光と影
明後日は初級箱庭セミナーの最終日。もう一度プログラムを見直しながら精神分析学者であるユングの「光と影との統合」について考えました。統合、と聞くと自分の影の部分をなくさなければ、と思ってしまう人が多いようです。ただ、その統合という表現が、西洋の精神文化ちっくだな、と思います。一神教である西洋とは違い、多神教の精神文化をもつ日本では、やはり、西洋の心理学理論をそのまま用いるのには無理があります。「統合」というと向かうところは一つなのですが、何を選んでもそこに意味を見出す日本文化には、むしろ「全体」の方がしっくりくるように思います。唯一無二の存在である、西洋の神に対して、「千と千尋」の映画にも出てきたように、八百万の神(川の神様、木の神様、火の神様などなど)が存在した日本では全く違った精神構造です。貧乏にだって、「貧乏神」なんて神をつけちゃうなんて、すごいと思いません?いたるところに、いたる場面に可能性を見出そうとしたからだと思います。影は誰でも持っているものです。まずそれを認めることです。影が気になっているうちは、部分しかみれていません。でもずっと自分に隠し続けるのは無理が生じますから、箱庭のような安心して影を出せる場所が必要になってくるんですね。