇に石塔が立っていた。両脇に小さな水神宮塔を従えて、中央は文字が読めないが、やはり水神宮のようだ。下の台の正面に引又ミちと刻まれていた。近くに解説板が立っていた。引又は現在の志木市の一部の名称。荒川を挟んで志木の内間木村と戸田の美谷本村もこの道満の渡しで結ばれていたことがわかる。美女木山王神社 戸田市美女木1-23道満の東は美女木地区になる。バイパスを越えて重瀬公園の西に山王神社がある。入口左に小堂があり、六地蔵の姿が見える。小堂の中、左から 寒念仏供養塔 享保14(1729)台の上に地蔵菩薩坐像。正面「寒念佛供養」下部両脇にそれぞれ下内間木村とあり施主名は個人名が刻まれていた。朝霞市の内間木と美女木地区の結びつきを示すものだろう。あるいはこの塔自体が朝霞のほうから移動されてきた可能性もあろうか。像は比較的美しい状態を保っている。塔の右側面に年号が刻まれていた。六地蔵菩薩立像。顔立ちや像の様子、蓮台の形など、統一感はあるようだ。台に銘が見えるのは六基のうち三基。左から2番目 安永6(1777)の銘がある。中央に念佛講中、十方助力と刻まれていた。4番目 中央に念佛講中 敬白と刻む。脇に宝暦5(1755)の銘があった。一番右 寛政2(1790)中央に善誠法子 霊(異体字)位と刻まれる。「法子」は僧侶をあらわすらしい。堂の一番奥に地蔵菩薩立像。こちらは台にも像にも銘は見当たらなかった。安養寺 戸田市美女木1-3山王神社から東に歩く。美女木一丁目交差点から細い道を東に入り込むと安養寺があった。墓地の前、小堂の中に地蔵菩薩立像 享保16(1731)が立つ。下の台の正面に美女木村講中、両脇に年号が刻まれていた。その隣に百番供養塔 寛政5(1793)正面上部に月山・湯殿山・羽黒山。続いて西國坂東秩父百番供養塔。両脇に天下泰平・国土安穏と刻まれている。塔の左側面には年号。右側面 大師順禮所第五十七番 伊豫國八幡宮移とありその下に安養寺と刻まれていた。