カテゴリ:映画エーが
昨日見た「明日の記憶」で物足りなくて、今日は防府へ「ダヴィンチコード」を見に行った。シネマコンプレックスでは今評判の映画だけあって、同時に三つのスクリーンで上映中。字幕が二つ、吹き替えが一つ。さすがだ。
原作本が以前からベストセラーになっているが、まだ読んでいない。しかし、昨晩テレビでダヴィンチコードの特番があり、映画で取り上げられているエピソードを取り上げていたので、話の内容は良く解った。 キリストは当時のユダヤ教聖職者がそうであったように、妻帯していた。妻はマグダラのマリア。キリストは12人の使徒よりもマリアを愛し信頼し、自らが処刑された後の継承者としていたという。 これは教会の権威を揺るがす話だ。教会は使徒の一人ペテロがキリストの後継者となって今日まで権威を保ってきた。女性は罪深きものとされ、聖職者になることも長く認められなかった。それがキリストの遺志は妻マリアに受け継がれるべきものであったとしたら、今日に繋がるキリスト教の系譜はキリストの遺志に添うものではないと言うことになり、まさに驚天動地。しかも、キリストがゴルゴだの丘で処刑されたとき、マリアは既に身ごもっていて、後に女の子を産んだという。キリストの遺志を拡張すれば、マリアとその娘に始まる子孫こそが彼の遺志を継承する正当な後継者ということになる。 このため、キリスト教会は秘密裏にキリストの子孫を抹殺しようとしているとする。一方、キリストの遺志を重視し、マリアとその子孫を守ろうとする騎士団も存在した。この騎士団も秘密組織となり、歴史の裏舞台で両派が今日まで死闘を続けているというのだ。 ニケーアの宗教会議、死海文書、コンスタンチヌス帝、十字軍、東西ローマ帝国・・・大昔歴史の授業で聞いた言葉が蘇る。面白い展開だ。 この映画はキリスト教を冒涜するものだとして敬虔なカソリック信者が多い国々では公開に反対する動きが強いとか。成人指定にしたり、上映そのものを禁止しようとする話もあるらしい。特に最後の10分間が問題だと聞いていたので、最後の10分間は瞬きもしない(つもり)で真剣に見ていたが、どこが問題か解らなかった。話題の展開はそれ以前に一段落していたはずだし、意味が分からん。 しかし、面白かったので不問とする。 久々に見応えのある映画だと思う。90点! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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