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いたち(医達)塾。ナルヘソサプリ 栄養管理で健康を保つ

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2019.11.09
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カテゴリ:【業務連絡】
​かなり強めなタイトルにしてみました。


 そういうことが有ったという事ですが。人間の医者のお話。


 何度か話をしている「今」


 生きている「今」はその瞬間の連続にあり、
「い」と発したのちに「ま」を言う間に
「い」を発した瞬間はすでに過ぎ去っている
そんな瞬間の中に私たちは生きています。


 今がどんな時代なのか、正しく理解することは難しくて
将来から見て初めて確かなものが判断できるのかもしれないなーと
私は考えています。


人間の医療に関しても、今、現在の最新技術は
将来から見たら本当に生きるために必要な医療か。。。とは
言い切れる事柄ばかりではないのかもしれません。


 生きている時には、その医療がより良いもので
適切な処置をされていると、想いがちなのかもしれません。



 今の最善が、生命への対応の正解かどうかは別の話です。



 私は医療技術を時間軸で眺めています。同様に動物の医療もそのように
長い時間軸で観察をしています。


 人の80年。それなりに意識がはっきりしている時間を80年としても、
100さいになるには現役バリバリ過ごせはなかなかできなくなるので
人生80年と考えて、その人の一生でどのように医療が発展しているのかも
観察対象の一つです。



 最近読んでいる本に、「東京裁判」があります
戦争物は興味があり、戦争は科学の発展するきっかけになり、
生き死にが関わっているので人間の生理学などの発見も
大いになされている時期になっています。

 そこでよく見ます。いろんな意味で興味深く調べています。



 東京裁判で戦争指導者が裁かれることになっているのですが
その指導者の年齢に着目してみました。

 60代、70代、80代。。


 人生の終盤にこの戦争と言う事態にいきた人がどんな
人生観を持っていたのかな?と考えていました。

 市井に住むその当時80代の人もですが、

 たまにこの話を書きますが、戦争終了時に80代って
江戸時代に生まれたってことですか?って。


 よく私の基準の一つ。時間の折り返しで考えることにしています。
読者さんが30歳とすれば、生まれる前の30年間で何が起こっていたのか
経験した30年とその前の30年の間の比較です。



 この話も何回か書いていますが、
戦争当事者は江戸時代に生まれた人も関係していたのですね。
もちろん過ごした時間は明治、大正、昭和と言う事なのですが
どういう感じで生き、時代を感じていたのか非常に興味が有ります。



 まあ、健康分野に話を戻します。


 明治開国前後からいわゆる西洋医学が入ってきて
発展していくことになっています。

 ですから、江戸時代に生まれて80年過ごした人は
医療の発展する時代で生きていました。
もちろん私たちも知らない間に医療が発展し、
過去を振り返ればおかしいな?という医療行為もあるわけです。


 すごく学びになります。気づきの発見にもなります。
10年単位で良いので眺めてみるのがいいと思います。できればですが。



 さて、本題です。


 タイトルの通り「医者が患者を殺す事」についてです。


 ちょうど今日メールが入ってきました。そのことの紹介です。

「QUORA」という情報サイトから
予防医学の父と言う内容がありました。

 もちろん知ってはいましたが、
ちょうどこの内容を利用しようと、
記事を書き始めたしだいです。


 本題まで長かったですねー


 よく書かれているのでそのままコピペします。

、医学界の歴史で最も悲しい医者「​センメルヴェイス・イグナーツ​」を推薦します。

彼は、ウィーン総合病院の第一病棟での死亡率(20%)と第二病棟での
死亡率(2%)の差を疑問に感じ、更に、給付金目当てで入院前に自分で出産する人の死亡率(0%)を
聞き、病院特有の何かが存在し、それが第一病棟に特に多いと感じました。
ちなみに第一病棟では、研修医が担当しており、
その実験台になることで給付金がもらえる仕組みです。

また第二病棟では助産婦が出産を担当していました。


なかなかのミステリーに彼は立ち向かい、
ついに友人の医者が第一病棟で研修医のメスで指先を傷つけたことで、
研修医には特有の何かがあることを突き止めました。

​ 死亡した妊婦を担当した研修医たちは、出産に立ち会う前に、
死体解剖をしているところまで突き止めます。
 
目に見えない何かが、医者の手についていることを見抜いたのです!

 これこそが細菌です。ですがまだコッホもパスツールも登場していません。
目に見えない小さな細菌は、存在していないのです。​

​ そこで彼は、研修医に、解剖実験後、必ず手を洗うように指導します。
するとたちどころに、第一病棟での死亡率は2%まで下がったそうです。​

素晴らしい発見! 「予防医学の父」と呼ばれる所以です。  


 これの何が悲しいかというと、悲劇はここからです。

​​​彼によって、患者を死亡させていたのは、ほかならぬ医者になってしまったのです。
当時から医者たちは超エリート階級。
 その医者の体に何か人を殺すものがついているとか、受け入れがたいことでした。

 結局、センメルヴェイスは、ウィーンの病院をクビにされ、追い出されます。
そして彼の発表した手洗い説は、当時の医学界でも「珍説」として笑い者にされ、闇に葬り去られます。​​​

 それでも彼は戦い続け、医者に手を洗うように訴え続けた結果………可哀想に、狂人として精神病棟に入れられ、殴られ、その傷から入ったばい菌が原因で死んでいます。



 ​​「いいから、手をあらえってば!」​​

という、ただ手を洗ってほしかっただけの彼は、
こうして歴史の中に消えていきました。僕はこの話を聞くたびに、不憫すぎて切なくなります。

​何故、この人のことを知ったかというと、科学の世界では「センメルヴェイス効果」という言葉があるからです。通説とは違う新事実を科学者が反射的に拒絶する反応のことです。




 この記事は興味深い部分がたくさんあります。

  
 1818年生まれの1865年に47歳で亡くなっています

 明治が1867年からですから、そんなころ。
先ほどの江戸時代に生まれて、東京裁判での80代の人の
一つ前の世代の知見と言えば知見です。

 1847年に消毒のことを気が付いたのが30歳くらいの
いわゆる「わかぞう」なかなか、後世に支持される考えも
「センメルヴェイス効果」のように受け入れてもくれないし
おかしな意見と拒絶されてしまうのですね。


 そんな「センメルヴェイス効果」は、医療の歴史のなかで
度々みられています。


 ​ウキペディアを参考資料に


 この予防医学としての雑菌については
最近ニュースになった​「フェレットに噛まれて死亡」​
要は妊婦が出血する際に、抵抗力も弱っている中
傷があり、そこからの最近感染しての記事は、

 フェレットに噛まれて傷ができての細菌感染による
蜂窩織炎と同じような関係性です。



 だから、すぐにけがをしたら水で綺麗にして
適切な処置をすれば問題も起こりにくくなるわけです。
絶対に発症してくれなければいいですが

 

 予防医学と言えば、傷をスプレーでコーティングする製品ありますね。
あれ、キレイに患部をしてからやらないと
細菌ごとコーティングすることになり問題になるといいます。


 傷に対しての考え方も変わってきていて、
消毒をすると必要な菌も殺してしまうので、
傷痕が残りやすく、治りも悪くなると指摘されています。


 
 
 患者を死亡させていたのは、ほかならぬ医者

この部分・・・患畜を死亡させていたのは、ほかならぬ獣医・・・

 これは言い過ぎですが、近いものはあるかと認識しています。



 あまり自分の考えを重ねても良くないので辞めますが、
医療の発展は人類史の長さと比べても200年あまりの最近目覚ましくあり
「今」の認識も、将来の目で判断することも大切ですし、
今立っている科学の知識の足をきちんと立てて、
手にできる命に向かい合う必要があると思います。


 よく、学びの足らない人は、足が地についていなくて
突飛なことを言って、結論を出ていないように私は感じています。



 さて、長くなりましたのでこれまでにしますが、
途中長文のコピペをしたので、解説を長く居れることで
合法的な引用の処理にするために長く書きました
 

 参考になる部分があるとうれしいです。





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最終更新日  2019.11.11 09:32:34
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