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みんなの気持ち・・たんぽぽの仲間たちから

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2006/11/24
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 自動車学校
  自動車学校・・とってもとっても大変でした。私が大変というより周りの方が大変だったかもしれない・・

でも毎日やっぱりあんまり受からないから悲しくて、行きたくないなあと泣いていた思いでがあります。

 建物にぶつけて、建物を壊したり・・エス字とかゼットの形になっていたり、車庫入れの練習をするときに立っている三角の印もいくつもなぎ倒して壊したり・・もうだんだん壊したり、変なことしてしまったりで有名になってしまって、車に乗ると教官の先生に「ああ、きみがあの子」なんて言われてしまうくらいでした。

 勘違いもいっぱいしました。教官さんが「離して離して・・」っておっしゃるのです。何を?って思ったけど聞けなくて、初めはそっとアクセルから足を離して、それでも「離せ」っておっしゃるから、今度はブレーキから足を離して・・それでもだめだからもう離すところはここしかないと思って、ハンドルから手をぱっと離したら「ばかやろう・・。左の並木塀から車を離せって言ったんだ」とすごく叱られました。なんとか試験まで来たときに、急に雨が降り出して、ワイパーの動かし方なんて知らないって思い出して、どうぞ雨が強くなりませんようにって思っていたのに、どんどん降り出して、とうとう「ワイパー」って怒られて、どのスイッチかな・・これかな?って動かしたら、ライトがぱっとついて、違ったと思って、今度は何か押したら、シューって水が窓に出て、結局「ワイパーの場所を知らない」ということで落ちてしまったのです。いつも見て下さってる教官さんが「きみはいいこなんだけど、でも車はあんまりのらないほうがいいなぁ」なんて、私があんまりシュンとしているので、何かなぐさめなくちゃいけないと思って下さって、それでもいいところが見つからなかったのか「いい子」なんだけどなんてなぐさめてくださったのでした。

それでついに卒業のとき「あんまりおいておくと、どんどん学校がこわれていくし、たまったもんじゃないから、はやく出ていってもらわないとね」とか「この学校卒業って言わないでね」とか冗談だかそうじゃないかわからない言葉をいただいて卒業をしました。大学の先生も私が路上に出ている時間は「危険だから、外は歩かないこと」なんて黒板に書いてて、「またぁ」とおかしかったです。

 でも今は車大好き。でもやっぱりバックは苦手なので、できるだけバックはしないようにそれから細い道も入らないようにしています。でもまっすぐな道は得意です。(これ、得意って言っていいのかな?)







最終更新日  2006/11/24 08:55:36 PM
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2006/08/29
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こすもす
 学校の花壇は、クラス毎に割り当てが決まっていました。限られた花壇に何を植えようかとみんなで相談して考えます。花壇といっても、畑が別にあるわけではないので、私たちのクラスは、すいかととうもろこしがいいという意見が出ていて、それに決まりそうだったのです。でもたけちゃんはさっきから、ずっとふくれっつらをしていました。「僕、植えたいものがある」「なあに?」と聞いてもなかなか答えをいいません。「僕が言っても絶対に反対しないでほしいんだ」まりちゃんは「そんなのだめに決まってるじゃない・・みんなの花壇なんだし・・・・」「でも、僕・・」たけちゃんは下を向いて小さな声で言いました。たけちゃんの植えたいもの・・それはコスモスでした。「どうしてコスモスなの?食べれないよ」すいかが食べたい男の子は猛反対です。でもまりちゃんは「もうちょっと考えてから決めよう・・この話は今度ね」まりちゃんがそう言うと、みんなは反対しませんでした。まりちゃんはいつも信頼されていて、それでまりちゃんが言うことはみんな間違いがないって思っているようでした。それでその日の相談は終わりになりました。その日、まりちゃんは病院に帰ってから、たけちゃんと何か話をしたようでした。まりちゃんが私に、「あいつ、何か悩んでいる気がする。きいてやらなきゃ」と言っていたのです。まりちゃんは脳腫瘍で手術を受け、その予後があまりうまくいかなくて、病院に入っていました。ひとりひとりの心のさびしさや悲しさに人一倍敏感なように感じました。
 次の日の朝の会で、まりちゃんはみんなの前で、「花壇はコスモスにしよう。たけちゃんさ、もう種持ってるんだって」とても不思議なんだけど、まりちゃんのいうことだったら、みんなはなぜか反対しないのでした。それは(まりちゃんの言っていることだったら何か理由があるからその方がいい。その理由は絶対に自分勝手な理由ではないはず)・・そんなに簡単にコスモスになってしまって、不思議だなあと私は思いました。「みんなもいいの?」と聞いても「いいよ。すいかさあ、どうせお昼によく出るし」なんて言うのです。コスモスは私も大好きな花なので、とてもうれしかったけど、やっぱり不思議だなあと思っていました。コスモスの種の袋には「宿根コスモス」と書いてありました。3年生のわたるくんが、「やどねってなんだい?」と聞きました。「やどねじゃないよ、ずっと根っこが残ってて、また来年もその次の年も咲くってことだよ」まりちゃんがにっこり笑って言いました。種をまいてからしばらくして、たけちゃんの病状がよくなくて、病室から学校へ出てこれない日が増えてきました。たけちゃんは小児の白血病でした。一時期病気がうそのように元気だったのに、急に悪くなりました。病室に行くと、たけちゃんはいつもこすもすのことを私に聞きました。「枯れてない?大きくなってる?」「こすもすはね、秋に咲くというけど、でも夏にももう咲くんだよ」たけちゃんは病気のことは知らないのだとおうちの方が話しておられましたが、たけちゃんがコスモスの花が咲くのを心待ちにしているのを見るたびに、たけちゃんがもういなくなってしまうのではないか・・とけっして口にすることは許されないことをふと考えてしまって、怖くなるのでした。その日、たけちゃんの病室へ行くと、たけちゃんは眠っているところでした。またあとで、こようと思って、出ていこうとしたとき、たけちゃんは私がそこにいると知っていたよというふうに、言いました「先生、夢を見てたよ。気がついたら、僕ねコスモスの花の真ん中に座っていたんだ。ピンクの花びらがおわんのようにまるくなって、僕を囲んでいてくれて、すごく気持ちよかった・・そして、気がついたら、その花びらひとつひとつはまりちゃんだったり、かあさんだったり、とうさんだったり、先生だったりしたよ。僕ね、真ん中にいたよ。みんなが僕のこと見ててね。風に花が揺れるととても気持ちよかったよ。先生、どうしてコスモスが好きなの?コスモスね、僕も大好きになって来ちゃった」たけちゃんのお部屋で、泣くまいと思っていても、私は涙があふれてとまりませんでした。みんながたけちゃんの心をつつんでいて、たけちゃんはきっとその中で、ゆっくりとどこかもう一つの世界へ行こうとしているのかと思ったりもしました。
 夏休みも終わりの頃、コスモスは咲き出しました。そしてとうとうたけちゃんも帰らぬ人となりました。病院から、たけちゃんがおうちに帰っていった日に、私たちみんなでたけちゃんを見送りました。車は遠回りをして、学校の花壇の前を通ってくれました。たくさんのコスモスたちが、風にやさしく揺れています。まりちゃんが、子供たちに、「来年も、この花壇はコスモスだよ。その次もコスモスにしよう・・たけちゃんは僕のこと忘れずにいてって言ってるんだよ」と言いました。
 わたるくんが、たけちゃんを見送った後、どのコスモスの花がたけちゃん?と聞きました。どうしてそんなふうに思ったのだろうとまた不思議だったけど、みんな誰だってコスモスなんだという気がしていました。たくさんの人にまあるく包まれて、愛されて、咲いているんだと思いました。







最終更新日  2006/08/29 07:21:27 PM
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2006/07/17
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手紙が届いた
 郵便受けの中の手紙の差出人のお名前を見ても、なんのことかわかりませんでした。いったいどなただったろう、それにしても不思議な肩書き・・そう思って文字をしばらく眺めていて思い出したのです。その方の肩書きは「公園のおっちゃん」というのでした。その方とお会いしたのは、関西へ出かけたときでした。 

 その日は雪の降る日でした。講演会場は駅から歩いて5分と聞いていたのに、歩いても歩いてもそこにはつきませんでした。道はあってるようなのに、地図だって見てるのに、もう40分も歩いたのに・・と不安になっていながらも、まだ2時間もあるから・・とそれほどあわててはいませんでした。けれど(5分のところをタクシーに連れていっていただくのは申し訳ないって思ったのは間違いだったかもしれない・・タクシーの運転手さんだったら、きっとすぐにわかったのに)とため息まじりに考えだしていたところでした。関西って雪の少ないところだと思っていて、おまけに小松では晴れていたのです。だからコートもなしで傘ももっていませんでした。

 主催者の方に書いていただいた地図に載っている公園をみつけました。うれしくて、その中を走るようにいそいでいたら、途中ですべってころんでしまいました。ころぶのは慣れているけれど、たった一人、見知らぬ土地に来て、講演会場になかなかつかないし、お洋服もどろどろだし、髪もぬれちゃったし、こんな格好でたくさんの方の前に出なくちゃいけないんだと思ったら、自分でもびっくりするくらい急にわきあがるように悲しくなって、近くのベンチに座って、ちょっと泣きました。その方にお会いしたのはそのベンチででした。

「痛かったんか?」さっきまで確かに私の横には誰も座っておられなかったはずなのに・・その方はいつのまにかそこに座っておられました。その方はきっと公園の中のテントに暮らしておられる方なのだとそのとき、私はなぜだか思いました。「痛かったんか」の問いにうんと小さくうなずくと、何か口の中でおっしゃたのだけど、私には聞き取れませんでした。その方はじっと下を向いておられて、私はなにを話そうかと思いました。そして道を聞きました。「〇〇ホールというのはどこにあるのでしょう?」その方は首を傾げて「おっちゃんはわからんわ」っておっしゃいました。わからんわとおっしゃったけれど、とても温かく、わからないことがとても残念そうに言ってくださったので、さっきまでちょっとだけ泣いていたことがうそのようにうれしくなりました。「駅から5分って書いてあるのだけど、もうすごくたくさん歩いたの・・」「そうか・そうか・・」”おっちゃん”はやっぱりとてもやさしかったです。どうしてポケットを探しておられるのかなと思ったら、ポケットから飴を出してくださいました。きっと大事にずっと持っておられた飴なのだと思います。飴の包み紙が飴にくっついていて、食べたとき、「あれ?」って思いました。「ナイロンくっついとったか?なめとればとれるよ」と”おっちゃん”は教えてくれました。「ほんとう・・」とてもきれいにナイロンはおもしろいようにはがれました。大きな甘露飴みたいな飴はとても甘くて、ほっとしました。その方のことをどう呼んでいいかわからなくて、「なんてお呼びしたらいいですか?」とお聞きしたら、「おっちゃんでいいよ」とおっしゃいました。でも”おっちゃん”っていう呼び名にこちらにいてなれていなくてためらっていたら、「渡辺っていう名前やった・・しばらく使ったことがなかったな」と言われました。「私、6時までにどうしてもそこへ行かなくちゃいけないんです。渡辺さんありがとうございました」立ち上がろうとしたら、「ちょっと待って・・」と”おっちゃん”は傘を貸してくださいました。「でも私、ここにすんでいないから返せないかもしれないんです」”おっちゃん”は、「たくさんあるからいいよ。それとも骨が曲がっていて恥ずかしいか?」と言ってくださいました。確かに骨は曲がっていたけど、その傘は雪をよけるには十分すぎるほどでした。「じゃあ返しにきます」と言ったのに、「いいよ、あげるよ」と言ってくださったので、私はそれをいただくことにしたのです。

 公園を出て、地図を頼りに歩いたらそれからしばらくして、そのホールはありました。まだたったばかりの真新しいホールでした。主催者の方が私のぬれていたり、泥だらけだったりするかっこうを見てびっくりされたようでした。それから「ちょっと遠かったでしょう?ここ、できたばかりなので、私たちも初めてきたので、遠くてびっくりしてたんです」と言われました。私はそのとき、顔には出さなくても、ちょっと怒りました。お話をいただいたときに、「道をしょっちゅう間違えるので、ちゃんと行けるか心配なのですけど・・」とお話したとき、「駅から歩いて5分ほどで、すぐにわかりますから・・」って確かにおっしゃったのに・・と思いました。私がちょっと怒ったのには本当はもうひとつ理由がありました。でもこんなことで怒るのは本当はとてもおかしなことだし、恥ずかしいことと自分が嫌でもありました。だから本当はお話したくないほどなのです。どういうことかというと、講演依頼のお電話があったときに依頼してくださった方が「私たちも教員で、勉強させていただくのやけど、山元さんも勉強になるのやから、まさかおことわりにはならないでしょう」っておっしゃいました。「お互い様ですから、私たちも、そのつもりでお待ちしますから」「講演が終わったら、懇親会に出てくれますか?でも用意できるのは交通費くらいなので、お泊まりしてはいただけないんです」っていうふうに、私はお話するまえにどんどんおっしゃって、なにも予定は入ってはいなかったのですけど、でも私の気持ちを言うことができなかったので、ドキドキしました。でもやっぱりと思って、「それでは会のあと、泊まらないで電車で帰ります」と言うと「でもたぶんもう金沢の方へ帰る電車がないんやないかと思うのです」お泊まりもできないし、帰れないならどうしたらいいのかなって、私はどうお返事していいかわからなくなってしまって、でもひとりでお泊まりしたくないなあと思って、「電車がないのなら、懇親会には出ないで帰ろうと思います」って言いました。お互いに勉強っていうことも当たり前のことなのに、私はなんだか気が進みませんでした。子供たちのお話をさせていただくことはうれしいことと思っていたので、こんなふうに考える自分が嫌でした。自分が嫌なのに、相手の方のことも心の奥でが怖がっていて、だから、そのホールまで5分じゃなかったのは、本当はご存じなかったんだって思ってまた嫌って思ったのだと思います。それで、”おっちゃん”に会えたことはすごくうれしかったことだったのに、この時のことをあんまり思い出したくはありませんでした。

 家に帰ってから、でも”おっちゃん”のことは何度も思い出しました。それでお礼のお手紙を書きたいと思いました。前にも大阪駅で、お世話になった方で、やっぱり住所をもっておられない段ボールのおうちにすんでおられた方にお手紙を出したとき、手紙は「宛先不明」で戻ってきてしまいました。でも今度は名字も知っているので、郵便局の方に申し訳ないなあと思いながら、またお手紙を書きました。宛名のところには、〇〇の〇〇市〇〇公園と書いて、それから公園の絵地図を書いて、テントの絵もかいて、”渡辺のおっちゃん”と書きました。その手紙は何日たってももどってきませんでした。最初は私の手紙どうなったかな?って何かの折りに思い出したりしていたけど、でもきっとついてはないだろうなって昨日まで思っていました。その手紙を出して、もう2年以上たっていました。私はその手紙を出したことさえすっかり忘れていたのでした。

 ところが昨日いただいた手紙は”渡辺のおっちゃん”からのものだったのです。手紙は届いていたのです。郵便やさんが、私は書いた、宛名と地図で、”おっちゃん”を探してくださったのです。こんな手紙を出したと書くと郵便局の方や、それからどなたかに叱られてしまいそうです。だって、とても迷惑をおかけしますもの。でもお手紙、出したかったのです。親切な郵便やさんに今日はお礼を言いたいです。本当にありがとうございました。”おっちゃん”は「げんきですか?てがみをくれておどろきました。しんせつなゆうびんやさんが、渡辺さんというひとはいませんかとたずねてもってきてくれました。さいしょはおっちゃんのことかどうかわからなかったけれどえでかいたちずで、おっちゃんのことだとわかりました。うれしくてなかまにもみせました。へんじがかけるとはおもいませんでした。けれど、かくことができました。げんきでいてください。こうえんのおっちゃんより」これは原文のままです。私がいただいた宝物のようなお手紙がこうしてお返事で帰ってくるなんて、私、うれしくて、うれしくて、信じられないくらいうれしくてたまりません。思い出したくないと思っていたことも、本当は”おっちゃん”に会うことができるために、それから住所を見て、届くはずがないだろうなんて思わずに探してくださった郵便やさんのことを知ることができるために、みんなあったのかなと、あんなふうに考えてしまったことをやっぱり恥ずかしく思います。そして、考えたら、毎日届けていただいているお手紙も、郵便やさんが心をこめて届けてくださってるのだと改めてありがたく思いました。それから2年間も私のことを覚えていてくださった渡辺のおっちゃん、ありがとう。






最終更新日  2006/07/17 01:27:15 PM
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2006/07/08
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kiityan2
人権集会
 人権学習会の講演会に呼んでいただいたときのことでした。主催者のおひとりが、よく知っている先生でした。在職中は子供たちのために素晴らしい授業をされて、私も参観させていただいたこともありました。「共に生きる」ということについてもよく考えられ、障害を持った方も、そうじゃない子供たちも一緒に学ぶことについてや、平和の大事さなどについてもたくさんのことを教えてくださいました。私の尊敬している先生なので、私の話をきいていただけることが、恥ずかしいけれどうれしい気持ちがしました。
 控え室で、中学校の校長先生や、公民館の館長さんや、その先生をまじえて、お話をしていました。
 その先生は今、私がいる学校の近くの小学校にも勤務しておられました。その小学校は私たちの学校と長い間交流を続けています。それで、卒業生のこともよく知っておられたのです。それでこんなエピソードを話してくださったのです。
「聖子ちゃんは元気かな?もうとっくに卒業しただろうけど。いやあ、小学生は大人がいえんようなことを平気で言うからなあ。聖子ちゃんによだれなんかたらすなよ。汚いじゃないかって言うんだ。そしたら、あの聖子ちゃんがよだれを交流中はたらさなかったんだ。学校の先生に聞いても、学園の先生に聞いてもよだれを出さないことはないという話だったのに、交流中はださないんだよ」
 私は先生がどういうことをおっしゃりたいのかなと思ったのですが、「よだれを飲むときって、のどのどこかの弁が閉まったり、開いたりして飲むことができるそうですね。聖子ちゃんは脳性麻痺なのですけど、脳性麻痺の方はその弁の開閉がうまくいかなくて、唾液を飲み込むことがとてもむずかしい方がおられるそうですね。お医者さまは人の100倍も努力しないとたらさないでいられないと聞いています」とお話しました。
「そうや。そんな努力が小学校の子供といるとできるんや」
「いやあ、交流っていうのは、やっぱりすごく力を持ってるものですな」
そんなふうにお話は終わったのです。
 「共に生きる」ために力を尽くしてくださった先生の尊敬の気持ちはずっと今もそのままだし、大好きなままなのです。だから読んでくださってる方に、誤解されないかなと心配なのですけど、私、少しわからなくなったことがあるのです。
 それはこんなことです。
 ひとつはなぜ聖子ちゃんはその間、たとえば100倍の努力をしてまでよだれをながさなかったのだろうということです。いつも唾液を飲み込むことがむつかしい聖子ちゃん、学校で勉強するときはノートが唾液でぬれないようにと口にタオルをくわえて字を書いていた聖子ちゃんが、「汚いな、よだれ流して」という言葉を聞くことは聖子ちゃんの心を傷つけはしなかったのでしょうか?それから聖子ちゃんの誇りを傷つけはしなかったのでしょうか?私は誇りを傷つけられるということは、体の痛みよりも痛い痛いものではないだろうかと思うことがあります。よだれを出すことを汚いと言われることは、いつもの聖子ちゃんを否定されたことにはならないのでしょうか?その誇りを保ちたいために、聖子ちゃんは100倍の努力をしてまでよだれを出さないようにがんばったのではないのでしょうか?
 もうひとつわからないと思ったことがあります。交流ってすごいなという結果になったこのお話は「よだれを流すこと」は「よだれを垂らさないでいること」より劣っているということの前提にたってはいないのかということを思うのです。そういう前提があると、障害を持った人たちはとてもつらい立場におかれることになると思うのです。そして「人権の話」の柱になるであろう、「人はみんないろいろだけどいろいろでいいんだ。すてきなんだ」ということに大きく反するような気がするのです。
 こんな話もあります。
 立つことがむつかしく、ベッドでねたまま生活をおくっている子どもたちがいます。立たないでベッドですごしていると、足や手が堅くなり、内側に形がかわって曲がってくるということがおきてきます。もしこれから歩くということを選択する場合、曲がっていると歩くことができないので、手術をするという場合は別なのですが、歩くということを選ばない、または選べない(歩くといことがむつかしい)子供たちにも、「足がまっすぐの方がかっこいい」「他の大勢の人の足の形に近づける」などという理由で手術をする場合があります。私は小さいお子さんにそういう理由で痛い手術をすることに対して、とても不思議な気持ちがしていました。大勢の人の足の形が、萎縮のために曲がった足よりすぐれていて、少しでも大勢の人の足の形に近づけたほうが幸せだという気持ちがそこにはないのだろうかと思ったのです。そんなことについて疑問を持っていたときに、福島先生という、大学の先生にお会いすることができました。福島先生は目と耳が不自由で、指文字で通訳の方を通して話されたのですが、やはりこのことについて、無用な手術には疑問を感じるとお話しておられて、ああ、おんなじ気持ちとうれしくなったのを覚えています。 人権集会だったからこそ、なお私は思うのです。その社会に大勢いる人が、少数の人の持っているものや、個性を自分たちに近づけようとし、またその結果近づけたことをいいことのように思うのは、大勢の人たちの勝手な言い分なのではないのかと。
 私はやっぱりよくわからないままです。だからどこか違っているかもしれない。
 お箸やスプーンで食事をする人たちが、文化が違うために手で食事をする人たちを招いてともに暮らし、あの人は箸で食事をするようになった、よかったねと話すことは、その人の誇りを傷つけることにはならないのでしょうか?
 体に傷をつけることがいけないことは誰でも知っています。でも心にある誇りを傷つけることも、けっしてしてはいけないこと・・それなのに、知らず知らずにしてしまうことが私たちにはたくさんあります。人権を守ることって何なのか、もう一度ちゃんと考えてみようと思います







最終更新日  2006/07/08 10:03:40 AM
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2006/07/05
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つーちゃんの耳掃除
 つーちゃんのお母さんがその年の年度の始め、「学校に希望することはなんですか?」という問いがのった書類に書かれたことは、「耳掃除をしてください」ということでした。つーちゃんは小さい小さい時から耳掃除が嫌いでした。お母さんのお話では、嫌いというより、絶対にさせてくれない、逃げていくし、捕まえて押さえこんでも抵抗して暴れるからものすごく危ないしできない状態だということでした。それでも、小さいうちはつーちゃんも力がないし、大人4人がかりで押さえて耳鼻科の先生がなんとか巨大な耳あかをとることができたこともあったけれど、中学生になって、背も170センチになった今は、とてもむつかしいということでした。それからもうひとつ、つーちゃんがさせてくれないことは体温をはかること。耳掃除と同じくらい嫌がってけっしてさせてくれないということでした。 
 その年、私は、毎週、一週間に一時間だけつーちゃんと二人きりでお勉強することができることになったのでず。
 つーちゃんは、お話ことばとしてのことばは持っていないけれど、もちろんたくさんの気持ちをもっています。でも、つーちゃんはお話ことばがないし身振りサインなどもあまり使わないからつーちゃんの気持ちはなかなか伝わりにくいのです。嫌だったら嫌な表情をするし、怒ったりもするし、うれしかったり楽しかったりするときはとてもうれしそうだけど、つーちゃんの気持ちはそれだけじゃあないはずです。たとえば教室にいて、今からどこどこへ行きたいんだということや、お腹がすいたけど、ごはんよりも今はあんぱんが欲しいなあとか、もっというと、缶コーヒーの温かいのじゃなくて、今日は冷たいのがいいけど、明治のかUCCの、なんとかっていうのがいいなあとか、そんなふうにも思ってるんだと思うのです。でもつーちゃんの気持ちはなかなか相手に伝わりにくいのです。それからつーちゃん自身も相手の気持ちを知ろうとするのが苦手の方だなあと思うことがあります。「そのごみ箱取ってほしいな」とお願いすると、お願いしながら指差しをしている方向にセロテープが置いてあると、指差しの方に気をとられて、セロテープを取ってくれたりすることがあります。
 つーちゃんと一緒にいて、私たちの大事な時間では、気持ちをきちんと伝えあうことを大切にしようと考えました。そのことで、私が耳掃除や体温をはかるのをどうしてもつーちゃんとしたいんだということをきいてもらえるかもしれないとも思いました。耳掃除や体温をはかるのをもちろんお母さんが望んでおいでるということもあるけど、私はやっぱり耳掃除も体温をはかるのも日常でとっても大切なことだし、それが簡単にできるようになったら、(できないことができるようになるということは)生きていく社会が広がることになるなあと思ったのです。
 でも、いろんなこと考えてたけど、私はなによりつーちゃんと一緒にいることが楽しかったです。つーちゃんって本当にそれはそれは素敵に笑うんだよ。今つーちゃんのしていることが楽しいという時だけじゃなく、ああこの人は僕のしたいこと、あんまりじゃましないなあとかと思うと、すごく素敵な笑顔を私にもむけてくれるようになったのです。(つーちゃんは、細い棒や薄い紙をオルガンと壁の隙間とか、机と壁の隙間とかに捨てるのが大好きなので、大事なものだとそれがいつのまにかなくなってとても困るのです。それから、机を棒でトントンするのが好きなんだけど、歌の時間だとか体操の時間とかにずっとトントンしてると困るからその棒、ちょうだいってことになっちゃうんだけど、この時間は気持ちの伝えあいだったので、じゃまはしなくても大丈夫だったのです)一緒にごろんと寝転ぶと、そんなこと今までなかったんだけど、私の顔ににこにこ笑いながら触ってくれるようになったり、遠くからでもとんできてくれて、ああ仲良しでうれしいなあって感じられるようになってきました。
 同僚に、私、つーちゃんの耳掃除してみたいと思うと話をしました。みんなとてもびっくりして、どうやってするつもり?と尋ねるのです。「お願いしてみる」と私が言うと、誰にお願いするって?とみんなが聞いたから、「つーちゃんにお願いしてみる」と言いました。「つーちゃんにお願いしてできるのならもうとっくにできてるよ」私もそうだなあと思いました。「男の大人4人がかりでも無理なんだぞ。できるはずがないじゃないか」私もそうかもしれないって思いました。「でも、お願いしてみる」みんなはちょっとあきれ顔でした。
 その日、つーちゃんがわたしのひざで膝枕をしてごろんとしてくれるようになったので今日こそ耳掃除のことをお願いしてみようと思ったのでした。
 つーちゃんと一緒に保健室で耳かきを借りてきた時から、つーちゃんは少し不安そうでした。「つーちゃん、私お願いがあるんだけど、耳掃除させてくれない」そうして耳掃除をはじめると、つーちゃんはあわてて私の膝から飛び起き、少し離れたところでこちらを見ていました。耳掃除をしようとしている私を見て、私たちの周りにいた先生が、「手伝おうか(押さえていようか)」と声をかけてくれました。でも、それは私の気持ちとは違っていました。力の限り押さえられて、もし、つーちゃんの力の方が弱くて、それで、もしたとえ耳の掃除ができたとしても、それはつーちゃんが耳掃除ができるようになったわけではけっしてないし、それに、嫌なのに、力で何人もの大人に押さえこまれるって、きっとすごく怖いだろうなって思うのです。私がつーちゃんだったら、押さえた人も耳掃除をした人も「きらいだぁあ」って思っちゃうかもしれない。「もう信じてやらない」って思っちゃうかもしれない。そんなのとっても困ります。だから、「私とつーちゃんとで耳掃除したいな」って言いました。みんなが、もう一度「そんなことできるの?」って言いました。私もできるかな?できるといいなあって考えていて、不安でした。だって「4人がかりでもむつかしかったんだから」ってみんなそう思ったのです。
 「つーちゃん、こっちに来て」って一所懸命頼むとつーちゃんは、やさしいんです、とっても。だから、また私の膝に頭をのせてくれました。「そっとするからさせて」そう言うと。私の顔をじっと見て、それから目をつぶりました。でも、また耳かきをもっていくとすっと逃げてしまうのです。そんなこと何回も何回も繰り返しました。そのうちつーちゃんは、私が無理にはしないということをわかってくれたようでした。もう、立つことはしなくなって、でもいざ耳かきを近付けるとやっぱり頭を動かしてしまうのです。それからまた、何度も何度もつーちゃんに、「怖くないからさせてね」と頼みました。(やっぱりつーちゃん、させてくれないのかな)って私、泣きそうになっちゃった時、つーちゃんは(ああ、この先生は、耳かきをさせるまで、どんなに嫌っていっても何度もさせろって言うんだろうな)って半分呆れて半分あきらめたみたいでした。それから、私が悲しそうなのがつーちゃんのやさしい気持ちにつらかったのでしょうか。顔を見て、うなづいて、私の小指を自分の耳の穴の中に入れさせたのです。そっとつーちゃんの耳の中を指でさわると、今度は、耳かきをつーちゃん自身が手をそえながら、耳の中に入れさせてくれました。「ありがとう、本当にありがとう」私、うれしくてありがたくって、また泣きそうになりました。耳かきをただ入れたり出したりを繰り返したあと、少しづつ奥へ耳かきを持っていきました。つーちゃんはやっぱり嫌は嫌なんだと思うのです。目をしっかり閉じて、でももう頭を動かすことはしませんでした。じっと我慢してくれていたのだと思います。奥のほうの大きなながーい耳あかが取れました。終わってから、すごいすごいと私本当にうれしくてはしゃいでいたら、つーちゃんもいっぱい笑ってうれしそうでした。耳あかは連絡帳に貼ってもらいました。だって、あんまり長くて大きくて見事だったので、お母さんにみせたくなったのでした。
 おなじようにして、体温をはかることもできたんです。そしてつーちゃんは家でも、耳そうじや体温をはかるのをさせてくれるようになったそうです。
 ああ、よかった。あの時、(やっぱり無理なのかな)って思って、それで押さえ付けて耳掃除しなくてよかったな、つーちゃんはきっと押さえ付けられることで、耳掃除や体温をはかるのがとっても怖いことだって思ってしまっていたんだなって思いました。でも、(案外、耳掃除って大丈夫だな、怖くないな)って、もしかしたら、(なあんだ、気持ちいいじゃない)なんて思ってくれたのかもしれません。
 それにしても、きちんと気持ちを伝えるのって大切だなあって思いました。それから、どんなことだって、無理にさせられてできたことは実力じゃないんだな、自分である時は我慢して、ある時はやろうって思ってできたことが本当の力なんだって思いました。私はそんなに我慢してでもしてくれる子供たちの気持ちをいつも少しも考えることができずに、押しつけてしまったり、無理にさせてしまうことがなんて多いのだろうと思いました。子供たちはこんなにやさしく大きな力を持っているのにです。ごめんねと思いました。








最終更新日  2006/07/05 11:39:56 AM
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2006/06/29
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minnakimotiwomotteiru

今日は運動会の代休で学校はおやすみでした。朝からとてもいいお天気。こんなにぽっかりあいた一日、何をしようかな。
 朝いつも、ばたばたしてて、どうしたっていそがしいから、毎日できないことをしようと思いました。おふとんを丸裸にして、外の大きなものほしによいしょと干して、それからシーツを4枚バスタオルも3枚洗濯しました。それを物干しや、木にロープをつないでほしていたら、近所のおばあちゃんが「おめら」と声をかけてくださいました。「おめら」っていったいなんだろうって思うでしょう。私もこっちへ来たばかりのときは「おまえなあ」とか「きさま」とかいう恐い言葉を連想してしまってどうお返事していいかわからなかったのです。でもこれはどうやらあいさつのことばなのです。だって、公民館の前にたってる看板で「あいさつをしましょう」の字の横に「こんにちは」とか「ありがとう」の言葉にまざって「おめら」って書いてあったんだもの。それで意味はよくはわかっていないんだけど、私が思うに「お前さんたち、精が出ますね(がんばってるね)」っていう感じじゃないかなって思うのです。それでそのお返事はやっぱり「ありがとう」とか「はーーい」とかかなって思うのです。で、今日は朝だったので「あ、おはようございます。いいお天気」って言いました。
 それにしても、お洗濯したシーツとかがぱたぱたしてるのを見るのって本当にいい気持ち。私の心がこのところ少し元気がなかったのをかえってちょっとだけ思い出すくらいうれしい気持ちになりました。
 お洗濯していい気持ちになったら思いついたのです。「そうだ。郵便局にもいかなきゃね」
 普段は学校があってなかなかいけないのです。書留や、書籍やエアーメイルを今日はおくれるな。
 出かけたのは小さな、町の郵便局です。いろいろ教わりながらたくさんの郵便物を出していたら、郵便局の方が、声をかけてくださいました。「詩、読みましたよ。本も読みましたよ」
 すごくうれしくて「ありがとうございます」って話をしていたのです。そして、順番を待つために、後のソファーに腰かけていました。
 お隣に座っておられたおばあちゃんは私と郵便局の方との話を聞いておられたのでしょう。「ああ、あなたですか。私も詩の本読みましたよ」もうなんだかとてもうれしくてうれしくて、おばあちゃんに抱きつきたくなるくらいです。おばあちゃんはとてもゆったりと笑われました。「私もね、詩を作るんですよ」「そうだ、私の詩をみてくれませんか。それからなおしてくださいな」
 私はすっかり困ってしまいました。あれは大ちゃんの詩画集で私が詩を作ったわけでも、それからもちろんなおしたり、指導なんかをしたわけでもないんですもの。そう考えたけど、もしかしたら、おばあちゃんはただご自分がつくられた詩を、誰かにみてほしいって思われただけかもしれないなって思いなおして言いました。「私、なおしたりなんかできないけど、おばあちゃんが作られた詩、ぜひみたいです。みせてください」
 お手製だと思うんですけど、ちくちく縫ったパッチワーク布製のバッグからおばあちゃんは大切そうに小さな手帳を取り出されました。そして少し恥ずかしそうに笑いました。「下手ながやけど、みてやってね」
 見せていただいた手帳にかかれたものは、詩というよりたぶん短歌なのだと思います。きれいな字でていねいにかかれたいくつもの短歌の中に、みつけた文字に私はとてもとまどいました。「死期迫り」「再発の告知」「苦しみを忘れる」……そんな字がたくさん並んでいたからです。
 こんなにお元気そうなのに、こんなに穏やかにしておられるのに……急に、悲しくてなんだか恐くて、それからせつない思いが胸にこみあがってきて泣きそうになりました。どんな顔していたらいいのかわからず、大きく息をすって、下をむきました。
 「あら、そんな悲しそうな顔しないで、ばあちゃんは今、おかげさまで幸せなんやから」「泣かせるつもりはないんよ。ごめんねぇ。ばあちゃんはばあちゃんの生き方をこうして詩にのこしておきたいの」「ばあちゃんは詩に書いてあるとおり、なんにも恐くないよ。生かしていただいて、その時期がきたらみんな死ぬんやから。どんなにえらい人も普通の人もそれだけはみんないっしょやて」
 人はいつか亡くなるのだけど、確かにそれは間違いのないことなのだけど、私はまだ、死を悲しいもの、恐いものとしてしか受けとめられていないのだなあと思いました。
 家へ帰ってからもぼんやりと、生きること、死ぬこと、そして死が近いときのことなどを考えていました。
 急に玲子ちゃんにあいたくなりました。玲子ちゃんは看護婦さん。もしかしたら、夜勤あけとか準夜前とかで家にいるかもしれません。玲子ちゃんは私の中学のときの同級生です。不思議なことに、気が付いたときは、隣の隣に住んでいました。金沢の中学で同級生だった二人が今、近くに住んでいるというとみんなみんなすごく驚きます。私たちだってびっくりです。しょっちゅういろんなことを話したり、またいっしょに遊んだり、きのこがたくさんとれたからといっていただいたり、お互いがとても必要な仲なのです。お互いがお互いの事情で、偶然、こうして隣の隣に住んでいるのだけど、きっとなにか大きな力のもとでお互いが必要だからそうなったんだという気がするのです。
 電話をかけたら玲子ちゃんはうれしいことに家にいました。「もしもし」も言わないでいきなり「私、運動会の代休で今日お休みなの」というだけで玲子ちゃんはなにもかもおみとおしのように「何時にくる?」と聞いてくれました。
 玲子ちゃんは大きな病院の主任看護婦さんです。
「昨日は大変だったんだ。危ない患者さんが4人もいたの。もうどんな治療をしてもだめ、もうあと何日かで亡くなってしまう患者さんや家族のかたに私たちができることといったら、強心剤をうつことでも、むやみに命をながらわせることでもないの。痛みのために体をえびのようにそって苦しんでいる患者さんに少しでも痛みを少なくするように、やすらかに家族や友人と最後の時間をすごせるようにすることなの」
「若い看護婦さんにも、『病室へ入ったら、ただ脈をとって血圧をはかって帰ってくるようなことをしてはだめ。本人にも家族のかたにもかならず声をかけてこないといけないよ。最後の最後まで、みんないろいろなことを感じているんだから、脳が働いていないようでも、そんなことはけっしてないんだから』って言ってるの」
 玲子ちゃんはまるで私の今の心がわかっているように、私の顔をじっとみつめました。
 なんだかいろんなことがあった午前中でした。家に帰って、おふとんを取り入れたらあんまりほかほかだからうれしくなって、ほっぺを押しあてているうちに眠ってしまっていたみたい。ふっくら、本当に幸せな気持ちでした。
 

 こんなふうな幸せな日常の中で、私は生きるということについて、まだ何も考えることはできずにいるけれど、今日のお日さまのように、おばあちゃんがにっこり「恐いことなんかないんだよ」って笑って話されたみたいに、むやみにこわがらなくてもいいのかもしれないなあとうすぼんやりと思いました。








最終更新日  2006/06/29 09:27:43 PM
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2006/06/11
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町に出るということ
今高校3年生の友達たちと一緒に毎日をすごしています。
 4月に、今年が卒業年だということもあって、社会とつながり持つということ、町に出るということを目標に一年をすごそうという目標を立てました。
そういうことで、いろいろな場面で町に出ているのですけど、いろいろな場面で、ああ、町に出ることって、子どもたちにとっても、町に住んでおられる人にとっても大切なことなんだなあって思うのです。
 近くにあるお酒やさんは、お酒だけでなく、お菓子やおかずやたくさんの食料品がおいてあります。そこへ出かけたときのことです。
 道路を歩いていて、歩行器や車椅子だととても困ることがあります。そのひとつが道路の下水のふたがの粗い目の鉄の格子です。車椅子の前輪がはまったり、歩行器の車がはまってしまうと、もう前へ進めなくなってしまうのです。それどころか突然はまると怪我をしかねないのです。
 学校の前からずっとのびる道路の端っこには、そんなふたがところどころずっと続いています。
 気をつけて通っているのですけど、その日もお酒やさんの前でちょうど、その格子に歩行器のタイヤがはまってしまいました。そばに教員がいて、ささえなかったら、ようちゃんは怪我をしてしまっていたかもしれません。
 その様子をみておられたお酒やさんのご主人が、「おお、あぶないなあ。僕ら、なかなか気がつかなかったけど、養護学校がこんなに近くにある道路が、こんな危ないんじゃ大変や。今すぐ、おっちゃんが電話してやるわ」とびっくりしたことにその場で、市の土木課に電話してくださったのです。「今ひとり、養護学校の子が、前で怪我して大変なことになったがや。すぐになおしてもらわんと困るがね」そのときに怪我はしていなかったけれど、危なかったことは本当です。お酒やさんのやさしいお心使いがとってもうれしかったです。そのあと、そのお酒やさんでお買いものをしたのですけど、車椅子が通るにはけして広くはない店内ですが、ご主人が「どれほしいんや?これか?これはおまけやしあげるわ」って言ってくださって、本当に楽しくてうれしいお買い物でした。
 もし子どもたちが町に出なかったら、粗い目の鉄格子のふたがあぶないんだということだって、どなたも気がつかれないかもしれません。そのことをご主人さんが気がついてくださって、そして、市の土木課に連絡してくださったことが、また瀬領の町にかぎらず、たくさんの人が暮らしやすい町作りにつながるんだなあって思ったのです。だから町に出ることってとっても大切って思いました。
 それから町のとこやさんに行ったときのことです。3人とも、ひとりで、髪型をとこやさんにお話して、自分でお金をはらってきたことはありません。ひさしくんはいつもおうちにとこやさんに来ていただいていて、家で散髪をしていただくのだし、洋ちゃんは、学園にとこやさんが来てくださるので、町のとこやさんで散髪していただくのは初めてなのです。それからのりくんは町のとこやさんでいつもしていただいているけれど、いつもお家の方と一緒にしか出かけたことがなかったのでした。
 とこやさんに行く前に、みんなが髪型をお話したころに私たちも行くけど、でもお金は自分たちではらってかえってきてねとお話してありました。とこやさんの前までみんなで行って、そこでみんなとバイバイしました。
 ところで、みんながお店に行く前に、今日は子どもたちが来るのでお願いしますと前もってお話しに行ったときに、心配なことがひとつありました。車椅子に乗っていたり、歩行器を使って移動している3人は、さっと動物をさけることがむつかしいからか、みんな猫や犬が嫌いです。それなのに、イスの上に黒い猫が長くなって寝そべっていたのです。どうしようと思ったけれど、猫と会うということもあるかもしれないんだから、とお店やさんには何も言わないで、みんなに「あのね、黒い猫がいたよ。恐いからどかしてくださいってお願いしてみてね」と話ました。のりくんも洋ちゃんもぎょっとしたようでしたが、今日は自分たちでとこやさんにいくんだとずっと決めて、決意してきているので、「やめる」とは言いませんでした。そんなふうにしてとこやさんが始まったのだけれど、私たちがあとで入っていって、とこやさんにまたありがたいなあと感謝したことがいくつもありました。ご夫婦のとこやさんの奥さんが、「のりくんは猫がきらいなんやって。なんもせんのやけど恐いといかんから奥にやったわ」と言ってくださったのです。それからのりくんは何かしようとすると、手や足や身体が震えてしまうということがあるのですけど、緊張するとふるえが大きくなってしまうのです。それで髪をスポーツ刈りにするときに、身体が何度も揺れて、私たちは頭が切れてしまわないかしら?と何度も不安になりました。ご主人も最初は「動かんのや。動くとかっこよくならんよ」と言っておられたのですが、何度も動いてしまっているうちに、私たちに「この子は動こうと思って動いているのとは違うんや。緊張して動いてしまうんやな。でもときどき緊張がとけて、じっとできるときがあるから、その合間に切ればいいんやね。わかったぞ」って言ってくださったのです。それから、いつもはおじいちゃんでないと髪を洗うこともできないと思われていた、ひさし君も、とこやさんの髪を洗う台でちゃんとシャンプーできて、3人とってもかっこよく仕上がったのでした。3人が3人ともこうして、初めてとこやさんで自分でお願いして、散髪していただけたということは、3人にとって、とてもうれしいことだったようでした。のりくんはお家の方に「毎週ひとりで行こうかな?今度はメッシュを入れてみようかな」ってお話したそうです。私たちにも「緊張したけど、出来てよかった。出来るってわかったことがよかったし、かっこよくなってよかった」と話してくれました。それから、とこやさんが、「緊張が解けたとき、あいだをぬってバリカンを入れればいいんだ」ってのりくんのことを分かって下さったり、洋ちゃんのこともひさしくんのことも同じようにわかってくださったことがとてもうれしくてよかったなあと思いました。こんなことだって、どんどん町へ出ていくことで分かっていただけるのですよね。
 それから買い物学習で、デパートへも行きました。前もって、「今日はひとりでご飯を選んで食べて、それからお買い物もできるだけひとりでするんだよね」と話をしてあったのです。
 ごはんのとき、私たちには熱いお茶が運ばれてきて、それから、お店の方が、私たちに「お茶は熱いので、お水にしますか?」って聞いてくださったのですけど、私たちが、子どもたちのほうをどうするのかなあっていう具合に見たら、きっとお店やさんも「そうだ、お茶かお水かどちらかを飲むのは子どもたちだから、選ぶのは子どもたちのはずだし、子どもたちに聞けばいいんだ」って思ってくださったようでした。それで今度は子どもたちに「お水にしますか?」って聞いてくださったのがとてもうれしかったです。そうですよね。たとえば靴や鞄を選ぶときだって、もし私たちがそばにいると、「どういうものをお求めですか?」って私たちに聞いて下さるけど、本当に使うのは、子どもたちなんだから、それっておかしなことですよね。
 だから子どもたちに聞いて下さったことはとてもうれしいことでした。そんなときも、町に出ることで分かり合えることってたくさんあるんだって思いました。それからもちろん子どもたちも、自分たちで選んで、自分たちでお買い物ができるってとてもとても楽しいことなのです。
 それからお買い物に行きました。洋ちゃんはお話があまり得意ではありません。それから、計算もむつかしいです。それからお金をおさいふから出したり入れたりするのもあんまり得意ではないのです。だから、洋ちゃんにお買い物ってむつかしいかなって本当はみんな少し不安だったのです。でも、そんなことは少しも問題にはならないことでした。
洋ちゃんと、私と他の二人の女の先生と4人でくっついてプリクラをとったあと、ようちゃんはそれを入れる、キーホルダーを買おうということになりました。洋ちゃんはそれを買いに、ひとりで車椅子を進めました。(その日は歩行器ではなく、車椅子でした)それを遠くでそっと見ていたのですけど、その光景はとても素敵でした。
 ようちゃんは 品物をデパートのレジのところにおられる女の人に、「あー」と言って出しました。お店の人は洋ちゃんの品物を見られて「お買い求めですか?」とおっしゃいました。洋ちゃんは「はー(はい)」と手をあげて返事をしました。それでお金を洋ちゃんが出さないので、どうしようと見ていると、「代金は、そのお財布からとらせていただいていいでしょうか?」とお店の方が洋ちゃんが首からさげているお財布をみて言われました。洋ちゃんはまた「はー」って手を挙げました。「おつりをお入れしますね」「はー」そして商品を入れた袋を最初渡して下さったのですけど、洋ちゃんがそれでは車椅子がこぎにくいということを見られて、「車椅子の後ろにおかけしましょうか?」と言って下さいました。「はー」「ありがとうございました」
そして洋ちゃんはとてもうれしそうに私たちの方へ戻ってきてくれました。はじめてこんなにりっぱにお買い物ができたことがとてもうれしかったのだと思います。私たちも店員さんに感謝すると同時に、ようちゃんの持つ大きな力に感激したのでした。
 町に出て、強く感じたのは、たとえば、計算ができなくても、お話がむつかしくても、おさいふからお金を取り出すことがむつかしくても、だからといって、何もできないなんていうことはないんだということです。お店の人と、町も人とかかわりあいながら、歩いたり、お買い物をしたりすれば、人と人がかかわることで、子どもたちが{ひとりで}できることはいっぱいあるのだということです。
 何もかもできることが自立ではないのだと思います。誰だって助け合って生きているのです。子どもたちも、たくさんの方のあたたかい力を借りることで、いろいろなことが{ひとりで}できる・・それはもうひとつの自立なのだと思います。そしてそうすることで、またいろいろな人が街の中で楽しくくらしていけるようになるのだと思いました。






最終更新日  2006/06/11 10:19:19 PM
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2006/06/08
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雪の日
今日はちょっと大変でした。大雪でした。短い間にたくさんたくさんの雪がふったのです。窓の外はただひらひらひらひらたえまなく降る雪が見えるだけで、窓のななめすぐ近くにあるはずの柿の木も、屋根の向こうにあるはずの森も、雪のカーテンにさえぎられて少しもみえません。
 こんな日に峠を越えて、市街地までいったい無事にたどりつけるのかしら・・・不安な気持ちでいっぱいだけど、でも出掛けなければならない大切な用事がありました。
 どこまでも真っ白な世界は、いつもの景色をまったく別のところのように変えます。ここはいったいどこかしら。どこで曲がったらいいのかしら。そんなことにも自信がなくなるくらいです。間違えて道から外れてしまって、車が雪にはまって動けなくまりでもしたら大変です。迷わなくても、雪道の運転はとても気を使います。どんなときでも車を止めるときは、ブレーキを極力踏まないようにしないといけないのです。ギアを落としてスピードを落としていかないと、すぐに車は蛇行をはじめ、もう自分の意志ではどうにもならなくなって、川に落ちてしまったり、他の車にぶつけてしまったりということになりかねないからです。(毎年、二回くらいはそういう目にあいます。今年はなんとか、そんなふうにならないといいなあ、いいえ、絶対に気をつけて、そんなことにならないようにするぞと決意しているのです)
 やっと目的地について、運転でずっと緊張していたから、まるで息をするのを忘れていたみたいに、ふうと大きな大きなため息をついて、駐車場に車を止めました。雪はまだふりつづいていました。建物の中で二時間の用事をすませ、外に出てびっくりしました。あれからたった二時間しかたっていないのに、またなんてたくさんの雪がふったのでしょう。私はしょっちゅうころぶのですけど、こんな日はもっところびやすいからととても気をつけていたのです。だけどね、ころばなかったのです。でも、ちょっと大変でした。道の幅がいったいどこまでかということがこの大雪で全然わからなくて、きっとここまでは道だから大丈夫と思ったところはもう溝で、すぽっとはまってしまったのです。溝はずいぶん深くて、腰あたりまで、雪の下に流れている冷たい水に埋まってしまいました。
 なさけなくて、泣きたくて、でもうっとがまんして、やっとはい上がって道まであがって駐車場にきたら、たくさんの車の上にはこんもりふわふわの雪の山ができていて、どの車が誰の車かなんて少しもわかりはしないのです。自慢じゃないけど、(自慢にならないけど、)いつもどこに止めたかわすれてしまって、間違えてしまう私です。それでも、いつもは車の色でこれかな?あれかな?なんて見当をつけることはできるのです。でもこんなにたくさんの雪だらけの山の下のどの車が私の車かなんて、わかりっこないのです。(なんていばってる場合じゃないのです)コートやスカート、ブーツはもちろん、下にはいているものまですっかり水浸しで、体はがたがた震えがとまりません。右側だったか左側だったか、真ん中の列だったか思い出しそうなものなのに、いそいでいたこともあって、少しも思い出せないのです。今度こそ、本当になさけなくてなけてきました。
 でも泣いていてもしかたがないので、何十台も止まっている車の雪を少しだけよけて、一台、一台車の色を確かめることにしました。指でさっと車の雪をほるとその車は赤でした。がっかり、つぎの車は黒でした。その次の車は?あっ、白。私の車も白なのです。もう少し雪をはらってみたら、黒い線が出てきました。私の車はこんな黒い線は入ってないのです。隣の車、隣の車、そうして二〇台ちかくの車を調べていたころでしょうか。
「何してるの?」と男の人に声をかけられました。「車、どこに止めたかわすれちゃったんです」「えーーー。全然覚えてないの?」うなずくとその男の方はあきれた顔をなさらずにすぐに「で、どんな車?」って聞いてくださいました。「白のランサーです」「それで、車のナンバーはいくつ?」やだ、私、車のナンバー、いつも覚えようと思うのに、どうしても覚えられないのです。数学好きだったんだけどな、関係ないのか、数字は覚えられないみたいで、電話番号なんかもすぐに忘れちゃう・・
ううんって首をふると「えーーー。知らないの?忘れちゃったの?本当にここに止めたの?」って今度は少し呆れてたみたいだったな。だけど、ご自分の車から雪をよけるT字型のもの持ってきて、つぎつぎと雪をはらって下さったんです。それでまた近くに来て「なにか特徴は?」って聞いてくださったときに「震えてるじゃない、僕の車にのってればいいよ」って言ってくださったけど、「私、川に落ちてしまってずぶぬれだから、車のシート濡れてしまうし、それに探していただいていて、私車に座っていられない。ばちがあっっちゃう」って言ったら、その人すごく大きな声で笑って、また「えーーーー、川、ばっかじゃないの?」って言いました。「ばっかじゃないの」って言われて、少し傷つきそうになったけど、自分でも「ばっかじゃないの私」って思ってたので、しょうがないなと思いました。
 それでね、探してくださったのはその方だけではなかったんです。ふたりで探していたら、次にこられた人も「どうしたんですか」って聞いてくださって、それからまた次の人も「どうしたんですか」って聞いてくださって。「川までおちたんだったら災難でしたね」って何人も何人もで探してくださったのです。私、本当に恥ずかしくて、人騒がせで、なさけないって思ったけど、みんな「気にしなくていいよ」「お互い様」って言って下さってどうもありがとう。雪がまだいっぱい降ってて、とても寒かったのに、てぶくろしてない人もいたのに、本当にごめんなさい。一人の人が「あ、これランサーのライトだよ」ってついに私の車を掘りあててくださってのです。それでね、「ちゃんと無事にうちに帰れよーー」って。「どうしてお礼をしたらいいかわからない」って思って、「あのどうしてお礼をしたらいいでしょう」って言っても、みんな笑ってお互い様お互い様って言ってくれました。私いつも助けていただくばかりでちっともお互いさまじゃないんだけど、でも、きっとお互い様になれるように、できることはなんでもしようって思います。
 それで、みんなの車はまだ雪だらけなのに、私の車の雪をみんなではらって、道に出るまでみててあげるって、私の車を手を降って見送って下さったのでした。みんなみんな大好き。みんなみんなありがとう。本当にごめんなさい。私、迷惑かけないように、ちゃんとする(できるだけ・・・だっていつもちゃんとしたいって思ってはいるのです。でも自信があんまりない)でもちゃんとする。








最終更新日  2006/06/08 09:38:09 AM
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2006/06/07
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kiityan2

下の記事の続きです。
・・・・・・・・・・・・・・
その学校はその当時まだ新しくて、とてもきれいな学校でした。職員朝礼で「お客さんがきれいな学校ですねと誉めてくれました。このきれいさをずっと保つために、壁にはきめられたところ以外、押しピンは押さない、セロテープも貼らないということなどを守ってください」とそんなお話が教頭先生からあったその日のことでした。
 その日は図工で油粘土遊びをしました。大きな恐竜や蛇をつくる男の子、こまかなぶどうやクッキーを楽しそうにつくる女の子、油粘土は乾いてひびが入るわけでもないし、とても使いやすくて、みんな大喜びでした。
 いつもはお昼休みもみんなと一緒に遊んでいるのに、(子供たちとおんなじで、私も休み時間が大好きなのです)その日に限って職員室に用事があって、みんなと一緒に入られず、雨が降ってるから教室か体育館で遊んでいるかなあって思っていたのです。
 そしたら、いつも元気な健太くんが職員室へ私を呼びにきてくれました。「今、すっごくおもしろいことみんなでやってるんだ。先生もやろう。僕なんかもう一〇個も成功したんだよ。はやくはやく」ってとってもうれしそうな顔でした。ちょうど仕事も一段落ついていたので、私もうれしくなって「どこ?」って健太くんの後をついていったのです。
 そこには私にとってとてもショックな出来事が待っていたのです。職員室は一階で、教室は二階にありました。階段の途中の踊り場のところに、子供たちはいました。下にはたくさん油粘土の固まりがころがっています。ところどころ踏まれて床にしみができていて(あらーー)って思ったけど、それから何気なく踊り場の高い天井を見て驚きました。そこにはもっとたくさんの粘土の玉が投げ付けられて天井にくっついたり、それが落ちて油染みになったりしていたのです。それは目を覆いたくなるくらい汚い感じの汚れようでした。「先生もやってごらん。粘土あげるから。力を入れてえいって投げてごらん」子供たちはおそらく私が来たことでもっと活気づいてわいわい粘土投げをしていたのだけど、私がもうあの天井どうしたらいいんだろうっていう困った顔で立っているのを見て、なんだか変だぞって思ったようでした。
 「先生、どうしたの」そうきかれて、私はなんて答えたらよかったのでしょうか。「あのね、学校の壁とか汚さないようにしましょうって先生の朝のお集まりのときにお話があった」やっとのことでそう言うと、子供たちはしーーんと静まりかえってしまいました。「ねえ、天井も汚しちゃいけないって言った?天井は廊下や教室じゃないからいいよね」恵子ちゃんが聞きました。「言ってないけど、たぶんだめだと思う」どうしようばかり思ってまた少し泣きそうにため息をつくと「すぐばれないように掃除をしよう」って健太くんがほうきを持ってきてくれたけど、踊り場の天井って本当にすごく高いのです。とてもととかなくて、机を運んで、椅子にのって、それから長いT字型のほうきをもってきて、やっとやっととといたのです。でもね、油粘土はなんとか下に落ちても、天井にはたくさんの丸い油染みがまるで全体の模様のように残ってしまいました。「先生、叱られる?」「大丈夫、みんなは叱られないと思うな私、ちゃんとあやまってくるから心配しないでね」ってそう言った私に「でも、先生は一回も投げてないよ。僕たちいっぱい投げたけど……」「そうだよ。先生は悪くないよ。あやまらなくていいよ」ってみんなは私の心配ばかりしてくれました。私も子供たちをこれ以上つらい気持ちにさせたくないなって思ったので、「さ、お帰りの準備しててね、もう少しここかたづけて教室にいくね」そして、床を拭きながら、私は子供たちが大好きだし、子供たちと一緒にいたいけど、やっぱり私みたいなおっちょこちょいで泣き虫は先生になんてなれないんじゃないかな、今日みたいに子供たちに心配かけたり、悲しい気持ちにさせてしまうし、それに昨日だって……ってすごく落ち込みながらいろいろ考えました。
 そうなのです。その前の日にもたいへんなことがあったのです。その日はアブラナの観察で、子供たちが初めてピンセットを使ったのです。ピンセットは先が尖ってるからとても気を使います。「お約束よ。ピンセットの先をお友達の方へ向けないでね。目にでもささると大変でしょう?」と考えただけでも恐くなるような注意事項をして、それからアブラナの花びらを一枚ずつはずしていたのです。そのとき、「ギャアーー」というすさまじい悲鳴がしました。いったい何事が起こったのだろうといそいで子供たちを見渡すと、頭を抱えるようにして、座り込んでいる子がいます。広ちゃんです。そばにいって、体を見るけれど、どこも血がでているわけでもないし、でも広ちゃんはワアワア泣いています。「どうしたの?」とたずねると「ピンセットが……」っていうのです。ただ抱き締めて、頭をなぜて、落ち着くのを待ってもう一度尋ねたら、ようやくかえってきた答えはなんと「ピンセットのふたつの先コンセントの穴にひとつずつ突っ込んだら、ビリビリになった」でした。なんてことでしょう。感電したのです。「どうして、そんなことしちゃったの?」というわたしの問いに「だってちょうどふたつ穴があいていたから」と広ちゃんは答えました。きっとなんにも考えず、穴がふたつあって、ピンセットの先っぽがふたつあったからなにげなく入れちゃったのですね。広ちゃんにたいしたことがなくてよかった。それで、昨日広ちゃんのおうちへ「本当にすみませんでした」って電話をしたところだったのです。帰りの会のとき、洋二くんが「先生、コンセントに突っ込んだらいけませんっていうのも注意しとけばよかったね」って言ってたけど、本当だ、そこまで全然考えられなかったけど、考えられてお約束に入れられたら、広ちゃんもそんな失敗なかったのにね。
 とにかくそういう事件が起きたところだったのです。私みたいな大事なところがおろそかになってしまったり、なぜかいろんなことがしょっちゅう起きちゃう人は教員にはなれないのかもしれない。教員というものは子供の命をある意味で預かっているのだから…… 大きなため息をひとつついて教室に入ると、子供たちはみんな待っていてくれて、「先生、元気だせぇ」とか「「だいじょうぶだいじょうぶ、ぼくたちがついてるって」とか言ってくれました。
 子供たちとさよならしたあと、重い足をひきづりながら校長室へ行きました。こんなときどこへ行ったらいいのか、私にはわかっていませんでした。きっと校長先生のとこかな?ってそのときに私は思ったのです。
 校長室の扉をノックして入っていったら、校長先生は「待っていたよ」っておっしゃいました。どうして待っていたよなんておっしゃるのでしょう。もう天井のことが知れていたのでしょうか、それとも感電事件のことでしょうか、そうじゃなかったらいつも散歩ばかし行ってるのが散歩に行きすぎということで叱られちゃうのでしょうか、それじゃなかったら、教室がしじゅう元気がよすぎてうるさすぎるのでしょうか。思い当ることはたくさんありました。
 校長先生はいつもと少しも変わらない穏やかな声で「まあ、かけなさい」とおっしゃいました。そしてね、「今日は君のおかげで、すごくうれしい気持ちなんだよ」っておっしゃるのです。私は叱られることはいっぱいあっても誉められることなんてただのひとつもないはずなのです。だからすごく不安でビクビクしていたらのです。
 校長先生は愉快でたまらないというふうに話しだされました。「さっき、君のクラスの生徒たち、一年生が全員ここへ来たよ。いろいろ口々に言うんだ、『せんせいを叱らないでね』『一回もせんせいはしてないんだよ』とかね。『だって、すっごくおもしろかったから』とか、なんのことだかさっぱりわからなかったんだ。『最初きみたちは何をしたの?』『先生はなんて言ったの?』という一問一答形式でようやくわかったんだ。みんなで粘土で天井をぐちゃぐちゃにしてしまったけれど、でも先生のせいじゃないし、ぼくたちがやったんだから叱るならぼくたちを叱ってほしい、どうやらそういうことらしい。健太くんっているだろう?あの子がね、『校長先生がせんせいを叱ったら、僕らは校長先生のことただじゃおかないぞ。一発おみまいしてやるから』って言うんだ。それからそうそう麻友ちゃんっていったかな、ひとり泣いてる子がいるからどうしたって聞いたら、小さな声で『せんせいは、泣き虫だから叱っちゃだめ。また泣いちゃうよ』ってこれまた泣きながら言うんだ。いいねえ、校長室にあんなに一度に子供たちが話にきたのは初めてだよ。うれしいよね。みんな本当に一所懸命でね。ね、君、絶対に頑張って本当の先生になりなさい。キャリアのある教師は技術だっていろいろ持ってる。けれどね、若い先生の熱心な心や、子供が好きだという気持ちはね。それとは全然別の物なんだよ。わかるかい?君は大丈夫だよ。君は子供たちにすばらしいプレゼントをもらったし、また君も子供たちにすばらしいプレゼントをしたじゃないか」
 私が掃除をしている間に、いつか麻友ちゃんを玄関にまで迎えにいってはげましていたときのように、子供たちは私のためにまたみんなで校長室に「叱らないで」と話にいってくれたんだ、そして校長先生はそのことをこんなに喜んでくださってる、私は泣き虫で駄目先生だけど、校長先生はそれでもだいじょうぶだよって言ってくださってるんだとただうれしく、やっぱり泣いてしまった私でした。
 「ところで、あの天井の汚れ具合はすごいね。子供たちが言ってるほどじゃないだろうと思ったんだけど」とそれから校長先生はおっしゃいました。

 校長先生は道端孫三ェ門というりっぱな名前の先生でした。その方はずうっとあとでわかったのですけど、金沢の歴史や物語にくわしいことや、子供たちの教育に関してもとてもすばらしい考えをおもちで、本をいくつも出しておられる、金沢で有名な先生だったのです。本はそれまで読んでいなかったけれど、校長先生があのとき、あんなふうに言ってくださったから私は教員に絶対になりたいと思えたのかもしれないし、私にとって、有名な方だあろうとそうでなかろうと、なくてはならない方だったのだと今しみじみ思います。








最終更新日  2006/06/07 08:36:46 AM
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kiityan2
油粘土事件
保育園や小学校の低学年のときによく使って遊んだ油粘土を見ると、心がちょっぴりうずきます。油粘土に特別な思い出があるのです。その思い出では今となっては、嫌なものではなくて、むしろ心が温かくなるようなそんな思い出なのです。
 私は正式に教員として採用していただく前に一年講師の教員として、小学校や高校で勤務させていただいたことがあります。
 最初は一学年に三クラスも四クラスもあるようなマンモス校、そのあとはへき地校(いただいたお給料の説明でへき地手当てが含まれるということで、へき地校なんだって思ったのですが、金沢市からそれほど離れたところにはありません)で一、二学年の統合クラス、それから母校である高校へも行きました。そのどこでもたくさんの思い出があるのですが、油粘土事件は、最初のマンモス校でおきました。
 この間まで大学生だった私は、すごくドキドキして教室に入っていったのですが、クラスには可愛い一年生がたくさん私を待っていてくれました。一年生になったばかりで担任の先生が病気で入院ということで、お家の方はどれほど心配に思っておられただろうと思うのですが、子供たちは不安そうな様子は少しも見せずにすぐに私のまわりに集まってきてくれて「先生、恐い人?たたく?」「先生、何才や」「せんせい、せんせい私ね、猫飼っとるんやよ」と仲良しになることができたのでした。
 私は毎日、可愛くてそれから生き生きしてて、きらきらしてる一年生といてすごく楽しかったけれど、でも新米教師の私には「どうしたらいいんだろう」ということがしょちゅうおきました。
 ある日、朝教室へ行くと、だあれもいないのです。たった一人だっていないのです。びっくりして学校中を探してもいないから、途方にくれて外へ飛び出したら、玄関の脇のところにみんな一固まりになってるのです。輪の中をのぞきこんだらね、麻友ちゃんって女の子が泣いてるの。そばで恵子ちゃんが「麻友ちゃん国語の本忘れたから学校入らないんだって」って。それから「僕だって、昨日も今日もずうっと持ってきてないから、だいじょうぶだよって教えてあげてたんだよ」「見せてあげるって言ってたの」ってみんな口々に私に言いました。
 みんながみつかってほっとして、それからクラス一人ひとりのことをこんなに心配して今ここにいるんだっていうことがすごくうれしくてじんわり涙がこみあげてきました。「私も今日、筆箱忘れたんだよ。だから、前に座ってるお友達に借りるんだ」って私が麻友ちゃんにお話したら、麻友ちゃんはびっくりしたみたいに私を見て、「先生も忘れ物?ええっ、おんなじ?」ってうれしそうに顔をあげてにっこり笑いました。その日、英くんという男の子の日記に「ぼくのせんせいはわすれんぼでなきむしです。でもみんなはおこりませんでした」って書いてありました。
 給食にね。プッチンプリンが出たのです。健太くんが「僕、プッチンってしよう」って立ち上がって、コマーシャルみたいに高いところからお皿めがけてプッチンってしたら、大成功でお皿の上にプッチンときれいにのったのです。「着地成功」って健太くんはすごくうれしそうでした。私も思わず「すっごおい」って拍手しちゃったからかもしれないのですけど、「僕もする」って二番目に立ってプッチンした勇くんがね、やっぱり立ち上がってお皿の上にプッチンってしたら、あーーあ、床にプリンがくちゃくちゃになっちゃっておっこちてしまったのです。「うわああーーん、僕のプリン」って大きな声で泣きだしちゃったので、(私があんなに拍手したせいかなって思ったて)あわてて「私のプリン食べてね」ってプリンあげたのです。でも、「そしたら先生のプリンなくなっちゃうじゃない」ってみんなが心配してくれたのです。それでも「いいのよ」って言ったら「せんせいプリン嫌いなの?」ってとても心配そうに聞いてくれました。「好きだけど今日はいいんだ」って言ったらね、「我慢してるんだ、先生かわいそうだよ。勇くんが失敗したから、勇くんが我慢したほうがいい」と今度は他の女の子が言いました。だけど勇くんは半べそで「ぼくプリン食べたいもん」って……そうだよね。そしたらさっきの女の子がね「じゃあ、私の一口、先生にあげるよ」って私のお皿の上にプリンをスプーンで一匙すくってのせてくれました。そしたら、みんなやさしいよね、私も僕もって、それからプリン落とした勇くんまで、僕もってプリンのせてくれて、私のお皿の上はちょっと見た目は悪くてぐちゃぐちゃだけど、でもやさしさがいっぱいつまったプリンの山ができたのでした。ところがね、また麻友ちゃんがあーんって泣いているのです。今度はどうしたんだろうって思ったら、「私も一口あげたかったのに、全部食べちゃったあ。あげられない」って……
 そんなやさしい子供たちのクラスでした。

 






最終更新日  2006/06/07 08:35:24 AM
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