2010/04/21(水)23:12
一人深読
今度のミサの聖書朗読個所はすごく短いです。 ヨハネ福音書 10章27~3027 「わたしの羊は私の声を聞き分ける。
わたしは彼らを知っており、彼らは私に従う。28 わたしは彼らに永遠の命を与える。
彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。29 わたしの父がわたしに下さったものは、全てのものより偉大であり、
誰も父の手から奪うことはできない。30 私と父とは一つである。」
でも、この前からミニ真名でちょっと神様のことを考えていたことが、もう一度このみ言葉によって、私の頭の引き出しの中からとりだされたような気がしました。27 わたしの声を聞き分けられるわたしの羊たち。
毎日の生活の中で様々なやり取り、見聞きすることがあるけれど、その中で「私の声を聞き分けてくれている人、それが私の羊」
もちろん、この「私」とはイエスキリストのことです。あ、これはあなたの声ですね、あなたの言葉ですね、と分かるためには相当のやり取りがないとわからないでしょう。
あなたとの出会いと心の交わり、それはこちらが自覚していない、知らない間に出会っていることも多々あるのかもしれない、いやその方が多いはず。
でもその出来事があなたとの出会いだった、あなたとの会話だった、と気付ける時が来なければ、あなたの声だと聞き分けることはできない。ぼんやりしたものではなく、リアリティのあるもの、自覚できるもの、ハッとさせられるものなのですね。神様との出会い、私はちゃんと覚えているかしら?
いつだったか?
思い出すことができなければ・・・わたしは「彼の羊」の仲間に入れてもらっているのか、それともそうじゃないのか…わからない・・・・??