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2014.07.08
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カテゴリ:健康
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第925話 「癌の謎学2」

 癌に限った話ではないのですが、不治の病の類で余命が数年という事態になった場合、最後まで意識がしっかりしていて思考力や記憶力などがまともなままという人は稀なようで、次第に記憶が混乱したり、人柄というか言動などが様変わりしていった実話には不自由しません。

 まあ、横溝先生の”犬神家の一族”ではありませんが、それなりの財産を形成したり継承していた人が亡くなり、複数の権利を有する人間が(時に複雑に)関わる相続騒動というのは日本の風土に根ざしたどろどろの人間模様が渦巻く現場と化すことがかっては珍しく無かったと書いていいかなと。

 もっとも、少子高齢化が進んでいるだけでなく、生涯独身という人はもちろん結婚していても子供を意識してつくらない選択をした夫婦などなどが増加した結果として、遺産を相続する権利者が存在しないか所在が不明という事例が増加していたりしまして、上手く立ち回ると赤の他人の財産のかなりの部分を丸ごと合法的に手中に収めることが可能な時代になってきていることは ・・・ 一部では知られた話になります。

 そのあたり、江戸の昔から相続人が不明の墓所というか墓石が珍しく無くなっていくのは比較的知られた話ですし、東京の街で大規模な開発事業を行ったときなどに土葬にしていた江戸時代以前の墓地だった場所を掘り返してしまって大量の人骨が表に出てくることが21世紀に入ってからでもたまにありますし、子孫が残っている一族にしても、何度か転居しながら三世代も経過してしまうと自分の先祖の墓地がどこ(とどこ)にあるのか?が分からなくなるいうか気にしなくなる傾向があるようです。

 ましてや、高度経済成長期からこちらは、田舎から都会に進学したり働きに出てくる人が珍しく無くなりましたし、就職した後も全国規模で転勤したり、海外の支店や本店などへ転勤する話も次第に珍しく無くなっていきましたから、なおさら墓地の維持管理が難しくなり”気にはなるけれど、ま、いっか ・・・”となっていった世帯が多いであろうことは想像に難くありません。

 というか、若い頃には”車で1時間程だし良いところに墓が確保できた”とか思っていても、年をとってくると自分で運転して墓参りに出かけることが次第に難しくなり、鉄道やバスなどの公共交通機関を使ったとしても片道で1時間を越える移動が難しいというか若い頃には難なくできていた乗り換えや乗り継ぎがとても無理な話になっていき、”なぜ、歩いていけるところに確保しなかったのだろう?”と考えたり、”体が動かなくなったんだからしょうがないよね”と考えるようになっていくようです。

 昭和の終わり頃までは、特に田舎では住居と墓所が近い ・・・ 高齢者でも歩いていける範囲に ・・・ ある地域が多かったですし、少し遡れば屋敷の敷地内に屋敷墓ということで先祖代々の墓所が造営されていて、その地に住むようになって以降の代々の御先祖様が眠っていた(大)家もさほど珍しくありませんでしたから、日本の墓参事情も昭和の終わり頃から激変していった感があります。

 ましてや、地方の過疎化が深刻化してくると、集落そのものが消え去ってしまう地域が出ているくらいですから、檀家寺が檀家の減少で寺を維持できなくなって無人と化してしまい、過去帳などを含めて無住職となった寺の管理をどうするか?が問題になる話も増加傾向にあるようですが、近年は都市部でも檀家が減少して立ち行かなくなる寺が増加しているそうで、檀家からでなくてもネットで同じ宗派の信者から依頼を受けたら読経をあげに行く僧侶の活動も知られるようになっています。

 となると、直系というか3親等以内の親族がいなかったり長く親族と音信不通という人を相手に、成人後見人となって財産管理を含めて各種手続きを生前から代行したり、契約者が弱ってくると自らが経営する介護施設に送り込み、持ち家や不動産などは関連会社で売却処分し、なんやかやと死亡するまでに遺産の大半を合法的に吸収しつくす一連のサイクルを組織的に構築する人たちが出てきているわけです。

 まあ、自分の子供や孫がいなければ、死ぬまでの間の生活ができれば後のことはどうなってもいいという人は珍しくありませんから、ある意味でこれからの成長産業の一角が形成されているといえなくもありませんし、日本政府をして相続税を値上げしたり、死亡消費税構想の類を打ち上げたりと、官民上げて死んでいく人から少しでも余計にかっぱぐことに熱心になってきていることは御存知の通り。

 視点を変えると、かなりの額の年金を受け取るだけでなく、定年までに老後の資金として預金と資産運用などでも数千万円単位で資産を形成していた人が、末期癌などで余命数ヶ月~1年程度と診断された事例などで、(保険が適用されない最新治療を含む)癌治療を専門病院などで受け続けた結果、約1年後に亡くなったときには資産がほとんど底をついていて、葬式を出すと故人の預貯金はすっからかんになっていた実話ベースの話を幾つか知っているのですが、患者の年齢によっては、”これって数年単位の治療で治ったとしても平均寿命がすぐそこに来るわけだし、死ぬまで摂取してくださいという薬が増えただけの話じゃないの??”という気がしないでもありません。

 あるいは、癌などの難病ではなく血圧が高いだけで特に他の病気を発症していない段階でも、血圧を下げる薬の投薬あたりから始まって、特定の薬を飲むと胃が荒れるので胃痛の薬、その胃痛の薬を飲むと便秘しやすくなるので便秘を緩和する薬、特定の薬を飲むと不眠を訴える人が出てくるので睡眠誘導剤 ・・・ とかいった具合に、数珠繋ぎ連鎖型投薬現象に巻き込まれていく高齢者の事例には不自由しません。

 先進国の中でも日本の医療で消費されている医薬品というか経口薬の量と種類は驚異的な数量になっていることで知られているのですが、不思議なくらい”安楽死”を認めないでいるのは御存知の通りで、子供もいない単身者の場合などは特に定年を迎えて年金生活となっていれば、積極的な(金のかかる)治療を継続するよりも、痛みを緩和する程度の措置に止めて治療はしないで(いわゆる”体に悪い事”を含めて)余生を楽しむ選択はありではなかろうか?

 というか、既に低所得者の場合、国民健康保険の月々の掛け金を捻出できず無保険状態になっている人は珍しく無くなってきていますし、かろうじて国民健康保険の支払いはできていても、いざ病気になって治療費や入院費などが捻出できない経済状態の人もまた珍しく無くなってきていますから、国民皆保険制度というのは貧困層から破綻が始まっていると書いていいような気が(私は)しています。

 まあ、TPP交渉が妥結してしまえば、急速かつ露骨に富裕層の医療と貧困層の医療は、手持ちの資金残高に応じて二分化ないし細分化されていくとは思いますが、既に医療保険の対象となっていない一度の治療行為で数百万円とかいった負担が生じる最先端治療を金額をさほど気にせずに何度でも受けられる富裕層と、一度も受けられないまま死んでいく貧困層とでは、同じ難病が同じ程度の状態で発見されても余命が違ってきていると言えます。

 西洋医学の癌治療の場合、当面の命の危機を治療によって乗り切ったとしても、3年とか5年といった単位で警戒を要する期間(=再発の不安におびえる期間)が設定されることが珍しくありませんが、実際には、そういった再発が心配される期間を乗り切ったとしても別の部位の癌などが発症して死亡する話は珍しく無く、そういった場合に、”前回の癌とは異なる原因で新しく発症した癌”と言われればそれまでの話ではあるわけです。

 戦前から戦後しばらくは結核が癌よりも深刻な国民病だったのですが、そうした頃を知っている世代というのは、男性の平均寿命が60代半ばくらいから80代前半くらいまで伸びていく戦後の長寿化時代を実際に見てきた世代であると同時に、生きている間に、サラリーマンの定年が50代半ばだった時代から70代半ばへ延伸されるのを目にすることになりかねない世代にもなってきているだけに、平均寿命が60歳半ばくらいまで短命化すればいいだけのことじゃん?と思わないでもありません。

 つまり、18歳で就職して55歳で定年を迎えて65歳くらいで死んでいた時代に戻ればいいということですが、人口構成ピラミッドが逆さピラミッドへと移行している現状で考えるとき、23歳で就職して65歳で定年を迎えて80歳くらいで亡くなる社会体制の維持でさえ、ぼちぼち終わりに近づいていることは分かりやすい話ではなかろうか?

 この手のシミュレートをしていると、”平均値でも、社会に出て働いた年数より、年金を受け取っている年数の方が長くなるときがくるんじゃなかろうか?”という気がしてくることがあるのですが、”これからは平均寿命が男女供に短命化していくだろうな”とも考えています ・・・ 天変地異がこれほど恒常化してくればなおさら。

 福島原子力発電所の爆発事故で、広域に放射性物質が撒き散らされ深刻な汚染が生じた地域も出ただけに、嫌でも関東圏でも癌患者が以前よりも増加していくと推測されますが、こういったことを書くと”具体的な数値を上げろ!風評被害だ!”と言い出す人も珍しく無い御時世ですし、これまでもというか20年以上前から大陸から日本に飛来してきていたPM2.5の問題が、原発事故以降、急にクローズアップされるようになったというか、あたかもこの数年で飛来するようになったかのような印象を与える報道が主流になったことは御存知の通り。

 そこに、予防接種の類が普及していながら、2013年前半から”風疹”が時期と地域によっては従来の30倍のペースで広まった怪しげな現象を加えて考えてもかまわない気もしていますが、日本人の平均寿命が右肩上がりに延びる時代は終わりつつあるか、既に終わったのではなかろうか?

 日本では福島原子力発電所事故以降、どこか最後の歯止めが外れた感すらありますが、癌などの既存の難病が死病ではなくなっていく富裕層と、平均寿命が次第に短くなっていく貧困層といった変化が日本だけで生じている話なのかどうかまでは知りません・・・。

(2014/07/08)





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Last updated  2014.07.09 02:28:23
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