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2019.10.04
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カテゴリ:経済学
オはオタクのオ 第0060回 神隠し

 小泉政権の頃、”構想改革”というか”規制緩和で従来の制度をぶっこわす”と称し竹中平蔵の提示した制度改正が行われ、正規雇用が激減(=非正規雇用が激増)して昭和の終盤に実現していた”一億総中流”から”格差社会”への移行が始まり、高度経済成長期の福産物でもあった”終身雇用”や”年功序列型の給料体系”などもなし崩しに崩壊してきたことは、少し年配の方々には説明不要かなと。

 ある意味で、小泉構造改革の代名詞的な存在でもあった”郵政改革”は、郵便事業の赤字を郵便貯金と簡易保険などの金融部門の黒字で補填してトータルで郵政事業を黒字にしていた制度を”民営化”したものですが、当時から”民営化することでサービスが低下し利用料金は上昇する”と予測し反対する人が多かったにもかかわらず”郵政の黒字が財政投融資に流用され、公共事業の拡大に繋がっているのがけしからん”とかいった理屈で民営化が強行されたのでした。

 その結果、事前に予測されていたように、かなり田舎で民間の銀行の支店の類が存在しないような町村にも存在していた”郵便局”は、民間企業だと当然の”経費削減”の対象となり、統廃合の美名のもとに姿を消したり特定の(収益性の低い)サービスを停止していったこともまた御存知の通り。

 また、やはり事前に懸念されていた、民営化に伴い”現場職員が公務員でなくなること(のデメリット)”が国営事業であった頃から赤字であった郵便事業では民営化直後から火を噴き、わかりやすいところでは地方在住の独居の高齢者などが自分の(年金などを)郵便貯金から引き出す”ことが困難になったのでした。

 つまり、それまでは国の事業であり現場の職員も公務員が多かったことで、郵便を配達しにきたり、簡易保険などの勧誘で巡回している途中の職員に記入済みの払い出し用紙などを預けて”次回の訪問時に・・・”と頼む行為が一般化していたのですが、郵便事業の場合、現場の職員の多くは地元採用で(終身雇用の)公務員という信頼が背景にはあったのではないかと。

 逆に言えば、その頃からの”郵便局の職員は(地元採用の公務員だから)詐欺や横領などの違法行為をしない”という百年以上の経験則に基づく信頼関係が無形の財産として郵便局というか郵政事業には存在していたと言えます ・・・ 今となっては”過去形”ですが。

 当然、民営化すれば単体の事業としては赤字とサービスの低下が予見されていた郵便事業を民営化するにあたって、ニュージーランドなど国営事業から民間事業へ郵便事業を移行させた国への現地査察なども(国費で)行われ、やはり利用料金の上昇とサービスの低下といった問題点が指摘されたのですが、小泉首相の”郵政民営化イエスかノーか”というワンイッシュー(一つの標語)選挙凶行とその選挙で勝利したことで”国民の信託を得た”として郵政民営化は凶行されたのでした ・・・

 ・・・ が、もちろんこれには裏があり、本丸は300兆円をこえるといわれていた、郵便貯金と郵便保険の2つの黒字の事業を国営から民営にすることで、国営事業ではほぼ不可能だった”外資企業の巻よと参入”を可能にすることこそ”小泉郵政改革”の本当の狙いだったと、私は、未だに考えています。

 そもそも郵便貯金などの金融系事業は軍事費の原資を調達するために当時の政府が導入した事業で、一般国民を対象に(新たな課税ではなく)貯金をしてくれれば利子を付けるとすることで広く浅く原資を集めたということで、その名残が”貯金の上限2000万円”とかいった天井の制限などに残っているといえば残っているかなと。

 つまり、一人から10億円を預かるというか徴収するよりも、一億人から10円を預かるというか徴収することを念頭に置いた政策ということで、金利という飴を用意することで問答無用の増税よりハードルが低くなると同時に、一種の宝くじ購入効果のような幻想を抱かせていたとも言えます ・・・ 戦争に勝ち続けて経済が破綻せず国が亡くならなければ、という前提はリスクとして大声で語られていませんでしたから(黒い笑)。

 それはそれとして、郵政民営化の最大の受益者は亜米利加合衆国というか亜米利加の金融系企業で、ゴールドマンサックスなどが当時は有名でしたが、実は郵政民営化の検討段階から関与していたというのは公然の秘密というか、”あまり大声では公表されていなかったこと”で、小泉首相が”郵政民営化イエスかノーか”と主張して選挙に臨んでいた頃、既に郵政選挙で小泉首相が勝利する前提で民営化後のコンサルト契約の締結が終わっていたというのは実話です。

 郵政事業の三ケタの兆円に達する黒字資金の運用ということで、国の事業だった頃は郵政事業の黒字(=郵便貯金や保険)の運用先は政府の公共工事などで、郵貯の黒字で国内インフラを充実させていくというのが基本だったわけですから、そこに”黒字資金を運用して稼ぐ”という考えは希薄で、ある意味で政府が余裕のある国民から低利で(=低い金利で)金を借りて郵便事業や金利などのサービスでも返すという制度だったとも言えます。

 が、それを民営化してしまえば、民間事業で存続する限り、決算で黒字は当たり前で赤字の不採算部門は多少のテコ入れを行っても収益性が改善しないようなら切り捨てて廃止するのが当たり前となり、黒字の部門でさえ、さらなる効率の上昇で黒字幅の拡大が要求されるようになるのも当たり前といえば当たり前の前提なわけで、そこに下支えとしての”ノルマ”が現場担当者に次第に強化されていく傾向があることは比較的知られた話ではないかと。

 もっとも、黒字の郵貯や保険の運用先として、投資の指南役的な立場から介入してきた亜米利加の金融系企業がやらかしたことは、ざっくりといえばそれまで日本人が国の事業だからという安心感からため込んできた金融資産の海外への巨額流出で、これまたざっくりと言えば亜米利加への黒字資産の半永久的な流出で、その対価として日本人が受け取ったのは超低金利と破綻リスクと郵便事業のサービスの低下と保険詐欺だった(今この辺)と言えます。

 思わず笑ったのが、郵便事業の黒字資産を海外で運用する際の顧問料というかなんというか微妙な報酬の取り決めで、亜米利加系金融企業は、その投資結果が黒字だろうが赤字だろうが年間に〇百億円単位の報酬を受け取ることは確定で、投資結果が黒字の場合は追加報酬を受け取り(ここまでは分からないでもない)、赤字の場合は赤字額を補填する義務を負わないという、幕末の日米通商条約もかくやという気がしてくるかなり不平等な契約内容だったこと ・・・ これを書いている時点でその辺りの契約がどのように変わったのかは知りませんが。

 いずれにしても、郵政民営化以前は公共投資の原資として当てにされていた郵政事業の黒字は民営化に伴って基本的に民間企業の資産となり、日本政府が気軽に介入できなくなると同時に亜米利加系民間企業などは気軽に介入できるようになり、資産の運用先というか投資先は国内から次第に海外へとシフトしていったということですが、結果的に国内の社会インフラの新設や更新のための原資の泉の一つが枯れてしまった弊害は、老朽化した橋、上下水道などの再整備の遅滞や放棄などにみられるようになってきたなあと。

 実際、消費税増税で30%越えを主張する人達を前にするとき、”ならば、大幅黒字だった郵便貯金と郵便保険をなぜ民営化したのか?”と私は思いますし、そこまで言うのなら、第二郵便貯金や第二郵便保険を社会の低所得者のためのセーフティネットとしても、再度、国営事業として電子マネーの普及を前提に再開すべきだと思います。

 郵便事業に関しては、国際競争を前提に、ペーパーレス化や電子政府を国が国策として推進している関連で、手紙とハガキの制度は廃止し、ユーパックや小包などは民間の宅配会社に完全移行させて問題ないと考えていますが、そもそも、既に郵便局で切手を買ってはがきや封筒に貼ってポストに投函するといった作業を一般人はほとんどしなくなってきているのではないかと。

 それこそ、個人の携帯端末から対応可能な時代になって久しいとは思いますが、駅やコンビニなどに公衆電話の感覚でマルチ端末を設置してそこから従来はハガキなどで送付していた内容を配信すれば、直接、相手の携帯端末に送信されたり、現在の電報システムのように一定の様式で(配信先に近い地域で)印刷された”形のあるモノ”が印刷されて届けられる既存のインフラや技術だけでも対応可能な新制度として再編されると同時に、資源の浪費も減少するのではないかと。

 郵政民営化はかなりの悪手というか、国のサービスインフラの破壊行為だという話は”怪しい話”の頃から何度となくしてきたのですが、その大嘘と破綻が発覚して本格的に責任が追及される前に小泉首相がさっさと(死ぬ直前まで政治家稼業にしがみつく人が多い中で、どう見ても余力を残して)引退して逃げたのは御存知の通りですし、その後の、郵便事業と郵便貯金のサービス低下と、郵便保険の不正騒動などに伴う”百年以上かけて形成された信頼与信用”という資産を郵政事業関係者が20年ほどで崩壊させた(今、この辺)、日本人は社会のセーフティネットの一つを失ってしまったなあと。

 笑ったのが、父親の地盤と看板を引きついた小泉・息子(小泉進次郎)の業績で、農林水産に首を突っ込んで”(海外へ)打って出る農業”を推進すると称し、そのためには農協の改革が必要だと称し、父親が郵政選挙イエスかノーかとやらかしたのと同じように農協制度イエスかノーかとやらかし、やはり巨額の黒字資産を有していた農協の金融系に手を突っ込んで外資系企業の参入をアシストしまくったことあたりで、”親子二代で小泉家は日本と言う国をガタガタにした”と、私は、考えています。

 というか、そもそも日本の農業の経済規模というか黒字額というのは全体でトヨタやホンダなどの自動車産業全体の利益に負けている、ある意味で産業としてみると零細産業なわけで、日清戦争の頃のようにGDPの7割以上を一次産業である農林水産業が稼ぎ出していた時代とは大幅に様変わりしているわけですから、選挙の票ではなく、純粋に経済問題として考えれば、農業の中で関わっていない農家もある稲作(というか米)を優遇し、米を保護するために関税をかけ自動車の輸出関連交渉で妥協するというのは時代錯誤の政治選択になってきているということ。

 それこそ、海外へ打って出る農業というのなら、米の関税撤廃と輸出入の自由化を国策として政府は推進すべきで、既に1970年代から、果樹、野菜、畜産関連の農家は海外市場と競争し高収益を上げられる優秀な農家だけ残りなさいと事実上(段階的かつ急速に)放置されてきましたから、稲作だけは外国との交渉で保護する政策を残しましたと言われても、果樹農家や畜産農家などの子弟からすれば”それで?”とか”だから??”という状況になっている現実があるかなと。

 わかりやすい処では、温州ミカンの生産栽培農家が1980年代の約1/4に激減している現実があるということで、約3/4の農家は引退(事実上の廃業)、他の作物へ移行、規模の縮小を選択したということですが、2015年頃からやたらと”瀬戸内レモン”を利用した新商品が登場するようになったのは御存知の通りですが、それが定着するかどうかはまた別の話になるわけです ・・・ というか、瀬戸内のレモン栽培は1970年代の亜米利加のサンキストに象徴される海外からのレモン輸入によって一度潰滅した過去があり、残留農薬というか輸入時の農薬処理の関連で、残留農薬の心配が少なく、皮ごとかじっても(ほぼ)問題の無い”青切りレモン”などの高額というよりニッチ市場で国産レモン栽培は細々と生き延びてきた感がありました。

 ざっくりと、高度経済成長期に農山村の次男、三男以降の労働力が、都市部の拡充する工業、商業などの産業に吸収再編されていき、1980年代の海外(というか日米)経済摩擦の貿易戦争の余波で田舎の農山村の長男まで離農して都市部の産業に組み込まれる事態となり、1990年代のバブル崩壊以降は都市部の経済停滞と格差社会への移行が本格化したことで、農業問題は農林水産省から厚生労働省の問題と言うか年金を受け取りながら可能な限り農業生産に関与する農家が主流の時代へと様変わりしたとまとめられるか?なと。

 逆に言えば、特に交通不便地において、年金を受給する年齢でもない比較的若い世代の多くが農業だけでは生活できなくなったということで、特に子供の教育を考えると、人口の減少は地元の徒歩で通える高校の廃校、中学の廃校、小学校の廃校に直結するため、下宿を含む金銭的な負担を考えても、田舎で農業(と地元の小規模商圏での商業)に従事することで得る所得が相対的なものを含めて減少すれば、離農して都市部に移住し就職する選択をせざるおえない農家の長男が1970年代後半~1980年代中旬頃から増加し、都市部で就職して定年退職後に子育ても終わって年金を受給しながら就農するUターン組が新規就農者の事実上の主力になっていったと書いていいかなと。

 実際、農業従事者の平均年齢は上昇が続き、従事者の平均年齢が65歳を越えている地域が珍しくなくなって久しいのですが、高齢化に伴って問題になるのは”高齢者医療”の問題で、人口の減少を主因に、総合病院から医院へ、医院から診療所へ、診療所から巡回医療へと、いわゆる医療過疎も進行したことで、定年後に実家に帰って就農するのではなく、近くの交通の便の良い都市部までJターンして、実家の農地まで通勤する形で就農し、居住地の近くの都市部の病院へ通院や入院する選択をする人たちもリアルな話になっていったのでした。

 というか、全国的な人口の急減は地方においても中核都市(市町村)への人口の集中を財政面で不可避の選択とし、地方でも人口の少ない地域に従来の公的な社会サービス(水道、電気など)や福祉サービスを維持することが事実上不可能になってきているということで、それは既に東京近郊でも交通不便地ほどリアルな問題になってきているのですが、一度、固定資産税が支払われていない農地や宅地を含む遊休地などを市町村ないし国が国庫に納め、希望する個人や公共団体に貸し出すなり手数料程度で再配布するくらいの大鉈を振るう時期にきているのではないかとも思います。

 1980年代の後半の岡山県の主張所時代、特に山間部を現地調査で回っていたときに、5~10軒程度の集落が廃棄されている地域や、それこそ、ぽつんと一軒家で隣の家まで数キロながらもかなり立派な家が放置というか放棄され玄関に連絡先というか移住先が張り付けてあるような物件に何度が遭遇したことがあったのですが、集落はある程度までは人口が減少しても生活が維持できるのですが、残り数軒といった規模になると日常生活の維持が困難になり、文字通り、陸の孤島と化すためか最後まで残った数軒で話し合って集団で都市部へと移住する選択をしたそうです。

 その関連で1980年代に、山間地の集落の廃棄(集団移住)に伴う墓じまいなどにも遭遇したことがあったのですが、当時はまだ若かったこともあって、目の前で行われていることに今一つ現実感が無かったのですが、”これは何か大変なことが起こっている”ということだけは分かったというか、私の田舎の実家界隈もまた早晩、これと似たような選択をする可能性が高いことも理解できたのですが、残念ながらその危機感を親の大正世代と共有することは最期までできませんでした(遠い目)。

 地方に移住して現地に居住する場合、どこに住んでいても稼げる稼業に従事していないと、農業や林業、漁業などに新規就業して都市部の非正規雇用レベルでさえ稼ぐことはかなりハードルが高く、田舎の高給取りは役場の職員だけというのは冗談でも揶揄でも無くなって久しいのですが、当然ながら公務員には定員面で上限がありますから、地元で生まれ育った若い子を採用していないのに、なんで血縁も地縁も無い外の都市部で生まれ育った連中を採用するのか?といった反対論が根強いことは言うまでもありますまい。

 そういえば、バブルの頃に、都市部で増えていた、子供がいなくて、それなりの額の年金が出ている高齢者を受け入れて、一軒家か低層の集合住宅を提供し葬儀と埋葬まで引き受ける代わりに没後は供託金と残った財産を寄贈してもらうというビジネスを地元に提案したことがあったのですが、なぜか”比較的裕福で血縁者のいない(=相続で揉めにくい)高齢者”であっても高齢者を外部から受け入れることそのものを拒否する人が圧倒的に多くて話だけで終わったのですが、今となってみれば、地元に残っている人たちの平均年齢が当時想定していた高齢者の年齢を越えているだけに”なんだかな~”と思わないでもありません。

 まあ、バブルの頃に、都市部で高給の働き口が急に増えたこともあって、その頃が経済的に無理なく都市部に田舎から移住できた最後の時代となったのですが、それ以降は一種のチキンゲームの状態に陥った地域も珍しくなくなり、移住するだけの伝手も財力もないが故に現状維持するしかない人たちと、既に子供世代以降が都市部に移住して生活拠点を形成していて移住が可能な人たちに大別され、残っていた老夫婦のどちらかが死亡ないし介護が必要になったあたりで家屋を残して移住する人が増加(今、この辺)した感があります。

 というか、完全に移住する以前に、子供世代などが都市部に移住して生活拠点を造り、定年後にも古郷には帰らないという一族としての生存戦略を選択する人は1970~1980年代には定番化していて、バブル崩壊後の”失われた10年、失われた20年、失われた30年”という政府の経済政策の明らかな失敗で移住が遅滞するようになったものの、2010年代に入って団塊の世代がほぼ定年を迎えたことで、嫌でも”終の棲家をどうするか?高齢者医療の破綻をどうするか?”といった観点でも地滑り的な地殻変動が生じつつあるかな~と。

 1990年代頃から、台風や大雪被害の報道で被害者や犠牲者の年齢を見ていて、それまで50歳以下が多かったのが、急速に60~70代が珍しくなくなり、2010年頃から80代以上が散見されるようになった感があるのですが、田舎から都市部へ若い世代が移住し、地方に残った人の(生まれる子供が減少しますから)高齢化と人口減が進み、田舎の社会インフラが衰退していることで定年後にUターンする人が減少してJターンないし都市部で住み替える選択をする人が増加(今この辺)してきたのが1970~2020年頃の日本の人口移動の一つの形かなと。

 また、高度経済成長期に田舎から都市部へ移住した世代も、孫やひ孫が社会人という時代になると、かっての田舎とは血縁も地縁も希薄になった人が多く、定年後に海外移住や海外居住を選択する人も珍しくなくなっているのは御存知の通りで、かって田舎から都市部へ国内移住を選択したように、行き詰りつつある日本から海外移住を選択する人が増加するのは、主に経済面で合理性のある選択という時代になっている ・・・ のかもしれませんが、そう断言すると(中略)わからないので止めておきます(笑)。

 いずれにしても、日本の大半の地方で生じていることは過疎化と高齢化で、それは大都市部でも地域によっては他人事では無くなってきているのですが、数十年ぶりに古郷に立ち寄って”自分が出ていった頃と比べても人がほんとうに減って、子供というより自分の後輩世代もほとんど残っておらず、夜が早い時間帯から暗くなってるな~”と感じる人は圧倒的な多数派ではないかと思われるのですが、それは地元の野外生活というか野外活動の知識と実践に詳しい人が減少していることとほぼイコールだったりもします。

 実際、田舎の海辺の町などに帰省したり旅行して、地元で遊泳禁止の場所で遊んだり泳いでいる内におぼれてしまい、それを助けるために飛び込んだ人もまた二重遭難というかおぼれて死亡する事故というかなんというかが年中行事のように発生したり、地元民がそもそもそんな場所では頼まれてもやらない川の中州にテントを張って十数人単位でバーベキュウとしゃれこんで、地元民の警告を無視した末に、増水で流されて大半が死亡するような事件が10年に一度くらい発生しているあたりで、自己責任がどうこうというよりも、野外活動の基本的な知識も経験も不足している人が圧倒的な多数派になっているなあと。

 それこそ、大半の人が、おぎゃ~と生まれてから死ぬまでの間、生まれ育った集落からほとんど外に出なかった時代でさえ、集落への出入り口界隈の慣れ親しんだ場所で遭難したり、水死や凍死する騒動が生じたり、いわゆる”神隠し”現象ということで不意に姿を消して消息不明になってしまう騒動もまた世界的に定番の話だったりします。

 日本で神隠し現象の多発地帯といえば、日本海側の滋賀~石川~新潟あたりが有名で、人の顔が曖昧に見え始める黄昏時(夕方の日没直前の頃)には子供を早く家に入れておかないと行方不明になりやすいとされていたのですが、その背景には子供を誘拐し奴隷として国外を含めて販売する奴隷商人の存在があったという説もあります。

 その辺り、豊臣秀吉や徳川家康が海禁(いわゆる鎖国)に転じた理由に、海外貿易の独占だけでなく外国人の奴隷商による拉致誘拐の阻止があったという説があり、織田信長の頃からキリスト教の宣教師の副業的な海外への奴隷(というか人身)販売が問題になっていたという説もありますが、戦国時代のように人の命が安く軽くなりがちな時代よりも戦乱が終結して社会が安定すればするほど、拉致や誘拐を前提に海外へ日本人を奴隷として売り飛ばす勢力が問題視され規制が強化されていく傾向があることは言うまでもありますまい。

 もっとも、かっての日本社会党が、北朝鮮が特殊工作員部隊を不法に送り込んで計画的かつ継続的に拉致・誘拐を繰り返して被害者が増加し、日本国としての対応が求められ始めていた時に、徹頭徹尾、北朝鮮を擁護し”そのような事実はない”とするだけでなく警察などの捜査にも横槍を入れて妨害していたことは比較的知られた話で、後に党首となる土井たか子が国会という公の場でどのような答弁を繰り返していたかを知っている世代としては、戦国時代~江戸時代初期の日本海側における海外と国内の一部勢力が結託した拉致誘拐はもっとひどい状況だったのではないかと思うのでした。

 地球儀や世界地図を見たことも無く、海外どころか国内の地理的な知識が一般庶民には皆無だった時代だと、拉致誘拐された小さい子が一山も二山も越えた先に売り飛ばされてしまうと、自力で帰ることはほぼ不可能ですし、その集落の顔見知りのオトナが売り飛ばされた先の街や村などでその子に遭遇する確率は限りなく0に近いものになるのですが、それ故に、地元にいられなくなると、離れた都市部などへ夜逃げや駆け落ち(逐電)して再起することも可能だったと言えます ・・・ マイナンバーカードが完全普及して大半の社会保障や免許制度などとリンクしてしまうとアレですが(笑)。

 怖いのは、地域の有力者に目を付けられて処分されたり、宗教的なものを含む集落の決まり事(いわゆるタブー)に反して密かに処分された場合、集落のほぼ全員が総意として口裏を合わせて”誰それは神隠しにあった”と外部にも宣言し、アリバイ工作として三日三晩くらい捜索の山狩りをしてお仕舞にする事例が少なからず全国的に散見されることで、さすがに理不尽と思う人が多いとローカルな童歌や民話などに断片的に残されていることがあるというのも比較的知られた話かもしれません。

 興味深いのは、都市部で小さな子供が迷子になったり、拉致誘拐されて神隠し状態になることは、田舎の子供の神隠しよりも頻繁に生じていたようで、首から下げるお守り札の中に迷子になったときのために住所や名前などを彫った木片や紙(迷子札)を入れていた親は珍しくなく、行き方知れずに子供がなったときに子供の名前や体の特徴などを書いた紙などを貼りつけたり、逆に拾い子をしたときに名前や体の特徴を書いて張り付けて置く、迷子塔の類が常設されていた場所も珍しくありません。

 まあ、現在でも2~3歳くらいの幼児だと、東京から埼玉どころか、都内の港区から新宿区へ連れ去って置き去りにする程度でさえ自力で家まで帰り着くことは困難を極めるでしょうから、池袋が池袋村だった時代やそれ以前の時代ともなるともっとハードルが高くなることは分かりやすい話ではないかと。

 もちろん、オトナであっても拉致誘拐されて土地勘の無い場所に連れ去られたり売り飛ばされた場合は、自分がどこにいてどうすれば古郷に帰ることができるのか?という根本的な知識さえもなければ、あきらめて異国や異郷で少しでも良い生活環境を手に入れるべく邁進するくらいしか現実的な対応は無いのですが、その意味では身代金目的の営利誘拐の方がまだ実家に帰ることのできる可能性が高かったのかもしれません。

 ところで、迷子や拉致・誘拐の類で失踪する事例と、神隠しとが分けて考えられているのは、”天狗に連れ去られて天狗の国で暮らしていたが、暇乞いをして古郷に帰ることができた”といった、天狗や仙人など主に山(というか深山幽谷)に住むとされる存在に連れ去られて、彼らの住居で生活していたと証言する帰還者(とその証言)がわずかながらも存在するためで、それ故に、”まるで神隠しにでもあったかのようだ”という表現が不可解な失踪騒動に際して成立するわけです。

 特に天狗が住むと言われるような山間部の場合、天狗に子供が誘拐されたり殺害される話は珍しくないのですが、合理的に考えれば、熊などの野生動物に襲われて子供が死亡した場合などを含めて、納得はできないけれど犯人を明確にしてしまうと集落の生活に波風が立ちすぎるとオトナたちが考えたとき、天狗や神様といった存在に責任を転化することで心の平安と事態の収束を図った一種の生活の知恵かもしれません。

 まあ、浦島太郎の昔から、竜宮城や蓬莱山といった異界に招かれたり迷い込んでしばらくの間そこで暮らした後に古郷に帰った人の話は日本では定番ですが、地底に高度な文明を築いている異世界がありシャンバラやシャングリアなどの呼称で知られる異界の伝承とそこから帰ってきた人の話などもそこに含めると、世界全域で地続きの異界で暮らして帰ってきた人の話は伝承されていると考えていいのかもしれませんし、そういった人達が異界に行った時点では、一緒に暮らしていた人たちからすれば”理由もなく急に姿を消して消息不明になった”判断するしかなかったのではないかと。

 現在でも、宇宙人に連れ去られてアルファ・ケンタリウスあたりのどこかの恒星にでも置き去りにされた人がいたとすれば一種の神隠し現象なわけですが、その場合も、その手の状況から帰ってきたと証言する人が少なからず存在しますし、世界中で少なく見積もって1~3万人程度はコンスタントに宇宙のどこかへ連れ去られているというか旅立って姿を唐突に消していて増加傾向にあるとする推計があるようです ・・・

・・・ まあ、確かに、今更、天狗にさらわれて神隠しに遭うよりも、宇宙人にさらわれて」どこぞの星に連れ去られる可能性の方が高いような気がしないでもありません ・・・

・・・ 交通事故で死傷したり、高額宝くじに当選する可能性の方が高いとも思いますが(笑)。






Last updated  2019.10.04 03:55:07
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