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あしなみ揃えて! ~日蓮大聖人様に寄り添いながら~

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一生成仏抄

  御書解説93――背景と大意
      一生成仏抄
         平成新編御書 45ページ(別名 与富木書)

   一、御述作の由来

 本抄は、大聖人様が立教開宗された二年後の建長七(一二五五)年、三十四歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷の草庵にて認められ、下総(千葉県北西部)の富木常忍殿に与えられた御手紙と伝えられています。
 建長五(一二五三)年四月二十八日、安房・清澄山嵩が森にて立教開宗を宣せられた大聖人様は、故郷を後に、末法万年の一切衆生を救済すべく、当時の政治の中心地鎌倉へと向かわれました。そして、まもなく法華弘教の拠点として鎌倉・松葉ケ谷に草庵を結ばれると、その後弘教に努められる中で、後に入道して常忍と称した富木五郎胤継殿が入信したのです。
 富木殿は、信行学の錬磨に努め、後に入信した曽谷教信殿、太田乗明殿、四条金吾殿らの中にあって中心的な役割を果たしました。特に『観心本尊抄』『法華取要抄』『四信五品抄』など四十余篇にわたる御書を賜っていることは、下総・若宮の領主として地域社会に堅固な基盤を有する富木殿に対し、後世への御書の格護保存を託されたものといえるでしょう。

   二、本抄の大意

 一心に御題目を唱え、一生の中で成仏の境界を得るよう勧誡された御書で、はじめに、我ら凡夫の成仏は衆生本有の妙理(衆生が本来具備している妙法)を観ずるところにある。この衆生本有の妙理こそ妙法蓮華経であり、妙法蓮華経と唱えることが衆生本有の妙理を観ずることである。なぜなら、法界のすべてが一念の生命に包含されることを説き顕しているのが妙法だからである、と御教示されます。
 次に、いかに妙法を持つとも、自己の心の外に妙法蓮華経があると捉えるのは間違いであると示されます。つまり、幾度となく生死を累ね、長い期間の厳しい修行を経て、はじめて悟りを得ると説く歴劫修行や、念仏を唱えることによって、死後、娑婆世界を捨てて他に極楽浄土の別世界を求めるなど、仏と凡夫、浄土と穢土とを隔てるような爾前権教の考え方を誡められています。そして、迷いも悟りも、本来その体は一つであり、衆生の一念を浄化することにより、現に住する娑婆世界において、凡夫がその身を改めずに即身成仏することを教えられたのです。
 次いで、妙法蓮華経こそ、その成仏の直道と御教示あそばされ、さらに法華経を引かれ、滅後末法、娑婆世界における妙法受持の唱題に励むならば、必ず一生成仏することを明かされて締め括られます。
(大白法平成13年3月1日号)


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