さっちゃんと9人家族

2010/02/24(水)23:53

路上の方々と・・・(2)

出来事(92)

 もう一つはある日、家にいたらピンポーンと玄関ベルが鳴ったので、何気なく扉を開けたのです。そしたら路上生活をなさっているだろうと見受けられる60代ぐらいの女性が立っておられました。目はかなり濁っていて、きっとそんなに良くは見えておられないのではないか、と思いました。「あの、少しお金を分けていただきたいのですが・・・。今日の食べ物のために、お願いします」と頭を下げられた。その方が私よりもかなり年上の女性の方だということがまず私の心をとらえた。 でも同時に妹が教会の事務をしているとき、かなりの数の方が教会にやってきては、お金を下さいだの食べ物をくださいだの言われて、神父さんがサンドウィッチをあげたら、そのまま教会の庭にほかしてあったとか・・・、お金を貸してください、必ず返します、そう言っても返しに来た人はいないとか、そんな妹の話が頭の中をよぎったのです。私「あの、河原町三条の教会では炊き出ししていますよ。行ってみられたら?」 「はい、知っています。でもああいうところは好きではないのです。」 と彼女はまたか、と言わんばかりに落胆して言いました。  路上生活者のほとんどの人が男の人、その中に入って生きている彼女の窮屈さを思うと、どうしてもそのまままた路上に帰すことができず、奥に入ってわずかなお金を持ってきました。はい、これだけしか差し上げられないけれど・・・」 と、とまどいながら彼女の手の中にお金をおさめると 「ありがとう、ありがとうございます。いろんなおうちにお願いしましたが、どこでも全部断られました。 ありがとうございます。嬉しいです。 ありがとう・・・。」彼女は道の向こうで大声でないと私には聞こえないだろう、そうしたら近所のみんなに何事かと迷惑がられるに違いない。そんな向こうまで何十回と振り返っては私に「ありがとう」を繰り返された。正直、今までの人生の中でこのときほど「ありがとう」という言葉を私に繰り返し語った人は彼女以外誰もない。その後、私はそれが良いことだったのか悪いことだったのか、よくわからなかった。帰ってきた大きい子どもたちにそのことを語ったら、「お母さん、気が良すぎ!きっとその人また来はるで。それにそのうわさに飛びついて、ほかの人もやってきはるかも?どうすんの」 と言われた。 私もまた来られた時は、今度はわたしのVnの練習の付き合いで「聴く仕事」をしてもらおうなどと考えていたのだけれど、彼女は二度とうちの玄関ベル「ピンポーン」を押されなかったし、以来どなたも来られていない。 

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