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みんなの気持ち・・たんぽぽの仲間たちから

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2006/11/24
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カテゴリ:カテゴリ未分類
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 自動車学校
  自動車学校・・とってもとっても大変でした。私が大変というより周りの方が大変だったかもしれない・・

でも毎日やっぱりあんまり受からないから悲しくて、行きたくないなあと泣いていた思いでがあります。

 建物にぶつけて、建物を壊したり・・エス字とかゼットの形になっていたり、車庫入れの練習をするときに立っている三角の印もいくつもなぎ倒して壊したり・・もうだんだん壊したり、変なことしてしまったりで有名になってしまって、車に乗ると教官の先生に「ああ、きみがあの子」なんて言われてしまうくらいでした。

 勘違いもいっぱいしました。教官さんが「離して離して・・」っておっしゃるのです。何を?って思ったけど聞けなくて、初めはそっとアクセルから足を離して、それでも「離せ」っておっしゃるから、今度はブレーキから足を離して・・それでもだめだからもう離すところはここしかないと思って、ハンドルから手をぱっと離したら「ばかやろう・・。左の並木塀から車を離せって言ったんだ」とすごく叱られました。なんとか試験まで来たときに、急に雨が降り出して、ワイパーの動かし方なんて知らないって思い出して、どうぞ雨が強くなりませんようにって思っていたのに、どんどん降り出して、とうとう「ワイパー」って怒られて、どのスイッチかな・・これかな?って動かしたら、ライトがぱっとついて、違ったと思って、今度は何か押したら、シューって水が窓に出て、結局「ワイパーの場所を知らない」ということで落ちてしまったのです。いつも見て下さってる教官さんが「きみはいいこなんだけど、でも車はあんまりのらないほうがいいなぁ」なんて、私があんまりシュンとしているので、何かなぐさめなくちゃいけないと思って下さって、それでもいいところが見つからなかったのか「いい子」なんだけどなんてなぐさめてくださったのでした。

それでついに卒業のとき「あんまりおいておくと、どんどん学校がこわれていくし、たまったもんじゃないから、はやく出ていってもらわないとね」とか「この学校卒業って言わないでね」とか冗談だかそうじゃないかわからない言葉をいただいて卒業をしました。大学の先生も私が路上に出ている時間は「危険だから、外は歩かないこと」なんて黒板に書いてて、「またぁ」とおかしかったです。

 でも今は車大好き。でもやっぱりバックは苦手なので、できるだけバックはしないようにそれから細い道も入らないようにしています。でもまっすぐな道は得意です。(これ、得意って言っていいのかな?)







最終更新日  2006/11/24 08:55:36 PM
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2006/11/21
カテゴリ:みんなの気持ち

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フランス料理やさん
3年前、錦城養護学校にいたときのお話です。
 作業で作った製品の売り上げの一部で一年に一度、打ち上げ会をします。今年はボーリングの後、片山津のラウィーブというフランス料理やさんへ出かけました。一年の作業の売り上げと言っても、それほど多い額ではありません。まして、その一部となると本当にわずかな額ですが、それでも、その額でなんとか子どもたちにコースのお料理を用意していただけないかというあつかましいお願いを、前もっておそるおそるしてあったのです。店長さんはすぐに、「いいですよ。お待ちしています」とお返事をしてくださいました。私たちはそれから、「もう一週間でフランス料理だね」「いよいよあと三日だね」とそれはそれは今日の日が来るのを心待ちにしていました。
 お店の前には、とてもおしゃれな雪だるまが私たちを出迎えてくれました。目はワインのコルクの栓でできていました。頭には、エーゲ海のお日さまを思わせるような(フランスはエーゲ海に近いのかどうか、地理が驚異的ににがてな私にはわかりませんが)大きなメダルのようなものが取り付けてありました。もうそれだけで、まりちゃんや私はうれしくてなりません。ドアには、「ランチタイムは貸切になっています」という札がかけられてありました。
 どきどきしてドアをあけるとそこには、とてもやさしそうな男の方が二人と、女の方が一人、私たちを待っていて下さいました。「貸切にしましたので、遠慮なさらずにごゆっくりどうぞ」という声に、十五人という大人数で押し掛けて申し訳ないような、それでいて、こんなふうに私たちがゆっくりできるようにと考えてくださったことがとてもうれしかったです。
 テーブルはもうすてきなセッティングがされていました。そして、驚いたことに一人ひとりのところに、お店の方からのとてもおしゃれなお手紙がおかれてあったのです。
 「錦城養護学校のみなさん。今日は来てくださってありがとうございます。私たちはこの日がくるのを楽しみにまだかまだかと待っていました。一所懸命用意をして待っていました。フランス料理といっても、かたくるしくしないで、楽しく食べてください。みんなで楽しく食べるととてもおいしいですものね。楽しく食べてくれると、おにいさんもおねえさんもとてもうれしいです。みんなもいつか働いてお金がもらえるようになったら、おお友達や家族の方をつれて来てください。それまで、私たちはがんばってもっとおいしいお料理を作れるように勉強します」
それから、今日のメニューが英語で書かれてあって、その次に、それらひとつひとつが絵で描かれてありました。コースのお料理は私たちが考えていた額ではとうてい食べられそうにないような気がして、金額を伝え間違えていたんだったらどうしようと心配になるくらいのものでした。
 横の席にいたみきちゃんやまりちゃんに「私、お手紙読むね」と言いながらそのお手紙を読みだしたのですが、途中で胸がつまって困りました。電話で予約させていただいた私たちのために、こんなに丁寧で、心のこもったお手紙を一人ひとりの席に用意してくださったこと、おそらくはドアの前の雪だるまもそのひとつだったのだとわかりました。お手紙の中の「まだかまだかと待っていました」ということは、手紙だけでなくて、本当にそうなのだわと思いました。
 それから、私たちがフランス料理だからとかたくなって楽しく食べられないといけないと配慮してくださったこともうれしかったです。だってもし、(「あつ、あんな食べ方してる」って思われたらどうしよう)って考えたら、緊張して本当においしく楽しく食べられないものね。
 それから、前に電話で店長さんに、「働いて給料をもらうということの意味を知りたいということもあって、毎年、楽しい会を持っているのです」とお話したことも大事に思ってくださったのだと思います。それで「お金をもらえるようになったら……」ということを書いてくださったのかもしれないなあと思うのです。子どもたちは私たちが「働くということはね」なんて話すより、ずっと自然にそのことを感じとったようでした。松崎くんは「これはお母さんが好きそうだし、これはお父さんがうまいって言うだろうな。いつか、二人をつれてきてあげよう」と言っていました。こんなうれしいことばを松崎くんが言ってくれたのも、お店の方が、私たちはいつも押しつけて話してしまうけれどそうではなく、やさしく教えてくださったおかげだなあと感じました。それから、私たち(子どもたち)は普段よく「がんばってね」って言っていただくのですけど、いつもがんばっている子どもたちにはそのことばが少し「重いな」って感じられることがあるのです。今日のようにお店の方が「私たち、もっとがんばって勉強します」と言っていただいたことは初めてのことでした。がんばってねという言葉はおそらくたいていの時、自分より、目下の人に(つらいこともあるだろうけど)がんばってねと言うことが多いのじゃないかなって思うのです。でも、きっとお店の方々が私たちを自分と同じ場所いると考えてくださったから言ってくださったんだ、だからこんなに温かく感じられるんだと思いました。
 そのことはお料理が出していただいたあともずっと感じたことでした。お料理の説明をして下さる時にも、「これは、さけというお魚をすりつぶして、生クリームを加え、ムース状にしたものです」「パンはバターだけでなく、お料理のソースをつけて召し上がっていただいてもいいですよ」というふうに、私たちだけではなく、子どもたちに対しても(子どもだからとか、養護学校の子だからなんて少しも思わずに)一人の人間として、大人に対する時と同じように大切に誠実に向き合って言ってくださってることをしみじみと感じたのです。それはきっと今日だけではなく、いつもそういう姿勢でいらっしゃるのだなあと思いました。
 先日、他の所へ校外学習へ出かけたときのことでした。とても親切な方でしたが、子どもたちと私たちが話をしているのを聞かれて、「養護学校の子か、見ただけやったら、なあーーんわからん。どこがおかしいのか、わからんわ。そこの男の子なんか、りっぱやがいね。普通に見えるわ。ね、僕?」と私たちに話かけてくださったたのです。私たちはそんな時、とっさにどう返事をしていいのかわからなくなります。子どもたちは黙って下をむいたり、逃げるようにして、他の部屋に行こうとしているのがわかりました。(僕たちは普通じゃないのか。養護学校に行く子はおかしい子なのか)と自分たちが分けられた言い方をされたのを感じたのでしょう。悲しい顔をしていました。短い関わりの時間にどれほどのことを言ったらいいのか、まして、子どもたちが聞いている中、どう話したらよいのかわからず、やっとのことで、「みんな明るくて元気な子たちです。いつもいろいろなことを一所懸命勉強しています」とそんな返事でいいのか悪いのか、答えました。でも、子どもたちは私の答えを聞いてほっとした顔をしてくれました。
 ラウィーブの方は子どもたちに積極的に質問したり話かけることはなさらなかったけど、今日はそのことがまた、私たちを大切に考えてくださっているように感じられたのでした。
 帰りにはきれいに包装したチューリップの花を一輪ずつ下さって、「またお越しください」とドアの外まで送ってくださいました。子どもたちが地域で生きていくときに、今日のような温かい関係が子どもたちをどんなに温かくほっとした気持ちにさせてくれるかということを、きっとお店に方のご好意で、オードブルから、スープ、お魚のお料理、お肉のお料理、サラダ、お口直しのデザード、手作りのケーキ、コーヒまで、経費いじょうのお料理をいただきながらしみじみと思いました。







最終更新日  2006/11/21 10:14:52 PM
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2006/09/25
カテゴリ:みんなの気持ち
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へいちゃんの涙
今日の全校集会の歌もへいちゃんは好きなようでした。体を揺らし、ハミングしているのが車椅子の隣に、パイプ椅子を置いて、座っていた私にも聞こえてきました。
 瞬間何が起こったのかわからないほどでした。へいちゃんが私の髪をつかんで、ひっぱり、私の頭に歯をあてていました。周りの先生が「へいちゃん、離して…へいちゃん、どうしたの。離そうね」と懸命にへいちゃんの手をふりほどこうとしてくれました。へいちゃんはその時も何かに対して怒っている様子ではないのです。でもしっかり髪をにぎった手をなかなかほどこうとはしてくれませんでした。皮膚ごとはがれてしまうのではないかしらと不安になったけれど、やがてへいちゃんは手をゆるめてくれました。
 けれど、今日のへいちゃんはなんだか変でした。気持ちが高ぶっているようでもないのに、また私の髪に何度も手をのばそうとするのです。悲しくなって、「へいちゃーん?」と背中をなぜても、へいちゃんはやっぱり私の髪をさがしていました。
 そのあと教室へ戻ったへいちゃんはいつものように大好きな音楽に耳を傾けていました。同僚の先生が、へいちゃんに聞こえないように小さな声で「大丈夫だった?」と聞いてくれました。「うん」と返事をしながら、なんだか私、小さな子供のように声をあげてなきたかったです。どうしてだか、わからない…痛かったのは痛かったのです。今も頭の深いところまでじんじん痛いのは痛いのです。でもそういう理由ではない、何かわからない理由で、本当は声をあげて泣きたかったのです。でもそっと自分の親指を噛んで泣きたいのをがまんしました。だって泣いたらへいちゃんがきっと悲しむもの。
 家に帰って、おふろに入ったら、びっくりするほど髪の毛が抜けました。髪を集めたとき、ふと髪の多さはへいちゃんの哀しみの大きさみたいだなと思いました。哀しみの大きさ?だけど、あのとき、何にもなかったのに…それからお湯に入りました、湯船に面した窓の外の激しい雨音とひゅーという風音が心細くて、私はまた声をあげて泣きたくなりました。たったひとりだから少し泣いてもかまわないわとそう思ったとき、私はふとずっと以前のことを思い出したのです。
 へいちゃんの口にいつものように食事をスプーンにのせて運んでいるときでした。いつものように、ゆったりとした時間の中で、「どれから食べようか?」「今日はお豆とお肉とね、シチューがあるよ」そんな話をしながら、へいちゃんもいつものように口を開けて、食べてくれていたのです。それなのに、どんな理由も思い当たらないのに、へいちゃんの目がみるみるうちに涙でいっぱいになり、すーっと涙が流れたのです。「へいちゃんが泣いている…」なぜだか理由はわからいけど、泣いている…
 お風呂に入りながら私、そのときのへいちゃんの涙を思い出していました。どうして泣いたのだろう…どうして涙が流れたのだろう…
 へいちゃんはほとんど好き嫌いなく食べてくれるのです。だからきっと食事のことではないと思うのです。理由がわからないからこそ、へいちゃんの涙は私の心に深く残っていました。何か悲しいことを思いだしたのかしら?さびしいのかしら?
 今日だって同じです。その前に特別思い当たることなんて何もなかったのに…そうよ。あさっては参観日だってあるのに…おうちから離れているへいちゃんだからきっとどんなにか楽しみなはずなのに…
 でももしかしたら、へいちゃんはその参観日のことを考えていたのかもしれません。前にへいちゃんのお母さんが学校に来られたとき、別れ際に「今度は10日にこれるかな?…大変。こんなこと言ってもし来れないとへいちゃんにはつらがるから…」とお母さんがおっしゃったのです。私たちは少し驚きました。へいちゃんは目が見えないので、カレンダーを見ることができないのです。言葉がないということだけで、へいちゃんはカレンダーとは関係なく毎日を送っているように私たちには感じられていたのかもしれません。どうして、今日が何日ってわかるのかな?あと何日で面会日ってどうしてわかるのかな?そんなふうに考えてしまっていたのだと思います。
 へいちゃんのお母さんはへいちゃんが大好きでとても可愛がっています。小さな弟たちのお世話をされながら、お外でもお仕事をされています。でもいつもへいちゃんのことを考えられて、面会日などにはできるかぎりいらっしゃいます。参観日だってそうなのです。だからあさっての参観日にもきっといらっしゃるでしょう。お母さんだってへいちゃんと会うことを楽しみにされているのです。へいちゃんはお母さんと会える日が待ち遠しくてたまらないからこそ、お母さんが会いに来てくれるとわかっていながらも不安なのかもしれません。大好きなお母さんのことを思って毎日をくらしているのかもしれません。
 もし誤解があったらと思って心配なのですけど、おうちでへいちゃんが暮らしていないからなんてそんなこと言いたいわけでも思っているわけでもないのです。そうじゃないのです。誰だって、いろいろな不安や哀しみを持っています。愛している人を失ってしまったり、すごく不安なことをかかえていたり、自分の思いがとおらなかったり…そんな哀しみをかかえながら生きているのだと思うのです。誰だってそうです。誰だってそう・・それなのに、私はへいちゃんが言葉を持っていないだけで、そんなふうな気持ちをいつも抱いているということになかなか思いがいかないのです。だからその哀しみに気がつくことができないのです。今だって、へいちゃんの今日のことの理由がわかっているわけではないです。ただそうかな?って…参観日のことかなって思っただけ…だけど、へいちゃんが心の奥にいろいろな思いを持っていることをいつも思って、そばにいたいと思いました。そして私、やっぱりへいちゃんがとてもとてもいとおしくて、そうだ…私が声をあげて泣きたかったのは、こんなにも心が動揺するくらいへいちゃんがいとおしかったのだと思いました。







最終更新日  2006/09/25 08:30:58 AM
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2006/08/29
カテゴリ:カテゴリ未分類
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こすもす
 学校の花壇は、クラス毎に割り当てが決まっていました。限られた花壇に何を植えようかとみんなで相談して考えます。花壇といっても、畑が別にあるわけではないので、私たちのクラスは、すいかととうもろこしがいいという意見が出ていて、それに決まりそうだったのです。でもたけちゃんはさっきから、ずっとふくれっつらをしていました。「僕、植えたいものがある」「なあに?」と聞いてもなかなか答えをいいません。「僕が言っても絶対に反対しないでほしいんだ」まりちゃんは「そんなのだめに決まってるじゃない・・みんなの花壇なんだし・・・・」「でも、僕・・」たけちゃんは下を向いて小さな声で言いました。たけちゃんの植えたいもの・・それはコスモスでした。「どうしてコスモスなの?食べれないよ」すいかが食べたい男の子は猛反対です。でもまりちゃんは「もうちょっと考えてから決めよう・・この話は今度ね」まりちゃんがそう言うと、みんなは反対しませんでした。まりちゃんはいつも信頼されていて、それでまりちゃんが言うことはみんな間違いがないって思っているようでした。それでその日の相談は終わりになりました。その日、まりちゃんは病院に帰ってから、たけちゃんと何か話をしたようでした。まりちゃんが私に、「あいつ、何か悩んでいる気がする。きいてやらなきゃ」と言っていたのです。まりちゃんは脳腫瘍で手術を受け、その予後があまりうまくいかなくて、病院に入っていました。ひとりひとりの心のさびしさや悲しさに人一倍敏感なように感じました。
 次の日の朝の会で、まりちゃんはみんなの前で、「花壇はコスモスにしよう。たけちゃんさ、もう種持ってるんだって」とても不思議なんだけど、まりちゃんのいうことだったら、みんなはなぜか反対しないのでした。それは(まりちゃんの言っていることだったら何か理由があるからその方がいい。その理由は絶対に自分勝手な理由ではないはず)・・そんなに簡単にコスモスになってしまって、不思議だなあと私は思いました。「みんなもいいの?」と聞いても「いいよ。すいかさあ、どうせお昼によく出るし」なんて言うのです。コスモスは私も大好きな花なので、とてもうれしかったけど、やっぱり不思議だなあと思っていました。コスモスの種の袋には「宿根コスモス」と書いてありました。3年生のわたるくんが、「やどねってなんだい?」と聞きました。「やどねじゃないよ、ずっと根っこが残ってて、また来年もその次の年も咲くってことだよ」まりちゃんがにっこり笑って言いました。種をまいてからしばらくして、たけちゃんの病状がよくなくて、病室から学校へ出てこれない日が増えてきました。たけちゃんは小児の白血病でした。一時期病気がうそのように元気だったのに、急に悪くなりました。病室に行くと、たけちゃんはいつもこすもすのことを私に聞きました。「枯れてない?大きくなってる?」「こすもすはね、秋に咲くというけど、でも夏にももう咲くんだよ」たけちゃんは病気のことは知らないのだとおうちの方が話しておられましたが、たけちゃんがコスモスの花が咲くのを心待ちにしているのを見るたびに、たけちゃんがもういなくなってしまうのではないか・・とけっして口にすることは許されないことをふと考えてしまって、怖くなるのでした。その日、たけちゃんの病室へ行くと、たけちゃんは眠っているところでした。またあとで、こようと思って、出ていこうとしたとき、たけちゃんは私がそこにいると知っていたよというふうに、言いました「先生、夢を見てたよ。気がついたら、僕ねコスモスの花の真ん中に座っていたんだ。ピンクの花びらがおわんのようにまるくなって、僕を囲んでいてくれて、すごく気持ちよかった・・そして、気がついたら、その花びらひとつひとつはまりちゃんだったり、かあさんだったり、とうさんだったり、先生だったりしたよ。僕ね、真ん中にいたよ。みんなが僕のこと見ててね。風に花が揺れるととても気持ちよかったよ。先生、どうしてコスモスが好きなの?コスモスね、僕も大好きになって来ちゃった」たけちゃんのお部屋で、泣くまいと思っていても、私は涙があふれてとまりませんでした。みんながたけちゃんの心をつつんでいて、たけちゃんはきっとその中で、ゆっくりとどこかもう一つの世界へ行こうとしているのかと思ったりもしました。
 夏休みも終わりの頃、コスモスは咲き出しました。そしてとうとうたけちゃんも帰らぬ人となりました。病院から、たけちゃんがおうちに帰っていった日に、私たちみんなでたけちゃんを見送りました。車は遠回りをして、学校の花壇の前を通ってくれました。たくさんのコスモスたちが、風にやさしく揺れています。まりちゃんが、子供たちに、「来年も、この花壇はコスモスだよ。その次もコスモスにしよう・・たけちゃんは僕のこと忘れずにいてって言ってるんだよ」と言いました。
 わたるくんが、たけちゃんを見送った後、どのコスモスの花がたけちゃん?と聞きました。どうしてそんなふうに思ったのだろうとまた不思議だったけど、みんな誰だってコスモスなんだという気がしていました。たくさんの人にまあるく包まれて、愛されて、咲いているんだと思いました。







最終更新日  2006/08/29 07:21:27 PM
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2006/08/08
カテゴリ:みんなの気持ち
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当たり前のこと
 久しぶりにしんちゃんのおうちにおじゃましました。しんちゃんはもう何年も前に一緒に勉強してからのお友達で、それ以来、しんちゃんのご家族ともとても仲良くしていただいているのです。時折、おうちに遊びに出掛けては、お夕飯をごちそうになることもありました。今回もお父さんから「久しぶりにやろう」と電話をいただいたのです。
 夕方しんちゃんのおうちに行くと、ちょうど中学生の妹さんのえみちゃんが帰ってこられた所でした。お母さんが「えみちゃん、おにいちゃんと一緒に、餃子の用意買ってきて」と声を掛けられたのですが、えみちゃんはちょっと渋い顔です。「えー、だってお兄ちゃん、誰にでも返事するんやもん。えみ、すごく恥ずかしいわ」「そんなこと言わんと買ってきて。な、お兄ちゃん、誰にでも返事せんよね」しんちゃんは「はい、お返事はしませんですね」と答えたけれど、えみちゃんは笑って「その返事、すごくあやしい・・そうだよね、先生?」と今度は私に言いました。私も笑って、「そうやねえ」と言いました。それはこういうことだったのです。
 しんちゃんが学校にいたときも、しんちゃんは誰のお話にもお返事をしてくれていました。いつも独り言を言っておられた男の先生とのやりとりはとても愉快でした。
 その男の先生は、頭で考えられたと同時に言葉で表しておられるのかもしれません。それとも予定をたてたり、決意というか、がんばろうという気持ちの表れなのかもしれません。とにかくそういう癖なのだと思います。朝、学校に来られたときから、ずっとおひとりで、話をされるのです。私たちは最初、その先生のお話にずっと耳を傾けていて、いつお返事をしたらいいのだろうととまどったこともあったのですが、そのうちに馴れてきて、(ああ、ご自分にお話されているのだなあ)と思うようになっていました。でもしんちゃんはいつも必ず、お返事をするのです。「えっと、まず、今日することは・・」と先生。「カレンダーをめくったらどうでしょうか?」としんちゃん。(しんちゃんはカレンダーが昨日のままだということが気になっていたのですね)「さ、トイレに行って来よう」と先生。「はい、そうです。トイレに行って来てください。我慢はよくありません」としんちゃん・・・「まず、これをこうして」「次にこうして・・」と先生。「そうそう、次はそうです」としんちゃん・・こんな具合です。私たちはなんだかおかしくてにこにこしてしまうのです。でも当の先生は独り言だからか、しんちゃんが先生の言葉にお返事をかえしても、なんだか耳に入らないみたいに気がついておられなくて、うんとあとで、何かのビデオを見られて、「お、しんちゃん。いちいち返事してくれとったんか」と笑っておられたことがありました。こんなふうにしんちゃんはみんなの言葉にお返事をかえしてくれるのです。
 「ね、先生も一緒に買い物行こう」えみちゃんがさそってくれました。そこで、3人で近所のスーパーにお買い物に行きました。お母さんお得意の餃子に入れるニラやにんにくやひきにくを買って、レジに並びました。レジの方が計算をされる前に「毎度ありがとうございます」とおっしゃいました。すかさずしんちゃんが「毎度はこれないのです。いつも来たいところなのですけどね」と言いました。レジの方が少し驚いた顔をされました。でも続けて、品物と値段を読み上げられました「ニラ 238円」「ニラは238円でございます」「挽肉 388円」「挽肉は388円でございます。餃子に使いますよ」・・レジの方がなんだか恥ずかしそうなお顔をされたときにえみちゃんが「お兄ちゃん」と少したしなめる口調で言いました。「あ、あ。すいません。お返事はしません・・でしたね」しんちゃんがそう言ったときに、私たちの後ろに順番をついておられた女の方がえみちゃんにおっしゃいました。「えらいわねえ、えらいえらい・・お兄ちゃんがこんなふうじゃ大変ねぇ」そのときのえみちゃんの言葉に、私はとても感激しました。「大変なんかじゃないです。兄は、ただ、どんな人に対しても一所懸命に返事をしているだけです。兄のしていることは人間として当たり前のことです」
 私はそのとき、まだしんちゃんが私と一緒に毎日学校にきていたころのことを思い出しました。えみちゃんはまだ小さくて、小学校に上がる前でした。えみちゃんはお兄ちゃんが大好きで、何があっても「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と呼ぶのです。ころんでも、おかしの袋が開かなくても、さびしくなっても パズルが入らなくても・・どんなときでも・・大好きなお兄ちゃんを呼ぶのです。私たちはその様子をいつもいつもほほえましく見ていました。しんちゃんはそのたびに「はいはい、痛くないですよ」「袋が開かないと食べれませんね」とすぐにえみちゃんの近くに飛んでいって、スーパーマンのようにえみちゃんを守り大事にしていたのです。そして、それはきっと今でも変わらず、えみちゃんに何か助けがいることがあれば、一番に飛んでいくのだと思います。そのことをえみちゃんはちゃんと知っていて、そして、大きくなった今、今度はしんちゃんに何かあればきっと私がおにいちゃんを守ると思っているのかもしれません。







最終更新日  2006/08/08 02:23:13 PM
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2006/07/19
カテゴリ:みんなの気持ち
mituru
 歯医者さん
 雷に次いで私の怖いものというと……。 
 私ね。歯医者さん行くの、すごーーく怖い。歯が痛くて痛くてたまらなくなっても、どうにかして歯医者さんへ行かずにすむ必要はないかしら。歯をみがくとなおるかもしれない……なんて、もう手遅れのことを一所懸命してみたりお祈りしてみたり、「あーーーーん」と泣いてみたり、いろいろじたばたじたばたしてみて、それでも寝られないし、顔も腫れてきたみたいな気がする(気がするだけなんですけど)なあと思っているうちについに、もうどうしようもなくなって、それで泣き泣き歯医者さんに出かけて行きました(過去形なのは、今はすっかり悪いところはないはずだからです)。
 それでね、ドキドキして半泣きで行った歯医者さんなのに、その歯医者さんったらね、「痛いですよ」なんて最初に言って、それで、麻酔もきいてないのにゴキゴキってはじめちゃったので、私は痛さと恐怖のあまり気が遠くなってしまって、気がついてから、「もういいです。やめてください」と言って、その歯医者さんから、帰ってきてしまったのです。
 でも、ちっとも、もういいですじゃないのです。小さかった虫歯の穴が治療でもっと大きくなって、それから、もっともっと痛くなってしまったの。あーーーん、思い出すのも怖いくらいです。

 また、一杯悩んで、泣いて、三日後に今度は前と違う歯医者さんに出かけました。今度は加賀八幡温泉病院の中の歯医者さんです。私はあんなに怖い目にあったので、前よりもっと慎重で、びくびくおどおどしていました。
 受付で、泣きそうになりながら、でもこれだけはお話しておかなければならないと思って、「あの、私、痛いの……とても怖いんです」と言いました。受付の人は優しく、「はい、わかりましたよ。先生にそうお話しますから安心してね」とそう言ってくれました。 でもね、恐怖心の塊になっているので、名前を呼ばれた時は、ああ、いよいよと何か恐ろしい瞬間がきてしまったかのようでした。
 先生の名前は中新先生。少し、イッセー尾形さんに似た方です。「痛いの怖い」ということは、ちゃんと先生に伝わっていました。「そんなに口をギュウーとつむんでたら診れないからね。今は見るだけだから、口をあけてね」そんなに優しい言葉も、私は前のお医者さんでの経験から、疑ってしまうのでした。
「約束?」と尋ねると「うん、約束」と中新先生は本当に、少しずつ気持ちをほぐしてくださるのです。
「じゃあ、ちょっとだけコンってしてみるよ」
「本当にちょっとだけコン?」
「うん、ちょっとだけ」
それでね、「あ。痛い」と顔をしかめると「ごめんごめん、痛かったね。ああ、この歯はねぇ。うーーん、神経をとらないといけないなあ。ああそんなに悲しい顔をして、僕の顔を見つめないでほしいなぁ……困ったなあ。どうしようかな。でもね、うーん、やっぱりとりましょ。」
と最後は、有無を言わさない感じなのですけど、こうまで、優しく少しずつ言ってくださると、これは、決して無理やりではないので、(よおし、頑張って、わたしも耐えぬかなくっちゃ)という決意が湧いてくるので不思議です。
 治療中も、それでもまだ、怖くて自然とつうーっと涙がこぼれると、看護婦さんは治療の一環みたいな感じで、さり気なく涙までふいてくれました。
 それで、中新先生がいらっしゃらないときでも、代わりの先生が、私が怖がりなのを、ちゃんと引き継ぎで聞いて下さっていて「大丈夫だから」と同じようにしてくださって、とてもうれしかったのです。
 本当に、私はどうしようもない患者なんですけど、私は、中新先生や他の先生や、看護婦さんが、無理にではなく、でも、私が(患者さんが)なんとか自分から、治療してもらおうという気持ちを持たせて下さっていることにとても感謝して、それから、尊敬しました。

 ところで、この間、麻弥ちゃんのお母さんにお聞きしたのですけど、麻弥ちゃんも、夏休みということで、偶然にこの歯医者さんに通わせていらっしゃるそうです(この歯医者さんがたくさんの障害をもった方の治療にあたられているということをよそで、聞かれたのだそうです)。
 麻弥ちゃんは、治療が怖くて、歯医者さんをとても嫌がっていました。中新先生は、歯医者さんは怖い所じゃないということを、私に教えてくださったと同じように麻弥ちゃんにも教えようと思われたのだと思います。
 だから、おそらく中新先生は、無理に、たとえば、開口器という機械で、それこそ無理やり口をこじあけて、治療するなんてことはもちろんせず、(これを使って、嫌がられると口が少し、裂けたりすることがあるというのを聞いたことがあります。おお怖い)少しずつ治療にあたられたのだと思うのですが、お母さんは、麻弥ちゃんがあんまり嫌がるので、歯医者さんに慣れるまで待つのをやめて、いっそ、全身麻酔でいっぺんに治療してしまったほうがいいのじゃなかしらと考えられたりもしたそうです。だって、その病院は、麻弥ちゃんのところから、ずいぶん遠いのです。わざわざ出かけて、その度にあばれられたら(《あばれる》というのは、私のかたよった言い方ですね。麻弥ちゃんはどうしても嫌だという気持ちを伝えているだけなのですから)お母さんも とても困られて、時にはイライラしたり、「どうして、じっとしてられないの」と怒ってしまったりということもあったのだそうです。
 でも、麻弥ちゃんのお母さんが本当に、麻弥ちゃんの気持ちにいつも添われてて、素晴らしいなあと思うんですけど、お母さんは、ある日、気がつかれたのです。
 麻弥ちゃんは、いつもは車の中で寝る子じゃないのに、どうして今日は寝ていたのだろう、そういえば、この間、歯医者さんに行くときもじっと目をつぶって寝てしまった、もしかしたら、麻弥ちゃんは、いつも歯医者さんへ行くとき通る道をすっかり覚えてしまって、ああ今日は歯医者さんへ行くんだと気がついた時に、なんとか心の中の不安を抑えよう、怖い気持ちを抑えようとして、目をつぶり、努めて寝ようとしていたのではないか……そうして、それはやがて、確信に近いものとなりました。そしてお母さんは私にこうおっしゃいました。
「私は、麻弥が、自分で、ひとりなんとかしようとしていたのに、それに気がつかずに怒ってばかりいたのです。いっそ、全身麻酔で……と思ったりしていたのです。一番つらかったのは、一番怖かったのは麻弥のはずなのに……」
 麻弥ちゃんは話し言葉としての言葉は今、ありません。でも、たくさんの気持ちを持っていて、それをいつも、なんらかのサインでおくってくれているのですね。そして、そのことにいつも気がついて、気持ちに添うておられるお母さんだから、麻弥ちゃんはまたさらに、気持ちをおくろうという気持ちにどんどんなるんだなあと思いました。

 それでね、私も麻弥ちゃんと中新先生のおかげで、《歯医者さんでは、がんばる》という気持ちになったのでした。








最終更新日  2006/07/19 10:05:03 PM
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2006/07/17
カテゴリ:カテゴリ未分類
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手紙が届いた
 郵便受けの中の手紙の差出人のお名前を見ても、なんのことかわかりませんでした。いったいどなただったろう、それにしても不思議な肩書き・・そう思って文字をしばらく眺めていて思い出したのです。その方の肩書きは「公園のおっちゃん」というのでした。その方とお会いしたのは、関西へ出かけたときでした。 

 その日は雪の降る日でした。講演会場は駅から歩いて5分と聞いていたのに、歩いても歩いてもそこにはつきませんでした。道はあってるようなのに、地図だって見てるのに、もう40分も歩いたのに・・と不安になっていながらも、まだ2時間もあるから・・とそれほどあわててはいませんでした。けれど(5分のところをタクシーに連れていっていただくのは申し訳ないって思ったのは間違いだったかもしれない・・タクシーの運転手さんだったら、きっとすぐにわかったのに)とため息まじりに考えだしていたところでした。関西って雪の少ないところだと思っていて、おまけに小松では晴れていたのです。だからコートもなしで傘ももっていませんでした。

 主催者の方に書いていただいた地図に載っている公園をみつけました。うれしくて、その中を走るようにいそいでいたら、途中ですべってころんでしまいました。ころぶのは慣れているけれど、たった一人、見知らぬ土地に来て、講演会場になかなかつかないし、お洋服もどろどろだし、髪もぬれちゃったし、こんな格好でたくさんの方の前に出なくちゃいけないんだと思ったら、自分でもびっくりするくらい急にわきあがるように悲しくなって、近くのベンチに座って、ちょっと泣きました。その方にお会いしたのはそのベンチででした。

「痛かったんか?」さっきまで確かに私の横には誰も座っておられなかったはずなのに・・その方はいつのまにかそこに座っておられました。その方はきっと公園の中のテントに暮らしておられる方なのだとそのとき、私はなぜだか思いました。「痛かったんか」の問いにうんと小さくうなずくと、何か口の中でおっしゃたのだけど、私には聞き取れませんでした。その方はじっと下を向いておられて、私はなにを話そうかと思いました。そして道を聞きました。「〇〇ホールというのはどこにあるのでしょう?」その方は首を傾げて「おっちゃんはわからんわ」っておっしゃいました。わからんわとおっしゃったけれど、とても温かく、わからないことがとても残念そうに言ってくださったので、さっきまでちょっとだけ泣いていたことがうそのようにうれしくなりました。「駅から5分って書いてあるのだけど、もうすごくたくさん歩いたの・・」「そうか・そうか・・」”おっちゃん”はやっぱりとてもやさしかったです。どうしてポケットを探しておられるのかなと思ったら、ポケットから飴を出してくださいました。きっと大事にずっと持っておられた飴なのだと思います。飴の包み紙が飴にくっついていて、食べたとき、「あれ?」って思いました。「ナイロンくっついとったか?なめとればとれるよ」と”おっちゃん”は教えてくれました。「ほんとう・・」とてもきれいにナイロンはおもしろいようにはがれました。大きな甘露飴みたいな飴はとても甘くて、ほっとしました。その方のことをどう呼んでいいかわからなくて、「なんてお呼びしたらいいですか?」とお聞きしたら、「おっちゃんでいいよ」とおっしゃいました。でも”おっちゃん”っていう呼び名にこちらにいてなれていなくてためらっていたら、「渡辺っていう名前やった・・しばらく使ったことがなかったな」と言われました。「私、6時までにどうしてもそこへ行かなくちゃいけないんです。渡辺さんありがとうございました」立ち上がろうとしたら、「ちょっと待って・・」と”おっちゃん”は傘を貸してくださいました。「でも私、ここにすんでいないから返せないかもしれないんです」”おっちゃん”は、「たくさんあるからいいよ。それとも骨が曲がっていて恥ずかしいか?」と言ってくださいました。確かに骨は曲がっていたけど、その傘は雪をよけるには十分すぎるほどでした。「じゃあ返しにきます」と言ったのに、「いいよ、あげるよ」と言ってくださったので、私はそれをいただくことにしたのです。

 公園を出て、地図を頼りに歩いたらそれからしばらくして、そのホールはありました。まだたったばかりの真新しいホールでした。主催者の方が私のぬれていたり、泥だらけだったりするかっこうを見てびっくりされたようでした。それから「ちょっと遠かったでしょう?ここ、できたばかりなので、私たちも初めてきたので、遠くてびっくりしてたんです」と言われました。私はそのとき、顔には出さなくても、ちょっと怒りました。お話をいただいたときに、「道をしょっちゅう間違えるので、ちゃんと行けるか心配なのですけど・・」とお話したとき、「駅から歩いて5分ほどで、すぐにわかりますから・・」って確かにおっしゃったのに・・と思いました。私がちょっと怒ったのには本当はもうひとつ理由がありました。でもこんなことで怒るのは本当はとてもおかしなことだし、恥ずかしいことと自分が嫌でもありました。だから本当はお話したくないほどなのです。どういうことかというと、講演依頼のお電話があったときに依頼してくださった方が「私たちも教員で、勉強させていただくのやけど、山元さんも勉強になるのやから、まさかおことわりにはならないでしょう」っておっしゃいました。「お互い様ですから、私たちも、そのつもりでお待ちしますから」「講演が終わったら、懇親会に出てくれますか?でも用意できるのは交通費くらいなので、お泊まりしてはいただけないんです」っていうふうに、私はお話するまえにどんどんおっしゃって、なにも予定は入ってはいなかったのですけど、でも私の気持ちを言うことができなかったので、ドキドキしました。でもやっぱりと思って、「それでは会のあと、泊まらないで電車で帰ります」と言うと「でもたぶんもう金沢の方へ帰る電車がないんやないかと思うのです」お泊まりもできないし、帰れないならどうしたらいいのかなって、私はどうお返事していいかわからなくなってしまって、でもひとりでお泊まりしたくないなあと思って、「電車がないのなら、懇親会には出ないで帰ろうと思います」って言いました。お互いに勉強っていうことも当たり前のことなのに、私はなんだか気が進みませんでした。子供たちのお話をさせていただくことはうれしいことと思っていたので、こんなふうに考える自分が嫌でした。自分が嫌なのに、相手の方のことも心の奥でが怖がっていて、だから、そのホールまで5分じゃなかったのは、本当はご存じなかったんだって思ってまた嫌って思ったのだと思います。それで、”おっちゃん”に会えたことはすごくうれしかったことだったのに、この時のことをあんまり思い出したくはありませんでした。

 家に帰ってから、でも”おっちゃん”のことは何度も思い出しました。それでお礼のお手紙を書きたいと思いました。前にも大阪駅で、お世話になった方で、やっぱり住所をもっておられない段ボールのおうちにすんでおられた方にお手紙を出したとき、手紙は「宛先不明」で戻ってきてしまいました。でも今度は名字も知っているので、郵便局の方に申し訳ないなあと思いながら、またお手紙を書きました。宛名のところには、〇〇の〇〇市〇〇公園と書いて、それから公園の絵地図を書いて、テントの絵もかいて、”渡辺のおっちゃん”と書きました。その手紙は何日たってももどってきませんでした。最初は私の手紙どうなったかな?って何かの折りに思い出したりしていたけど、でもきっとついてはないだろうなって昨日まで思っていました。その手紙を出して、もう2年以上たっていました。私はその手紙を出したことさえすっかり忘れていたのでした。

 ところが昨日いただいた手紙は”渡辺のおっちゃん”からのものだったのです。手紙は届いていたのです。郵便やさんが、私は書いた、宛名と地図で、”おっちゃん”を探してくださったのです。こんな手紙を出したと書くと郵便局の方や、それからどなたかに叱られてしまいそうです。だって、とても迷惑をおかけしますもの。でもお手紙、出したかったのです。親切な郵便やさんに今日はお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。”おっちゃん”は「げんきですか?てがみをくれておどろきました。しんせつなゆうびんやさんが、渡辺さんというひとはいませんかとたずねてもってきてくれました。さいしょはおっちゃんのことかどうかわからなかったけれどえでかいたちずで、おっちゃんのことだとわかりました。うれしくてなかまにもみせました。へんじがかけるとはおもいませんでした。けれど、かくことができました。げんきでいてください。こうえんのおっちゃんより」これは原文のままです。私がいただいた宝物のようなお手紙がこうしてお返事で帰ってくるなんて、私、うれしくて、うれしくて、信じられないくらいうれしくてたまりません。思い出したくないと思っていたことも、本当は”おっちゃん”に会うことができるために、それから住所を見て、届くはずがないだろうなんて思わずに探してくださった郵便やさんのことを知ることができるために、みんなあったのかなと、あんなふうに考えてしまったことをやっぱり恥ずかしく思います。そして、考えたら、毎日届けていただいているお手紙も、郵便やさんが心をこめて届けてくださってるのだと改めてありがたく思いました。それから2年間も私のことを覚えていてくださった渡辺のおっちゃん、ありがとう。






最終更新日  2006/07/17 01:27:15 PM
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2006/07/11
カテゴリ:みんなの気持ち
太郎君
  とても大きな小学校の教員をしていたときのことです。その小学校の近くに、親御さんの方のなんらかの理由で、親元で一緒に生活することが難しいために、親元を離れて生活する子供たちの養護施設がありました。小学校へその施設から何人かの生徒さんが通ってきていました。私が出会った太郎くんという6年生の男の子もそのひとりでした。

 作文の時間にあやちゃんがこんな作文を書いてきてくれました。

 「私のお母さんはとてもおっちょこちょいです。いつも買物にいってレジにいくと「しまった。買うの忘れた、あや、ちょっと順番ついとって」と言って忘れたものを買いに行きます。毎日なので、なれています。それなのに、私が学校に教科書やノートを持っていくのを忘れるとお母さんは怒ります。お父さんはそれを見て「遺伝、遺伝」と言って大きな声で笑います。私もお母さんの遺伝なのでしょうがないと思います。私のお父さんと私が似ているところは顔と笑い方です。お父さんは「子供は親に似るもんや」と言います。お父さんはちょっとゴリラに似ています。私は顔はお母さんに似たかったなあ。」

 とてもおもしろい作文で、家族の暖かい様子が書かれていたので、私はその日その作文をとりあげました。家族と離れて暮らしている太郎くんがつらい思いをするかなあという考えが頭をよぎったけれど、「家族の仕事」「命-僕が生まれたとき」など避けては通れない課題がたくさんあって、太郎くんのことを気遣いながらもしょうがないかなあと思っていたのでした。

 太郎くんはその授業の間、一度も発言しませんでした。そのとき、私は少しもわかってはいなかったのだけど、太郎くんの心の中には家族のだんらんがないというさびしさだけではなく、私が考えていた以上の苦しみがあったのです。
 その授業があってから太郎くんは何日も元気がありませんでした。今まで家族についての授業をしても、元気がなくなるということがなかったので、私は太郎くんが元気のない理由さえわかってはいませんでした。

 「この頃元気がないみたい。心配だな。体の調子よくないの?」太郎くんに声をかけても太郎くんはびっくりしたように大きな目で私をみつめてただ首をふっただけでした。
 
 けれど太郎くんは私に話したいことがあったのです。学校を終わって車のところへいくと太郎くんは私の車の後に隠れるようにして座っていました。
「どうしたの?もう真っ暗になっちゃったね。ごはんの時間がはじまっちゃうんじゃなあい?」太郎くんの顔をのぞきこむようにはなしかけたとき、私の目の中に、太郎くんの思い詰めたような真剣な表情がとびこんできました。
「俺の父さんのことを知っとるか?」
太郎くんの話し方はきっぱりとしていました。私に話したいことがあるといった感じでした。私は返事につまってしまいました。太郎くんのお父さんは刑務所に服役中なのでした。そしてお母さんは太郎くんが小さい頃、お父さんと太郎くんをおいて、家を出てしまわれたということでした。その原因は太郎くんのお父さんの暴力だったと聞いています。
「あやは『子供は親に似るもんや』って言ったやろう。だけどな、俺は俺で、父さんとは違う人間やろ」
 太郎くん自身も父親の暴力を覚えていて、でも自分はそうじゃないと私に伝えたかったのでしょうか。けれど、太郎君の苦しみはそういう思いからくる苦しみだけではなかったのです。最初の言葉では太郎くんの苦しみのほんの少ししか知ることができなかったのです。

「この間、修一のところに遊びにいったら、修一があわてて玄関に出てきて小さい声で『外で遊ぼう』って言ったんや。先生どうしてかわかるか?修一の母さんが俺と遊ぶなって言ったんや。俺が父さんの子やから、いつ暴力をふるうかわからんと思ってるんや。俺といると悪い影響があると思ってるんや。俺は修一の様子でそのことがわかったんだ。修一は友達やけど、修一に迷惑をかけたくないから、もう修一のところには行かないよ。こんな話は施設ではしょっちゅうあることやよ先生。施設の子は就職もむつかしいし、結婚もむつかしい。あの親の子やからってそう言われるんや。物がなくなればあいつが盗ったんじゃないかと真っ先に疑われる。俺は好きで父さんの子供に生まれてきたんじゃないんや」
 私はまたしても自分がなにも考えていなかったのだとがわかり、自分のことが悲しくなりました。小学校6年生の太郎くんを前にして、私はなにも知らず、何も考えず、何も気が付かずにいました。なんらかの理由で服役しておられる人がいることは知っていました。暴力をふるう人がいれば、その子供さんだっていることもわかっていました。でも、「生まれるつき」とか「遺伝」とかいうことが話題にのぼったときに、こんなふうに苦しむ子供たちがいるということに少しも考えがおよばなかったのです。私のクラスには太郎くんがいて、それなのに、私は太郎くんの苦しみや悲しみをひとかけらだって知らないでいたのでした。自分の父さんを嫌な人だと思うことはとても苦しいことだと思います。それなのに、自分はそのお父さんの嫌なところに似てしまうのじゃないかとおびえています。そして太郎君のせいでは少しもないところで、つらい思いをしているのです。。太郎くんはそれから下をむいて、そしてまた涙をためて私をみつめました。
「先生、そやけど、俺、父さんの悪口言われると、かっとなる。自分で自分がわからんくなるくらいかっとなる。そいつを殴り付けたくなる。でもそしたら父さんと同じや。父さんの遺伝が僕の中にやっぱりあるんや。そう思うと心配でおられんくなる。先生は似るということはお父さんやお母さんやずうっとずっとまえのおじいさんやおばあさんからの贈り物みたいな気がするって言うとったけど、俺は絶対に刑務所へはいるような人間にはなりたくないんや」
私は太郎くんをただぎゅっと抱き締めただけでした。何と言っていいかわからなかった。何も言えませんでした。

 その太郎くんがこのあいだ、私のところに会いにきてくれました。もうすっかり大人になって、今大工さんをしていると教えてくれました。もう〈若い者〉を使っているのだと教えてくれました。「先生、父さんだって悪いところばっかりじゃないんだよ。俺の器用なところなんかさ、父さんゆずりさ」って太郎くんは笑っていました。






最終更新日  2006/07/11 11:24:37 AM
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2006/07/08
カテゴリ:カテゴリ未分類
kiityan2
人権集会
 人権学習会の講演会に呼んでいただいたときのことでした。主催者のおひとりが、よく知っている先生でした。在職中は子供たちのために素晴らしい授業をされて、私も参観させていただいたこともありました。「共に生きる」ということについてもよく考えられ、障害を持った方も、そうじゃない子供たちも一緒に学ぶことについてや、平和の大事さなどについてもたくさんのことを教えてくださいました。私の尊敬している先生なので、私の話をきいていただけることが、恥ずかしいけれどうれしい気持ちがしました。
 控え室で、中学校の校長先生や、公民館の館長さんや、その先生をまじえて、お話をしていました。
 その先生は今、私がいる学校の近くの小学校にも勤務しておられました。その小学校は私たちの学校と長い間交流を続けています。それで、卒業生のこともよく知っておられたのです。それでこんなエピソードを話してくださったのです。
「聖子ちゃんは元気かな?もうとっくに卒業しただろうけど。いやあ、小学生は大人がいえんようなことを平気で言うからなあ。聖子ちゃんによだれなんかたらすなよ。汚いじゃないかって言うんだ。そしたら、あの聖子ちゃんがよだれを交流中はたらさなかったんだ。学校の先生に聞いても、学園の先生に聞いてもよだれを出さないことはないという話だったのに、交流中はださないんだよ」
 私は先生がどういうことをおっしゃりたいのかなと思ったのですが、「よだれを飲むときって、のどのどこかの弁が閉まったり、開いたりして飲むことができるそうですね。聖子ちゃんは脳性麻痺なのですけど、脳性麻痺の方はその弁の開閉がうまくいかなくて、唾液を飲み込むことがとてもむずかしい方がおられるそうですね。お医者さまは人の100倍も努力しないとたらさないでいられないと聞いています」とお話しました。
「そうや。そんな努力が小学校の子供といるとできるんや」
「いやあ、交流っていうのは、やっぱりすごく力を持ってるものですな」
そんなふうにお話は終わったのです。
 「共に生きる」ために力を尽くしてくださった先生の尊敬の気持ちはずっと今もそのままだし、大好きなままなのです。だから読んでくださってる方に、誤解されないかなと心配なのですけど、私、少しわからなくなったことがあるのです。
 それはこんなことです。
 ひとつはなぜ聖子ちゃんはその間、たとえば100倍の努力をしてまでよだれをながさなかったのだろうということです。いつも唾液を飲み込むことがむつかしい聖子ちゃん、学校で勉強するときはノートが唾液でぬれないようにと口にタオルをくわえて字を書いていた聖子ちゃんが、「汚いな、よだれ流して」という言葉を聞くことは聖子ちゃんの心を傷つけはしなかったのでしょうか?それから聖子ちゃんの誇りを傷つけはしなかったのでしょうか?私は誇りを傷つけられるということは、体の痛みよりも痛い痛いものではないだろうかと思うことがあります。よだれを出すことを汚いと言われることは、いつもの聖子ちゃんを否定されたことにはならないのでしょうか?その誇りを保ちたいために、聖子ちゃんは100倍の努力をしてまでよだれを出さないようにがんばったのではないのでしょうか?
 もうひとつわからないと思ったことがあります。交流ってすごいなという結果になったこのお話は「よだれを流すこと」は「よだれを垂らさないでいること」より劣っているということの前提にたってはいないのかということを思うのです。そういう前提があると、障害を持った人たちはとてもつらい立場におかれることになると思うのです。そして「人権の話」の柱になるであろう、「人はみんないろいろだけどいろいろでいいんだ。すてきなんだ」ということに大きく反するような気がするのです。
 こんな話もあります。
 立つことがむつかしく、ベッドでねたまま生活をおくっている子どもたちがいます。立たないでベッドですごしていると、足や手が堅くなり、内側に形がかわって曲がってくるということがおきてきます。もしこれから歩くということを選択する場合、曲がっていると歩くことができないので、手術をするという場合は別なのですが、歩くということを選ばない、または選べない(歩くといことがむつかしい)子供たちにも、「足がまっすぐの方がかっこいい」「他の大勢の人の足の形に近づける」などという理由で手術をする場合があります。私は小さいお子さんにそういう理由で痛い手術をすることに対して、とても不思議な気持ちがしていました。大勢の人の足の形が、萎縮のために曲がった足よりすぐれていて、少しでも大勢の人の足の形に近づけたほうが幸せだという気持ちがそこにはないのだろうかと思ったのです。そんなことについて疑問を持っていたときに、福島先生という、大学の先生にお会いすることができました。福島先生は目と耳が不自由で、指文字で通訳の方を通して話されたのですが、やはりこのことについて、無用な手術には疑問を感じるとお話しておられて、ああ、おんなじ気持ちとうれしくなったのを覚えています。 人権集会だったからこそ、なお私は思うのです。その社会に大勢いる人が、少数の人の持っているものや、個性を自分たちに近づけようとし、またその結果近づけたことをいいことのように思うのは、大勢の人たちの勝手な言い分なのではないのかと。
 私はやっぱりよくわからないままです。だからどこか違っているかもしれない。
 お箸やスプーンで食事をする人たちが、文化が違うために手で食事をする人たちを招いてともに暮らし、あの人は箸で食事をするようになった、よかったねと話すことは、その人の誇りを傷つけることにはならないのでしょうか?
 体に傷をつけることがいけないことは誰でも知っています。でも心にある誇りを傷つけることも、けっしてしてはいけないこと・・それなのに、知らず知らずにしてしまうことが私たちにはたくさんあります。人権を守ることって何なのか、もう一度ちゃんと考えてみようと思います







最終更新日  2006/07/08 10:03:40 AM
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2006/07/05
カテゴリ:カテゴリ未分類
つーちゃんの耳掃除
 つーちゃんのお母さんがその年の年度の始め、「学校に希望することはなんですか?」という問いがのった書類に書かれたことは、「耳掃除をしてください」ということでした。つーちゃんは小さい小さい時から耳掃除が嫌いでした。お母さんのお話では、嫌いというより、絶対にさせてくれない、逃げていくし、捕まえて押さえこんでも抵抗して暴れるからものすごく危ないしできない状態だということでした。それでも、小さいうちはつーちゃんも力がないし、大人4人がかりで押さえて耳鼻科の先生がなんとか巨大な耳あかをとることができたこともあったけれど、中学生になって、背も170センチになった今は、とてもむつかしいということでした。それからもうひとつ、つーちゃんがさせてくれないことは体温をはかること。耳掃除と同じくらい嫌がってけっしてさせてくれないということでした。 
 その年、私は、毎週、一週間に一時間だけつーちゃんと二人きりでお勉強することができることになったのでず。
 つーちゃんは、お話ことばとしてのことばは持っていないけれど、もちろんたくさんの気持ちをもっています。でも、つーちゃんはお話ことばがないし身振りサインなどもあまり使わないからつーちゃんの気持ちはなかなか伝わりにくいのです。嫌だったら嫌な表情をするし、怒ったりもするし、うれしかったり楽しかったりするときはとてもうれしそうだけど、つーちゃんの気持ちはそれだけじゃあないはずです。たとえば教室にいて、今からどこどこへ行きたいんだということや、お腹がすいたけど、ごはんよりも今はあんぱんが欲しいなあとか、もっというと、缶コーヒーの温かいのじゃなくて、今日は冷たいのがいいけど、明治のかUCCの、なんとかっていうのがいいなあとか、そんなふうにも思ってるんだと思うのです。でもつーちゃんの気持ちはなかなか相手に伝わりにくいのです。それからつーちゃん自身も相手の気持ちを知ろうとするのが苦手の方だなあと思うことがあります。「そのごみ箱取ってほしいな」とお願いすると、お願いしながら指差しをしている方向にセロテープが置いてあると、指差しの方に気をとられて、セロテープを取ってくれたりすることがあります。
 つーちゃんと一緒にいて、私たちの大事な時間では、気持ちをきちんと伝えあうことを大切にしようと考えました。そのことで、私が耳掃除や体温をはかるのをどうしてもつーちゃんとしたいんだということをきいてもらえるかもしれないとも思いました。耳掃除や体温をはかるのをもちろんお母さんが望んでおいでるということもあるけど、私はやっぱり耳掃除も体温をはかるのも日常でとっても大切なことだし、それが簡単にできるようになったら、(できないことができるようになるということは)生きていく社会が広がることになるなあと思ったのです。
 でも、いろんなこと考えてたけど、私はなによりつーちゃんと一緒にいることが楽しかったです。つーちゃんって本当にそれはそれは素敵に笑うんだよ。今つーちゃんのしていることが楽しいという時だけじゃなく、ああこの人は僕のしたいこと、あんまりじゃましないなあとかと思うと、すごく素敵な笑顔を私にもむけてくれるようになったのです。(つーちゃんは、細い棒や薄い紙をオルガンと壁の隙間とか、机と壁の隙間とかに捨てるのが大好きなので、大事なものだとそれがいつのまにかなくなってとても困るのです。それから、机を棒でトントンするのが好きなんだけど、歌の時間だとか体操の時間とかにずっとトントンしてると困るからその棒、ちょうだいってことになっちゃうんだけど、この時間は気持ちの伝えあいだったので、じゃまはしなくても大丈夫だったのです)一緒にごろんと寝転ぶと、そんなこと今までなかったんだけど、私の顔ににこにこ笑いながら触ってくれるようになったり、遠くからでもとんできてくれて、ああ仲良しでうれしいなあって感じられるようになってきました。
 同僚に、私、つーちゃんの耳掃除してみたいと思うと話をしました。みんなとてもびっくりして、どうやってするつもり?と尋ねるのです。「お願いしてみる」と私が言うと、誰にお願いするって?とみんなが聞いたから、「つーちゃんにお願いしてみる」と言いました。「つーちゃんにお願いしてできるのならもうとっくにできてるよ」私もそうだなあと思いました。「男の大人4人がかりでも無理なんだぞ。できるはずがないじゃないか」私もそうかもしれないって思いました。「でも、お願いしてみる」みんなはちょっとあきれ顔でした。
 その日、つーちゃんがわたしのひざで膝枕をしてごろんとしてくれるようになったので今日こそ耳掃除のことをお願いしてみようと思ったのでした。
 つーちゃんと一緒に保健室で耳かきを借りてきた時から、つーちゃんは少し不安そうでした。「つーちゃん、私お願いがあるんだけど、耳掃除させてくれない」そうして耳掃除をはじめると、つーちゃんはあわてて私の膝から飛び起き、少し離れたところでこちらを見ていました。耳掃除をしようとしている私を見て、私たちの周りにいた先生が、「手伝おうか(押さえていようか)」と声をかけてくれました。でも、それは私の気持ちとは違っていました。力の限り押さえられて、もし、つーちゃんの力の方が弱くて、それで、もしたとえ耳の掃除ができたとしても、それはつーちゃんが耳掃除ができるようになったわけではけっしてないし、それに、嫌なのに、力で何人もの大人に押さえこまれるって、きっとすごく怖いだろうなって思うのです。私がつーちゃんだったら、押さえた人も耳掃除をした人も「きらいだぁあ」って思っちゃうかもしれない。「もう信じてやらない」って思っちゃうかもしれない。そんなのとっても困ります。だから、「私とつーちゃんとで耳掃除したいな」って言いました。みんなが、もう一度「そんなことできるの?」って言いました。私もできるかな?できるといいなあって考えていて、不安でした。だって「4人がかりでもむつかしかったんだから」ってみんなそう思ったのです。
 「つーちゃん、こっちに来て」って一所懸命頼むとつーちゃんは、やさしいんです、とっても。だから、また私の膝に頭をのせてくれました。「そっとするからさせて」そう言うと。私の顔をじっと見て、それから目をつぶりました。でも、また耳かきをもっていくとすっと逃げてしまうのです。そんなこと何回も何回も繰り返しました。そのうちつーちゃんは、私が無理にはしないということをわかってくれたようでした。もう、立つことはしなくなって、でもいざ耳かきを近付けるとやっぱり頭を動かしてしまうのです。それからまた、何度も何度もつーちゃんに、「怖くないからさせてね」と頼みました。(やっぱりつーちゃん、させてくれないのかな)って私、泣きそうになっちゃった時、つーちゃんは(ああ、この先生は、耳かきをさせるまで、どんなに嫌っていっても何度もさせろって言うんだろうな)って半分呆れて半分あきらめたみたいでした。それから、私が悲しそうなのがつーちゃんのやさしい気持ちにつらかったのでしょうか。顔を見て、うなづいて、私の小指を自分の耳の穴の中に入れさせたのです。そっとつーちゃんの耳の中を指でさわると、今度は、耳かきをつーちゃん自身が手をそえながら、耳の中に入れさせてくれました。「ありがとう、本当にありがとう」私、うれしくてありがたくって、また泣きそうになりました。耳かきをただ入れたり出したりを繰り返したあと、少しづつ奥へ耳かきを持っていきました。つーちゃんはやっぱり嫌は嫌なんだと思うのです。目をしっかり閉じて、でももう頭を動かすことはしませんでした。じっと我慢してくれていたのだと思います。奥のほうの大きなながーい耳あかが取れました。終わってから、すごいすごいと私本当にうれしくてはしゃいでいたら、つーちゃんもいっぱい笑ってうれしそうでした。耳あかは連絡帳に貼ってもらいました。だって、あんまり長くて大きくて見事だったので、お母さんにみせたくなったのでした。
 おなじようにして、体温をはかることもできたんです。そしてつーちゃんは家でも、耳そうじや体温をはかるのをさせてくれるようになったそうです。
 ああ、よかった。あの時、(やっぱり無理なのかな)って思って、それで押さえ付けて耳掃除しなくてよかったな、つーちゃんはきっと押さえ付けられることで、耳掃除や体温をはかるのがとっても怖いことだって思ってしまっていたんだなって思いました。でも、(案外、耳掃除って大丈夫だな、怖くないな)って、もしかしたら、(なあんだ、気持ちいいじゃない)なんて思ってくれたのかもしれません。
 それにしても、きちんと気持ちを伝えるのって大切だなあって思いました。それから、どんなことだって、無理にさせられてできたことは実力じゃないんだな、自分である時は我慢して、ある時はやろうって思ってできたことが本当の力なんだって思いました。私はそんなに我慢してでもしてくれる子供たちの気持ちをいつも少しも考えることができずに、押しつけてしまったり、無理にさせてしまうことがなんて多いのだろうと思いました。子供たちはこんなにやさしく大きな力を持っているのにです。ごめんねと思いました。








最終更新日  2006/07/05 11:39:56 AM
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