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2019.04.27
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カテゴリ:電気街
オはオタクのオ 第0033回 プログラミング入門より前の話

 はっきり最初に書いておくと、

「現行の教職員採用試験で採用された教職員にコンピュータプログラミングを教える能力が無いのに何をとちくるったのか?」

という最大の問題があります。

 というか、そもそも日本の教職員と学校組織がこれまで可能な限り教育現場へのコンピュータを使った事務処理の合理化を行ってこなかったことは、怪しい話を書いていた頃から何度となくネタにした現実ですが、手書きの教育に固執して1996年からこちら、これを書いている時点で25年近くあった時間という貴重な資産を無駄に浪費してきたのが”ゆとり教育”に象徴される日本の左派系公教育だったことを総括せずにとってつけたようにプログラミングの授業を小学校から必須にしても、それは”予算と人員を確保するためだけのアリバイ工作に過ぎない”時間と金の無駄ということ。

 そもそも、何を目的としているのか?が意味不明で、具体性に欠けたままプログラミング授業を行ったところで投資効率は極めて悪く、はっきり書けばそこに生じるのはプログラミングができる小学生よりも新たな利権構造であることは指摘するまでもありますまい。

 小学生にプログラミングを公式の授業で教える暇があるのなら、もっと数学の授業時間を増やすのが先で、プログラミング技術そのものは中学、高校からで十分に間に合います ・・・ というか、生まれたときから(機種や年式を問わなければ)家庭用ゲーム機やスマートフォンがほぼすべての家庭で身近なところにある日本の一般家庭を前提に考えれば、”コンピュータの素人集団が何を教えられる気でいるのか?”と私は思いますが?

 それよりは、小学生には深夜アニメなどでも散々ネタになっている、社畜と化して過労死しかけている現実のプログラミングで飯を食べているプロのプログラマーの職場見学とか、プロないしセミプロの楽団員に出張コンサートをして”生でプロの楽器演奏に触れてもらう”経験をさせるのと同様に現役プログラマーのプログラミングのデモンストレーションを出張して見せてもらうところから始めるのが筋ではないかと。

 興味を持てば、別に学校の授業で素人にプログラミングを教えられなくても学生たちは勝手にプログラミングを始めるでしょうし、学校で教える以上は”技能の到達度を評価し教育効果を検証する”=”教える教職員の能力評価”も不可避になると思いますが、素人に教えられて素人に採点されて、実用性に乏しい時代遅れのプログラミング授業に強制参加させられた末に嫌悪感だけが育まれる近未来の光景が今から目に浮かびます。

 そもそも論で言えば、小学校に入学するのが6歳、卒業するのが12歳と仮定して、彼らが成人年齢になるまでに6~12年あるわけです(これを書いている時点で小学生という世代は成人年齢が20歳から18歳になっているでしょうから)から、10年後くらいの近未来の社会を想定したプログラミング授業を行う必要があるわけで、”現在”の社会状況を前提に計画立案して授業を実施しても使えない人材を量産するだけじゃね?と。

 つまり、これを書いている時点から10年前を2010年頃とすれば、そこにはスマートフォン市場が実質的に存在せずいわゆるガラケー(フューチャーフォン)がまだ携帯情報端末の主流だった時代ですが、その時点でガラケーで動くことを前提としたプログラミング技術を時間と金をかけて教わった小学生がいたとして、その小学生が社会人になって就職する時点で世の中は実際にスマートフォンが主流の時代になっている現実があり、ガラケープログラミング技術で飯が食える職場は限りなく将来性に不安のある職場ではないかと私は思いますが?

 少なくとも、2020年の近未来というかこれを書いている時点で、8カ月ほど後の世界でスマートフォンのアプリを製作できるプログラマーとガラケーのアプリを製作できるプログラマーのどちらに需要があり、どちらの年収が多くなるか?を普通に予想すれば私の言わんとするところの一端は、それこそ”猿でも理解できる”レベルの話ではなかろうか?

 現実問題として、これを書いている時点で小学生という世代が社会人になった頃には、おそらく世界のどこかで”量子コンピュータ”が当たり前のように製品化されて実働している可能性が高く、これを書いている時点ではスーパーコンピュータに区分されている高性能なコンピュータが過去の遺物になっていても不思議ではないだけのパラダムシフトが生じかねないことを認識も理解もしていない”教育関係者”の主張するプログラミング授業は時間と金の無駄どころか、その時間と金をもっと有意義なことに使った場合のリターンを考えれば有害ではないかと。

 時代のニーズに即応した、飯が食えるレベルのプログラマーを量産したいのなら、高卒資格も取得できる4年制のプログラマー養成専門学校を増設し、そこに今回の小学校でプログラミング授業を実施するために必要な予算を全額振り向けれた方がよほど現実的で、小学校では数学の授業時間を増やし、作文能力を向上させる授業を増やすことを優先させる方が急務だと思いますが?

 結局、今回の小学校でプログラミング授業を云々というのは、本人が本格的なプログラミングをした経験のない素人が小学生相手にプログラミングを教えようとする ・・・ 明らかに教職員の既得権益を保持することが前提であり主目的という無駄というより有害な行為にすぎないということ。

 それを煽り唆している連中も、コンピュータ関連に詳しい人ほど自分がペテンを仕掛けている自覚があると私は思いますが(黒い笑)。

 量子コンピュータに限らず、これを書いている時点で主流のノイマン型コンピュータと根柢のところで発想が異なるコンピュータが主流になるということは、従来型のコンピュータがガラケーどころか固定式の黒電話の類の位置になり新方式の次世代コンピュータはスマートフォンの類の位置になると考えるとイメージとしては分かりやすいかと思うのですが、そうなってくるとそうした次世代コンピュータのプログラミングは特化した専用の人工知能(AI)が作業の大半を行うことになることもこれを書いている時点で予想の範囲内の話になります。

 つまり、コンピュータの進化に人の脳味噌が付いていけなくなり、人工知能という人間以上の能力を持つ存在でなければプログラミング効率が悪くなりすぎる ・・・ 人力で1年かかるプログラミングが人工知能プログラマーを使うことで1カ月とか1週間で終わったりするならまだいい方で、人力だと一生(実質的には40年程度)かけても終わらないプログラミングを人工知能が1カ月とか1週間程度でこなすのが当たり前という時代を、これを書いてる時点で小学生という世代は平均寿命まで生きることができれば目にすることになると思います ・・・ しみじみと、今の時点で爺でよかった~(笑)。

 これを書いている時点で、お気に入りの常連客である御年1歳半ほどのアブラハム君をいじりながら思うのが、この子たちの世代が当たり前のように見るであろう50年後の世界を自分が目にすることはおそらく無いけれど、そこがどのような世界になっていたとしても、”まあ、がんばれ。日本で日本の公教育を受けないで済む選択肢のある君の未来は明るい”ということ。

 1995年にウンドウズ95が登場し、それは実質的に世界で同時に、事務処理の本格的なコンピュータ処理時代の到来と世界システムであるインターネットの普及と利用が本格化したことを意味していて、当時、”IT革命”という言葉で語られた近未来社会の変化は携帯電話が単なる持ち運びのできる電話機から携帯用小型情報端末化したことで事前の予測以上に加速し、2015年以降に次世代携帯情報端末であるスマートホンが1996年当時の普及価格帯パソコン以上の処理性能を持ち始めると、実質的に24時間体制で通信機能を有するコンピュータを人類の大半が使える時代になったと言えます。

 誤解のないように書いておくと、”パソコン+通信システム”の環境であれば、据え置き型のパソコンでもウエアブルなスマートウオッチの類でも該当するのが24時間体制で通信機能を有するコンピュータを使える環境に該当し、別にスマートフォン(環境)が完成形でもなければ到達点でもないということですから、スマートフォンを前提としたプログラミングを教えろと主張する気は爪の先ほどもありません。

 あれこれ考えていると、これを書いている時点の小学生って”下手にコンピュータのプログラミングに関わらない方が幸せではないのか?”と思うことが多いのですが、それは自動車を運転するときに自動車を制御している既に搭載されている(燃料制御や安全システムなどの)コンピュータのことって知らない人の方が圧倒的に多いし、そのコンピュータで動いているプログラムを製作したり改変したりする必要のある人達って世界でも数百名規模の一握りのプロで、少なくとも、そのプログラミングができる能力のある人がすべてその職業に就職できるほどの市場規模でない現実もあるじゃん?ということ。

 既に今の時点で、プロのピアニストといった音楽家や野球、サッカー、テニス、ゴルフといったスポーツ選手の大半が、学校の授業だけでプロになることは稀と言うか皆無どころか、学校教育の”皆と平等かつ公平な授業”とかが足枷になることから”プロを目指すなら早い時期から専門家ないし専門知識のある指導者の教育指導を受ける”もしくは受けた人が実際にプロになっている現実がある以上は、今後さらに専門性が求められるコンピュータのプロのプログラマーが日本の義務教育で養成されるとは、私には、思えません。

 というか、今後ますます個人の手元の情報端末はブラックボックス化が進み、素人プログラマーが義務教育で教わったレベルのプログラミング技術で何かできる頻度は加速度的に減少していくでしょうし、下手にいじることができるハードの仕様はハッキングを含めてセキュリティリスクを増加させますから、一般人に許されるのは提供されるプログラムというかアプリ(ケーション)のカスタマイズ程度で、いかに提供されているプログラムを使いこなすか?がコンピュータを使いこなすこととほぼイコールになると、私は、予想しています。

 ある意味で、公教育で小学校から教えて置いて将来的に無駄にならないのは、ブラインドタッチができる程度のキーボード入力くらいじゃないか?と思うのですが、音声入力は長々とやっていると口が疲れ喉が枯れてしまいますし、スマホから普及した指を使ったフィリップ系の入力は(長々とやっていると)キーボードと比べて体の歪(これを書いている時点だと、ストレートネックや巻き肩、そしておそらくは白内障など)を惹起しやすいリスクがあります ・・・ ま、入力方法にはそれぞれメリットもあるので、プロの事務処理としての使用頻度や中長期的な健康問題から考えるとという話ですが。

 それ以前というか、素人の学校の先生が既得権益保持のためにプログラミングの授業を行って小学生に不幸をまき散らすより前に、

1.通知表の電子化。*小学校高学年以上はペーパーレス化と希望する保護者への電子メール等での送付。
2.成績管理の電子化。*全国共通規格の制定と導入。

3.公立学校の定期テストの電子化および共有化。

4.家庭学習用教材(いわゆる宿題)の電子化および全国的な共有化。

5.授業のビデオ化(単位ごとの動画化)及び、その動画のネット公開。

くらいは実施を優先するべきではないかと。

 下手にプログラミングの授業を小学校で行えば、”あの先生って、(同級生の)A君やB子さんより馬鹿?”とか”いやいや、保育園に通っている妹のC美や弟のDより使えね~”と言われるようになる事例が加速度的に増加し定説化するであろうことも既に予想の範囲ですが?

 コンピュータを使う奴は人間性に問題があるとか、薔薇、憂鬱、檸檬といった漢字が手書きできないのは大問題だからコンピュータを使わず手書き優先教育を堅持しようとか、固定電話の頃と比べると暗記してる電話番号が極端に減ってるのはコンピュータ(や携帯情報端末)を使うことの弊害で教育の根幹にかかわる大問題だ~とか、実際に発言し、散々に社会のコンピュータ普及を妨害してきたのが文部科学省であり公教育に関わってきた連中の過去の言動じゃね?殴った方は忘れても、殴られた方は忘れませんが??

 或いは、既に大半の民間企業や、国の管轄する官公庁(国家公務員)ならば職場から持ち出し禁止とか、そもそもコンピュータ関連業務で私用(使用)禁止にしているUSBメモリやSDカードの類に、生徒の住所氏名、成績、賞罰といった個人情報を入れて学外にも持ち歩き、紛失したのが発覚して謝罪する騒動が現在進行形で起こり続けているのも”学校関係者”に特有の光景で、過去にその手の情報が入ったノートパソコンを学校帰りに立ち寄ったパチンコ店の駐車場に停めていた自家用車から置き引きされた云々といった騒動が発覚したのも1度や2度の話ではないのも比較的知られた話ではないかと。

 将来、飯を食うことに直結しない素人の教えるプログラミング授業を必須にする前に、現存システムを前提にしたものであっても、セキュリティ教育やネットリテラシー教育を徹底して欲しいというのが、大多数の保護者の要望ではないのか?

 或いは、世界レベルで評価されるプログラマーを量産している印度で行われている(日本の九九のような)二桁の掛け算を含むい印度数学教育の導入といった、先進事例を導入するのが先で、まずは日本の既存の公教育体系が時代遅れというか時代錯誤の役立たずになっていて、学校の教職員の能力も特にコンピュータ関連では平均的な日本のサラリーマンより下になって久しい現実を直視し認識するとことから始めないと、単に新し利権構造が追加され、本来行われるべき有益な授業が減って無駄な時間と金の浪費だけが増えていくだろうなあと。

 そもそも、これを書いている時点でプロのプログラマーという人も、事務処理などでコンピュータを日常業務で使っている人も、「義務教育で”あの”学校の先生がプログラミングの授業を行う」と聞いてどう思うか?といった観点がごっそり欠落し、お手盛りの自己満足臭がぷんぷんしているのにドヤ顔をしているのではなかろうか?

 結局、富裕層はもちろん、少しでも現実が分かっている親ならば、ピアノ教室や水泳教室の類に通わせるように、公教育以外のプログラミング教室に通わせる ・・・ というか、既に通わせている親が増加していますし、そうした親たちが学校の公式カリキュラムになるからといって、そういった教室通いを止めさせる可能性は低いと思いますけどね。

 或いは、これからオタク第一世代が定年を迎えて年金が目減りしながら暇になってくると、孫の世代と一緒になってプログラミングを再学習する光景も珍しくなくなっていくでしょうから、素人の学校の先生がおこなうプログラミングの授業に対して”こんなことで高額な給与と高額な年金がもらえるなんて”という声は大きくなるでしょうなあ ・・・ ま、学校の先生たちがそんな世間の声を気にするとは思ってませんが(大笑)。

 いずれにしても、だらだらと書いてきたように、小学校でプログラミング授業を必須にするより前に”算数の授業をインドの数学教育も参考にして立て直す”のが先だと思いますし、プログラミングというのは外国語の作文のようなものですから、まずはしっかりと本を読ませ、作文を書かせる時間を増やすことを小学校では優先すべきだと私は思います ・・・

・・・ ま、ぼちぼち四半世紀前の話になりますが、前職の霞ヶ関の時代に”あいつは宇宙人だ”とか”(一般)人のわかる言葉で話せ!”とか散々言われた過去があり、脳出血で1カ月ほど入院して出てきて半年ほどの私があれこれ言っても説得力に欠けるとは思いますが(大笑)。

 では、次回は、プログラミングと魔術とでもいった話になります ・・・ たぶん。





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Last updated  2019.04.27 07:41:39
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