一夢庵別館

2008/08/11(月)00:04

サザエボン

おたく文化(128)

一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第248話 「サザエボン」  サザエボン事件に関しては、大阪の十三(じゅうぞう)で“TOY魔人”と自称していた人が、毎週日曜日に閉じた銀行のシャッターの前で、すべて手作りの全高4センチほどのキーホルダーを細々と少量販売していた事がそもそもの事の発端とされています。  ちなみに、TOY魔人版の”サザエボン”は、女性の体にバカボンのパパの顔、髪型がサザエさん風という代物で、カラーバリエーションがいくつかあるそうですが、後のかなり簡略化されたタイセイ版などを含めてどの程度のバリエーションが派生していたのかは詳細は不明です。  もっとも、後述しますが、サザエボン事件に関しては”実は ・・・”という話が連なっていくことになります ・・・ 私の知っている範囲の小ネタの連続ではありますが。  それはさておき、キーホルダーのサザエボンはTOY魔人が作成していたものがオリジナルとされているのですが、もちろん売れるかどうか微妙な商品である上に、ハンドメイドの少量生産、そして大阪十三という土地柄もあってか、元ネタの著作権者達の許可をとっていませんでした。  現実問題として、TOY魔人が販売していた程度の数量ならば、コミケなどで販売されているパロディ本やフィギュアなどが大量に商業ベースで販売されないかぎり事実上黙認されてきているように、著作権者も(裁判の手間暇を考えても)大目に見て見ぬふりをしたのではないかとか、大阪のローカルではともかく全国区では気付かれなかっただろうと私は思うのですが、サザエボンの場合、”タイセイ(大成)”という福岡の企業が目を付けて大量販売を開始したがゆえに歴史に残る大騒動になってしまいました。  サザエボン事件の当時、TVの報道番組でインタビューされた赤塚不二夫は、”100個、200個作っているだけなら ・・・”と暗にTOY魔人の生産していた規模なら黙認するとも受け取れる発言をしているのですが、長谷川町子先生の著作物を管理している長谷川町子美術館側がどう考えていたのかは未知数です。 * 著作権に関しては都市伝説化しているディズニー絡みの著作権話もあるわけで、人や組織によってかなり温度差があると言えます。  たまたま、そのインタビューに答える赤塚先生のニュース報道をリアルタイムで見たのですが、赤塚先生としては、笑って許せる個人のパロディ程度ならともかく、企業が営利目的でやるのなら筋を通せということにやはりなるのかなと思う一方で、赤塚先生の指先などが微妙に震えていて、アルコール依存症が治まっていない兆候が私には印象的でした。  いずれにしても、企業であるタイセイが営利目的で大量販売を行っていたことから、長谷川町子美術館、赤塚不二夫、手塚プロといった面々はタイセイを著作権侵害(著作権・肖像権等の侵害)で訴えて裁判沙汰(1997)にしていますので、タイセイのやったことに関して黙認する著作権者や関係者はいなかったと書いてもいいのかなと。  サザエボン事件で面白いのは、サザエボンが裁判沙汰になったという事を覚えている人は珍しくないのですが、その後どうなったのか?は意外と知らないままで今日に至っている人が多いことで、この話をしていると”それで、どうなったんだっけ?”と聞かれる事が珍しくありません。  結論から書くと、タイセイ側は訴訟に敗れ、販売禁止命令を出され、TOY魔人がやっていたような小規模な生産販売に関しては、細々と行っている範囲内ではといった制限は当然あるのでしょうが、黙認というか放置とでもいった対応に落ち着いたようです。  ”結論から書くと・・・”と怪しい話で書いていると、疑り深い常連さんの中には”で、その間には何があったんだ?”と聞いてくる人が珍しくないのですが、確かに、裁判で結論が出るより前にかなり面白い展開になったのでした(笑)。  長くなってきているので、はしょって書くと、裁判沙汰になっている間になんと韓国の某会社が「タイセイ版・サザエボン」のコピー品を大量製造して日本に「大韓民国版サザエボン」を輸出してタイセイのシェアを奪ってしまい、東京地裁が差し止め処分の結論を出すより前にタイセイが倒産してしまったのです ・・・ まあ、計画倒産ではなかったと思いますが、自分たちがやった事を他人にやられたタイセイ側が韓国の某会社に対して裁判を起こして差し止め処分を要求したかどうかまでは知りませんし、パクる事が恥ではなく日本相手には何をやってもかまわないと考えている大韓民国にはかなわなかったという程度のことなのかもしれませんから深入りはしません(笑)。  この辺りで視点を変えると、”そもそもTOY魔人はどこからサザエボンを思いついたのか?”というあたりも話が怪しくなっていったりします。  公式にというとなんですが、サザエボン事件の頃の雑誌のインタビュー記事などに残るTOY魔人の言い分では、”自分の子供の落書きから・・・”ということになっています ・・・ が、私の知る限りサザエボンのそもそもの著作権者は意外な人物だったりします。  その人の名は、ダウンタウンの松本人志。  このあたり、ダウンタウンの初の冠番組「4時ですよーだ(1987/04~1989/09)」のコーナーで松本人志がサザエさんとバカボンのパパを合体させて「サザエボン」とネーミングしたキャラクターをボードにマジックペンで描いて初めて世に出していたわけです ・・・ その後、漫才やギャグのネタとしては複数の人が他の番組でも描いたようですが、TV業界が絡むだけに、無断で商品化して大儲けという方向にはいかなかったようです。  時系列的に見ると、松本が「サザエボン」を考案してTVで公開した後に、TOY魔人がオリジナルキーホルダーとして細々と路上で売り、その数年後にタイセイが大規模販売を行って裁判沙汰になり、裁判で話題になったどさくさに紛れて韓国の某会社が参入したという流れになるわけです。  今のところ、ダウンタウンの松本より前に公式の場でサザエボンが登場した記録には遭遇していませんから、怪しい話としては、サザエボンの二次的著作物としての権利は松本人志に帰属すると考えていますが、それ以前に存在しなかったことを保証するものではもちろんありません。  さて、サザエボン事件で全国規模の注目を集めた大阪の十三は地域として”上げ潮だ!”と思ったようで、TOY魔人がサザエボンと並んで商売の柱としていた「鉄腕波平(鉄腕アトムのボディに波平さんの頭と別パーツとして取り外しが可能なアトム調のカツラがセットになっていた)」を十三駅前西商店街のシンボルにしてしまいました(大笑)。  いわゆる”波平通り”で、「鉄わん波平」が商店街のシンボルとして公然と掲げられたわけです ・・・ 長谷川美術館や手塚プロが公認しているかどうかは知りませんが、大韓民国と双璧の理不尽パクリで知られる中国の、例えば、かっての北京石景山遊楽園のキャラクターたちや北京オリンピック関連で某市によって公式に使用されている某ネズミキャラクターもどきが織りなす光景といい勝負かもしれません。  念のために書いておくと、タイセイは、サザエボンだけではなく、他にもレゲイボン(レゲイ姿のバカボンのパパ)とか、キティちゃんとバカボンのパパを合体させた”キティボン”なども著作権者に無断で生産販売していて、キーホルダー以外にタオルや貯金箱などのパクリキャラ雑貨類を手広く販売していたのですが、サザエボン事件の頃は、1日に1000万円を越える売り上げがあった(こともある)とも言われています ・・・ 売り上げ金額に関しては”噂”の域を出ませんし、今となっては確認もできませんが。  ただ、考えてみれば、サザエさんにしてもバカボンのパパにしても、御本人による連載が終了して数十年が経過してなお誰かの御飯の種になった上に、ほとんどの日本人が元ネタを知っていたわけで、その後の漫画のキャラクター達と比較するとき隔世の感がそこにはあるかなと。 初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第248話(2008/08/05)

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